第11話:視える者、視えない者
⸻
「……春野くん。そこ、三行目の符号。写し間違えてるわ」
「え、マジっすか……?」
部室の机に資料を広げながら、俺は思わずうなだれた。
千景先輩はいつものように冷静で、俺のペースなどお構いなしに、淡々とページをめくっていく。
「この符号は“干渉型怪異”の分類に入るもの。“接触なしに心理影響を与える”という報告が多いわ」
「心理……影響、っすか」
「ええ。日葵の見た“視線の怪異”も、類似例がある。“追われる感覚”、“目を合わせたような錯覚”、“気配の侵入”。こうした記録は、年代問わず時折残されてる」
「……あの、先輩」
「なに?」
「それ、怖がらせるために出てきてるってことっすか?」
「それはわからない。ただ、記録を見れば、“見られていた側”の反応には共通点がある」
「共通点、っすか」
「“誰かに見られている気がした”。そして、“その視線は、何かを探していた気がした”」
「……探してた?」
それってつまり――誰かを“見つけようとしていた”ってことか?
……なんか、それ、“ただ怖がらせる”って感じじゃなくて。もっとこう……別の、目的があるような気がする。
俺には“視えない”けど。それでも、何かが、ずっとこっちを見てるような――そんな感覚だけは、どうしても拭えなかった。
* * *
資料を整理し終え、ふたりで机を片づけていたときだった。
「……先輩。ひとつ、聞いてもいいっすか?」
少し間を置いて、千景先輩が顔を上げた。
「どうぞ」
「……前に、言ってた“妹さん”のこと。あれって、やっぱり“怪異”に関係してるんすか?」
一瞬、空気が止まった気がした。
千景先輩の手が、ページの隅で止まっている。
その目が、こちらを見て――だけど、それはまるで“視線を向けながら、別の何かを見ている”ようだった。
「……それより、この記録、ちょっと見てくれる?」
千景先輩は、何事もなかったかのようにファイルを開いた。
強引な話の切り替え。
でも、それが逆に、答えだった。
「……はいっす」
俺はそれ以上、聞かなかった。
けど。
先輩の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れていたのを、俺は見逃さなかった。
* * *
夜の部室。
日葵も帰り、先輩と俺だけの静かな時間が流れていた。
「……ねえ、先輩」
ノートにまとめた手書きのメモを見ながら、俺はぽつりとつぶやく。
「最近の怪異って、“見られる”とか“覗かれる”とか……そんなの多くないっすか?」
「……そうね。視線の干渉。精神への侵入。何かに“見られている”という感覚が共通してる」
「でも、それって“向こう”から“こっち”を見るだけなんすよね。こっちからは見えないのに」
「ええ。基本的に、“視える者”が気づくのは、気配か気づきだけ。“視えない者”には、記録に残るほどの反応すら起こらないことも多い」
「……でも、俺、“怖い”って思ったんすよ」
千景先輩がゆっくり顔を上げた。
「視えないのに、“見られてる”って思った。“気のせい”で片付けられないくらいには、はっきりと。しかも、何回も、いろんな場所で……」
「……」
「先輩が言ってた“干渉型怪異”。もしそいつらが、“何か”を探してるとしたら――もしかして、見つけたら終わりじゃなくて、そこから“何か”を始めるつもりなんじゃ……」
「……“侵入者”」
ぽつりと、千景先輩が言った。
「“怪異は覗く”。でも、それはただ怖がらせるためじゃなく、“何かを見つけ出すため”。なら、それは“干渉”じゃなく、“侵入”――」
そこまで言って、千景先輩は言葉を切った。
まるで、“それ以上考えたくない”とでも言うように。
* * *
帰り道、千景先輩と並んで歩いた。距離はいつも通り。けれど、心の中では何かが――ずっと、引っかかっていた。
結局、“妹”のことも、“怪異の正体”も、何ひとつ聞けなかった。
聞けなかったし、たぶん今の俺には“聞く資格”がないのかもしれない。
それでも、俺は。
「……先輩」
「なに?」
「もし、誰かが“視えないふり”してたら、それって“視えない”って言えるんすかね?」
千景先輩は立ち止まる。
そして、ほんの少しだけ目を伏せて、こう言った。
「……その問いに答えられるほど、私もちゃんと“視えてる”自信はないわ」
俺も立ち止まって、千景先輩を見つめた。
言葉にしなきゃ届かない。
けど、言葉にしたら、たぶん――届かなくなるものもある。
だから俺は、何も言わずに、ただ歩き出した。
後ろから、千景先輩の足音が追いついてきて。
その気配が、すぐ隣に並んだ。
何も変わってないはずなのに、世界の色が、ほんの少しだけ変わった気がした。
夜空を見上げた。
星はなかった。
でも、雲の向こうに、きっと光はあった。
読んでいただき、ありがとうございました。
“視える”って、ほんとうはどういうことなんだろう。
答えはまだ遠くて――でも、それでも目を逸らせない。
次回、もうひとつの“視えなかったもの”が顔を覗かせます。




