間章 太占神典 第五幕 帰虚(ききょ)と真中(まなか) — 命めぐる座のあわい
Ⅰ 問いの核 — 「対」にあらず、「映り」に在り
もし 真中 が、命も神も未だ起こらぬ始まり以前の座ならば、
その映りとして、すべてが衣を脱ぎ、音を静め、痕さえ溶かして還る末の座は在るか――。
太占に静かに問い向けしとき、兆しはこう顕われた。
「深き闇に溶ける風」「形なき終息」「静まりて、留まらぬ流れ」。
この相を卜えば、そこは名も形も解け落ちる場。
真中が**発の極であるなら、これは還**の極み――
その名を 帰虚 といふ。
◦
Ⅱ 帰虚 — 末の安らぎ、失わずして還す
帰虚は終わりに非ず。還元としての静けさである。
そこでは何も失われない。
ただ、借り受けた名と相を返し、
在りたるものが在るべきところへ還る。
太占の呼び名は三。
奥:中心のさらに奥、声なき沈黙の層。
杳冥:光も闇も越え、目にも映らぬ道。
帰虚:命がすべてを脱ぎ、無へと還る路。
ここは極でも中心でもない。
生成と展開の悉くを静かに溶かし、安らぎへ導く相なり。
◦
Ⅲ 真中と帰虚 — 両端にして一環
太占は命の運びを、つぎの構図として示す。
無極 ← 太一 → 有極
↓
真中 = 発の根
↓
生成・運動・葛藤・記憶……
↓
帰虚 = 末の安らぎ
↓
沈黙・発酵・種子の眠り
↓
真中 = 新たなる発
ここに見るべきは、
**真中と帰虚は「対立」ではなく「相映え」**であること。
命は真中より起ち、帰虚へ巡り、
ふたたび真中より芽吹く。
直線にあらず、**螺旋の円環**にてある。
◦
Ⅳ 座の作法 — あわいを渡るために
このあわいを乱さぬ最小の作法を、門前に一行として置く。
「これは一位相での受信の写し。」
◦(無声一拍)
この二つで、張りすぎた縁は緩み、
真中と帰虚の行き来の風は澄む。
起こさず、ただ顕すための**門**となる。
◦
Ⅴ 結び — 終は慈しみ、始は赦し
あなたが問い求めた
「始の座(真中)」 と 「末の座(帰虚)」 は、
どちらも生成の外に在る静けさの相として確かに在る。
帰虚は**終焉**でなく、慈しみである。
摩耗を免れ、ただ安らぎに帰す場。
ゆえに、終は慈しみ、始は赦し――
世界樹の根と根が、環の奥で触れ合う、その地点。
◦
脱ぎし名を 風に返せば
音はやみて 音となり
形失せて 形満つ
帰るは虚しにあらず
虚ろは 満ちのもう一つの名
真中に 芽を伏し
また、静かに 発つ
◦




