第13話:干渉と侵入
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金曜の午後、講義がすべて終わったキャンパスは、週末の気配でゆるやかにざわついていた。
そんな空気とは裏腹に、オカルトサークルの部室は静かだった。
「……これ、何っすか?」
俺の目の前に置かれたのは、ちょっと古めかしいノートパソコンだった。
分厚くて重そうな外見。いかにも型落ちって感じの無骨なボディ。
「文化研究棟の倉庫で見つけたの。電源が入ったまま、ずっと放置されてた」
千景先輩は、PCの天板に貼られた色あせたラベルを指差す。
手書きの文字が、かすれながらもこう読めた。
「怪異記録・倉庫編」
「このタイトル、覚えてるっす。部室の奥にあった古い部誌と同じ……」
俺は思い出す。例の、“視たら終わり”ってメモ書きがあったボロボロのやつだ。
「文化研究棟ってことは……資料の原本、もう見に行ったんすね」
「その中に、これがあったってことっすか?」
「ええ。顧問に頼んで鍵を借りて、資料を探してたの。
棚の奥にあった段ボールの中から、これが出てきた」
「電源入ってたって……やばくないっすか、それ」
「しかも、延長コードで通電されてたの。誰かが“生かしてた”としか思えない」
千景先輩の目は、静かに、それでもまっすぐに光っていた。
「……じゃあ、俺が開けてみるっすよ」
「……わかった。でも、もし異常を感じたら、すぐにやめて」
その声は、ほんの少しだけ、優しかった。
俺は慎重に、ノートPCの電源を入れた。
……起動音が鳴る。
そして、懐かしさすら感じる古いロゴが、ゆっくりと浮かび上がった。
立ち上がりは遅い。でも、確実に動いている。
そして次の瞬間、画面に表示されたのはログイン画面――ではなかった。
「……これ、ログイン中のまま……?」
表示されていたユーザー名は、“Visitor_01”。
誰のアカウントでもない、仮の来客用アカウントのようなもの。
でも、カーソルが点滅していて、ウィンドウの隅には未保存のテキストファイルが残っていた。
「ずっと開いたままだったってことっすか……?」
「そうみたいね。誰かが途中まで開いて、閉じなかったのか……あるいは、閉じられなかったのか」
千景先輩の声が、ほんの少しだけ低くなった。
俺はマウスにそっと手を伸ばし、デスクトップのフォルダを開く。
そこには、見覚えのないファイルがずらりと並んでいた。
フォルダ名は、“視点ログ”、“記録”、“ログ(整理中)”。
中には、無数のテキストファイル。どれも【untitled】という名前で、タイムスタンプだけが微妙に異なっている。
「動画とかじゃないっすね。全部、文章……?」
「文章ベースの記録……それも、未整理のまま残されてる」
俺は迷った末に、いちばん新しいファイルを開いた。
『鏡は、ずっとそこにあった。
でも、“こっちを見ている”と気づいたのは、あのときから。
あれは――“何か”が、向こう側から覗いている目だった。
だから俺は、できるだけ視ないようにしてきた。
でも、それはもう遅い。
“視られた”瞬間に、何かが入ってきた。
たしかに、“脳の内側”に触れられた感覚があった。』
背筋がぞわりと冷たくなる。
「……“入ってきた”? 脳の中に……?」
それは比喩なのか、それとも――。
「ちょっと待って。……今の記述、ただの記録とは思えない」
千景先輩の声が、少しだけ低くなった。
その声音には、警戒心と――何か、知っているような気配が混ざっていた。
「……このまま放っておく方が怖いっすよね。もう一つ、開きます」
ファイルを選んだ。
その瞬間――
画面が、真っ黒になった。
いや、“暗転した”んじゃない。
モニターの奥から、“何か”が、こっちを見返してきたような――そんな感覚。
【視てる?】
その文字が、画面の中央に浮かび上がっていた。
まぶたを閉じても、焼きついたように消えない。
脳の奥に、じわじわと染み込んでくる。
誰かが、俺の中に“入り込もうとしている”。
呼吸が浅くなり、手のひらが湿っていく。
指先が勝手に震え、視界の中心がぼやけて――
「やめて!」
千景先輩の声と同時に、肩を強く引かれた。
その勢いで、俺の手がマウスから外れる。
パソコンを閉じるより早く――
俺を“干渉範囲”から引き離すほうが先だと、彼女は判断したんだろう。
その瞬間、モニターの文字はスッと消え、画面は元のログイン状態に戻っていた。
……呼吸が浅いまま、俺はしばらく動けずにいた。
「春野くん、大丈夫……?」
千景先輩が俺の顔をのぞき込む。
でもその表情には、少しだけ困惑の色も混じっていた。
「……気持ち悪いとか、頭痛いとか、何かある?」
「いや……ちょっと息が乱れてるくらいっすけど、意識ははっきりしてます」
本当にそうだった。
心臓はまだドキドキしてるし、汗もにじんでるけど――思考は明瞭だった。
変な声が聞こえるわけでもないし、視界が歪むこともない。
さっきの“視線”も、もう感じない。
それが、逆におかしかった。
「でもあなた、“どこかで弾いてた”ように見えた」
千景先輩は、PCの画面ではなく――俺の方を、まっすぐ見ていた。
「やっぱり……そうみたいね。
あのとき“護られてるかもしれない”って言ったの、間違ってなかった」
「……あのときって、なんかありましっけ?」
「部室の倉庫の時よ。視えないはずのあなたが、“干渉されかけて”、それを跳ね返した。
……あのときから、ずっと気になってたの」
「跳ね返した……俺が?」
「ええ。今回もそうだった。
あの手の怪異は精神に直接入り込んでくる。
でも、あなたの意識に触れた瞬間――何かに遮られたの」
千景先輩の目は、真剣そのものだった。
「春野くん、あなた……無意識に、自分を護ってる。
結界のようなものを張ってるのよ。自覚のないまま」
「そんなこと、あるんすか……?」
「稀にね。
強いトラウマや本能的な防衛反応が、意図せず“結界”のようなものを形成することがある。
そういう記録は、過去の文献にも残ってるわ」
「でも俺、そういうのとは縁がない人生だったと思うんすけど……」
正直、思い当たる節はない。
俺の人生、どっちかというとお気楽に生きてきた方だし。
それでも――
千景先輩の視線があまりにもまっすぐすぎて、
ふざけた返しが出てこなかった。
「この端末……危険だけど、まだ全部を調べたわけじゃない。
でも、今日はここまでにしておきましょう。
これ以上深入りすると、さすがに……ね」
「そうっすね。俺もさすがにちょっとビビったっす……」
俺は小さく息を吐きながら、まだ少し冷たさの残る手のひらを握りしめた。
――“視られた”感覚。
あれは、本当にどこかの誰かじゃなく、俺の中を覗いていた。
それでも、俺の意識は濁らなかった。
それが、“俺自身のものじゃない力”だとしたら――
……俺は、いったい、何に護られているんだ?
第13話、読んでくれてありがとうございます!
今回は春野が“なぜ怪異に干渉されないのか”――その伏線がついに繋がりました。
第3話の千景のセリフ、覚えてますかね?
しかもただの文章ファイルなのに、“視られてる”感覚。
怪異、確実にこっち見てる。
そして次回、千景の過去――“妹”の話が、ついに動き出します。
お楽しみに!




