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第6話:顔のない目


「わたし、たぶん視えるようになってきました!」


その日、部室に入ってくるなり、谷川日葵は満面の笑顔で爆弾を投下した。


千景先輩の手がピタリと止まり、俺は飲んでいたお茶をむせかける。


「……いやいやいや、軽く言うことじゃねーだろそれ!」


「だって昨日、帰り道で人の形した影がずーっと横断歩道の端に立ってたんですよ!

それもすっごく背が高くて……あと、顔が無かったです!」


「うわ、それ完全に怪異じゃん……」


「……その特徴、怪異に多く見られる形態よ」


千景先輩が静かに言ったその一言で、部室の空気が少しだけ引き締まる。


「場所は?」


「第二キャンパスの裏の交差点です。なんか、妙に空気が冷たくて……」


「……日葵、ちょっとここ座って」


千景先輩が真剣な目で日葵を促す。

その空気に、彼女もようやく「あれ?」と首を傾げた。


「視えるってことは、何かに“引かれてる”可能性がある。

しかも、その対象が“顔のない影”なら、尚更よ」


「えっ、もしかして……呪われてます?」


「正確には、“接触されかけてる”」


千景先輩の言葉に、日葵の目から一瞬笑顔が消える。

でも次の瞬間、あっけらかんと笑って言った。


「そっかー、やっぱり私、選ばれし民なんですね!」


「いやノリ軽すぎんだろ……!」


「だって! これでオカルトサークルっぽくなってきた感じするじゃないですかー!」


……この子、やっぱすげぇわ。


でも同時に、俺はちょっとだけ嫌な予感がしていた。


“視える”ってことは、“見られている”ってことでもある。

そしてそれが、どれだけ重くて危うい意味を持つか――

日葵はまだ、知らなかった。




数日後、俺と日葵は大学の中庭ベンチで話していた。


千景先輩に言われて、視えてる自覚が本物かどうか、“確認作業”をしている真っ最中。


「で? 今、なんか変な気配とかある?」


「うーん……ない、と思います! でも、あっちの校舎の影がちょっと濃い気がするような……」


「それって、ただ日陰なんじゃ……」


「違いますって! なんか、“重い”んですよ。空気が」


日葵は人差し指を立てて、自信満々に言い放つ。

その明るさに、不安と期待が入り混じってるのがわかる。


「……でもまあ、最初の頃の俺より全然感覚あるっぽいな」


「ほんと? それ、褒めてます?」


「褒めてるつもり。俺なんて最初、ただのオカルト好きだったし」


「今もですけどね?」


「おい」


冗談を飛ばしながら、俺は少しだけ表情を引き締めた。


「でもな、日葵。ひとつだけ言っとく」


「ん?」


「“視える”ってことは、“見られる”ってことなんだ。

視えるってことは、怪異の側からも、お前が見えるってことだから」


日葵が、少しだけ表情を引き締めた。


「……うん。ちょっと怖いけど、覚悟はしてます」


「無理すんなよ。なんかあったら、俺か……千景先輩がすぐ助けるから」


そう言うと、日葵がぽつりと呟いた。


「春野先輩、やっぱ優しいですね」


「いや、俺は怖がりなだけだって。

誰かの前で何か起きたら、もう一人でトイレ行けなくなるタイプっすから」


「えー、そういうとこ、ちょっとかわいいかも」


「やめい」


そう笑い合った直後。


ふいに、日葵がピタリと動きを止めた。


「……春野先輩。あそこ、誰か立ってますよね?」


日葵の視線の先――校舎の裏のフェンスの向こう。


……最初は、何もなかった。

けど目を凝らすうちに、“何か”の輪郭が、空気のゆがみに浮かび上がってきた。


それは、黒い人影だった。

まるで墨を水に溶かしたように、ぼやけていて、形が曖昧で――なのに、そこにいるのは確かだった。


呼吸が詰まる。

肌の内側を冷たい何かが這い上がってくるような感覚。


“視えてる”……わけない。

でも、“見られている”という確信が、背骨に突き刺さった。


「日葵、今すぐ目を逸らせ」


「え……でも」


「いいから!」


俺は反射的に日葵の手を引いた。


その瞬間、風がざわりと吹き抜け、フェンスの向こうの影が“動いた”。


日葵がビクリと肩をすくめた。


「今の、見てた……わたしのこと、見てた……!」


「わかった、もういい。走るぞ!」


俺たちはそのままベンチを離れ、足早に建物の陰へ駆け込んだ。



サークル部室に戻ると、千景先輩はすでに待っていた。

俺と日葵の顔を見た瞬間、その表情がわずかに険しくなる。


「……何があったの?」


「影っす。フェンスの向こうに“何か”が立ってた」


「視えたの?」


「俺にも……ぼんやりと、ですけど。たぶん一瞬だけ」


「あなたも……」


千景先輩の言葉が、そこで止まる。なにかを考えている顔だった。


日葵は、まだ肩を震わせていた。


「ごめんなさい、私……あれ、なんだか“視えちゃった”って感じで……」


千景先輩がそっと、彼女の隣に腰を下ろす。


「大丈夫よ。視えたことを、恥ずかしいとか怖いと思わなくていい」


「でも、あれ……すごく怖くて。目を合わせたら、心の奥を覗かれるみたいで……」


千景先輩の眉が、ピクリと動いた。


「……目を合わせたって、どういう意味? 日葵、その影、顔……視えてたの?」


「え……あ……そう、ですよね……顔はなかった、はず。なのに……なんで……?」


その瞬間、部室の空気が凍りつく。


「……それ、かなり危険かもしれない。

“目がないのに目が合った”ってことは、意識に直接入り込むタイプ。

もし向こうが一歩踏み込んでたら……あなた、もうここにはいなかったかもしれないわ」


日葵が、言葉を失う。


俺もまた、背中に冷たい汗をかいていた。

日葵だけじゃない。俺にも“あれ”が、視えていた気がする。

いや、視えていた。確かに、見られていた。


「春野くんも……ね」


千景先輩が静かに、俺の名前を呼ぶ。


「あなたも、以前とは違う。

前は“感じる”ことすら稀だった。けど、最近は違うわよね?」


「……視えた気がしたんすよ、今日。

ぼやけてたけど、そこに“何か”が立ってた」


千景先輩は、小さく息をついた。


「気づかないうちに、あなたも“扉”に触れていたのかもしれないわね」


その言葉の重さに、俺は思わず手のひらを見下ろした。

――あの倉庫で、声が聞こえたとき。

――鏡の中の自分が笑ったとき。

そして、今日――


それらすべては、最初の“予兆”だったのかもしれない。



日葵はその日、少しだけ静かだった。

でも、部室を出るときにはいつもの笑顔でこう言った。


「これからも、ちゃんと先輩たちについていきますね!」


「それ、お前が一番先に死ぬタイプのセリフだからやめとけ」


「うそー! 私、案外しぶといんですよ?」


そう言って笑うその顔から、怖がっていた様子はもう消えていた。


それでも俺は、思った。


――このサークルに入ってから、何かが変わり始めている。


俺自身も。

日葵も。

そして、千景先輩も――


変わっていくその先に、俺たちは何を視るのだろうか。


今回は日葵の“視える力”の発現を描きつつ、

「顔がないのに目が合う」という矛盾を通じて、怪異の異常性と恐怖を際立たせました。


次回、第7話『春野、消える』では、拓海自身がついに“怪異に喰われかける”事件に直面します。


お楽しみに!


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