午後の発見
昼食の後、ルドヴィクは一人で宮廷の廊下を歩いていた。まだ記憶が曖昧な彼にとって、この建物の探索は必要なことだった。
廊下の途中で、興味深いものを発見した。
壁に掛けられた肖像画——歴代の宮廷楽長たちだろう——の前に、小さなプレートが設置されている。そこには楽長の名前と、在任期間、そして......
「『異常現象発生回数』......?」
なぜそんな項目があるのだろう。
第17代楽長:異常現象7回
第18代楽長:異常現象2回
第19代楽長:異常現象0回(在任3日で退職)
第20代楽長:異常現象143回
「143回?」
最後のプレートは空白だった。第21代楽長——つまり、現在の彼の記録欄。
「まだ記録されていないのか、それとも......」
「楽長様」
振り返ると、青年従者が立っていた。午前中に「位相のズレ」を指摘された従者だ。
「あ、君か。どうしたんだい?」
「実は......ご相談があって」
青年は躊躇いがちに続けた。
「私、最近、変なことが起きるんです」
「変なこと?」
「はい。私がいると、楽器が勝手に音を出したり、時計が止まったり......」
興味深い。午前中の噴水の件といい、この青年は何かの「鍵」を持っているのかもしれない。
「君の名前は?」
「トマス・エドワーズです」
「トマス......いつからそういうことが起きるようになった?」
「3日前からです。楽長様がいらしてから......」
ルドヴィクは考えた。3日前——それは、彼がこの世界で目覚めた日だ。
「君は、音楽に興味がある?」
「はい! 実は、楽器を習いたいと思っているんですが......」
トマスの目が輝いた。
「でも、従者の身分では......」
「身分なんて関係ない」
ルドヴィクは断言した。
「音楽は、すべての人のものだ」
「本当ですか?」
「もちろん。それに......」
ルドヴィクは思った。この青年の「異常現象」と音楽への憧れ、そして自分の転生——これらには何かつながりがあるような気がする。
「明日から、君に楽器を教えよう」
「え!?」
「ただし、条件がある」
「条件?」
「君の周りで起きる『変なこと』を、詳しく教えてほしい。観察者として」
トマスは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます!」
その時、廊下の向こうからクラリスの声が聞こえてきた。
「楽長様! 大変です!」
慌てた様子で近づいてくる彼女の手には、例の帳簿が握られている。
「どうした?」
「エントロピー管理帳簿の記録を始めたのですが......」
彼女は息を切らしながら説明した。
「午後だけで、異常現象が27回も発生しています!」
「27回?」
「時計の停止が11回、楽器の自動演奏が8回、水面の波紋が6回、その他が2回......」
「その他?」
「調味料が勝手に混ざったり、インクが虹色になったり......」
クラリスの記録は詳細だった。時刻、場所、継続時間、推定原因——全てが几帳面に記録されている。
「そして気づいたのですが......」
「何を?」
「全ての現象が、楽長様の半径50メートル以内で起きているんです」
ルドヴィクは驚いた。自分が異常現象の中心だったのか。
「つまり、私が原因?」
「いえ、原因というより......」クラリスは考えながら言った。「触媒のような?」
「触媒......」
化学用語を使った彼女の比喩は、実に的確だった。
「それから、もう一つ」
「まだあるのか?」
「はい。現象の発生パターンを分析してみたところ......」
クラリスは帳簿の最新ページを見せた。そこには、美しいグラフが描かれている。
「楽長様の感情状態と、現象の強度に相関関係があるようです」
「感情状態?」
「はい。楽長様が興味を持たれたり、感動されたりした瞬間に、より強い現象が発生しています」
これは重要な発見だった。つまり、この世界では感情が物理現象に影響を与えるということか。
「素晴らしい観察だ、クラリス」
「ありがとうございます!」
彼女は嬉しそうだった。そして——
時計塔の鐘が鳴り始めた。しかし、その音は通常の時報ではなく、まるでオーケストラのような複雑な和音だった。
「また始まった......」
クラリスは急いで記録を取り始める。
「現在時刻15時42分、時計塔にて多重和音現象発生......」
トマスも驚いている。
「楽長様、これも楽長様の力なんですか?」
「わからない」
ルドヴィクは正直に答えた。
「でも、悪いことではないと思う」
鐘の音はまだ続いている。美しく、複雑で、どこか懐かしい響き。それは確かに「異常」だったが、同時に「奇跡」でもあった。
「明日から、より詳しい観察を始めましょう」
クラリスが提案した。
「はい! 僕も手伝います!」
トマスも加わった。
ルドヴィクは微笑んだ。転生してまだ数日なのに、すでに仲間ができている。そして、この世界の謎を解く手がかりも。
鐘の音が止んだ。しかし、その余韻は長く続いた。まるで、新しい冒険の始まりを告げているかのように。