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EDEN〜灰の青年は銀の少女と果てへ征く〜  作者: jack16c
第七章 罪悪に燃えて
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友人と呼び

 エレベーターの慣性に身を任せ、短い電子音が鳴り響くと同時に瞼を開く。音もなく開いた扉の先に広がるのは脳天を撃ち抜かれた死体と、両手を頭の後ろに組んだまま一列に並んで伏せる男女の川。濃い血の臭いを嗅ぎ取り、眉間に皺を寄せたダナンはイブを背負いながら人目を忍んでエレベーターの個室から走り出す。


 治安維持兵が銃を撃ち一人の女を撃ち殺す。逃げ出そうとした男の眉間へ弾丸を撃ち込み、死体を脇に寄せることなく川を一望する。屍山血河と言わずとも、次々と出来上がる死体から血が流れ出し、小さな池となっていた。


 チラリと眼を向けた肉欲の坩堝構成員の首を折り、出来上がった死体を通路に引きずり込んで装備を剥ぐ。錆びたアサルトライフルと薬物に汚染されたガスマスク、携帯ポーチに入っていた麻薬類……。それらを床に並べ、舌打ちしたダナンはガスマスクの両脇に差さるカートリッジを取り外し、薬物が染み付いたフィルターを指先で回しながら外す。


 敵の装備を奪い、身を扮して逃れられるならばそれに越したことは無い。だが自分だけ逃げることが出来ても背負ったイブを見捨てられない。出入り口には中層街の装備に身を包んだ治安維持兵が銃を持って立ち塞がり、大ホールを監視するのは肉欲の坩堝の構成員。全員と戦い、殺し合っても生き残る自信はある。だが―――


 「……」


 己の背中で荒い息を吐き、大粒の汗を流すイブを一瞥したダナンは首を振るい、肩を竦めた。此方も限界なのだ。少しだけ眠ったとしても、身体に残る疲労を完全に癒す事はできない。始末屋との戦いによる肉体的疲労と、旧友をこの手で殺めた精神的疲労、心が鎖で縛られたかのように沈む。退路を絶たれ、喪失による痛みと精神を削る飢餓にダナンは大声をあげて叫び狂いたかった。満足するまで、全てを壊して楽になりたかった。


 胃液が腹の底から込み上げ、食道を焼いた。口いっぱいに唾液が溜まり、吐き気が止まらない。頭が痛み、飢えと渇きを嫌でも自覚してしまう。狂気に陥る精神を必死に繋ぎ止め、機械腕の通信機能を起動したダナンは「リルス……他の出口は、ヒドロ・デ・ベンゼンに繋がる下水道を探せ」と呟いた。


 「状況は?」


 「出入り口に治安維持兵が五人、大ホールに十数人、それを監視している構成員が八人……」


 「少し待って」


 キーを叩く音が通信から響き、通路の壁に背を預けたダナンは瞼を閉じて額に滲む汗を拭った。


 他人の死を気にしたことは一度だけだった。育ての親である老人の死体を見つけ、復讐の憎悪に燃えた少年時代。己とは関係の無い人間が何処で死のうがどうでもいい。しかし、過去の記憶に残る少女……セーラと再会し、彼女の願いを叶える為に自らの意志でその命を奪った事実にダナンは酷く焦燥していた。


 もっと良い方法があった筈だ……否、彼女を救う為には保存されていた記憶ごと消し去る他術は無い。


 もっと早くに彼女のことを気にかけていれば、彼女の言葉に耳を傾けていたら最悪の事態は防げた筈だ……否、あの時の己に何が出来た。自分のことで手一杯の人間に、誰かを思う気持ちなどある筈が無い。


 過去は変えられない。起こった出来事を後悔しても無意味。間違いを振り返り、省みることができても同じ間違いを起こさない保証は無い。今まで奪ってきた命を蘇らせることは出来ないし、これからもダナンは誰かを殺して生き延びる。死なないために……殺し続けるのだ。


 「……」


 眼の前に転がる肉欲の坩堝構成員の死体。これは己が生き残る為に殺した命。一切の迷い無しで首の骨を折り、装備を剥いだ一個人。無関係な人間を殺しても心は傷まず、さもそれが当然の行為だと受け入れ悩まない。だが……セーラを殺した際に植え付けられた罪悪は影のようにダナンの背に忍び寄り、耳元で嘯くのだ。


 どうして……彼女を殺したの? あの瞬間に流した涙は嘘だったの? どうせ貴男はこれからも失い続けるし、何も得られぬ生を繋ぐだけ。命を奪うだけ奪い、踏み躙る貴男は本当に生きているの? と。


 「黙れ……」

 

 機械の手で額を抑えたダナンが絞り出すような声で呟き。


 「……殺さなければ、生きるために殺さなきゃ、殺される」


 存在しない少女の影を振り払い、歯を食い縛る。


 殺されない為に殺し、生きるために誰かを殺す。無法と無秩序が入り乱れ、混沌とした弱肉強食の理が支配する下層街では死が当たり前で、優しさや甘さは命取りとなってしまう。幼い頃から銃を握り、右腕を無慈悲に握りつぶされたダナンはそれを痛いほど理解している。


 生きたかった。ただひたすらに生きたいと願い、生き延びたいと祈っていた。理解不能な衝動は生の実感を追い求め、生存欲求に突き動かされる命は他人の命など無価値と断じて死を振り撒く。下層街においてダナンの行動は間違っていないし、正しいとさえ認識出来る。


 「ダナン」


 「……」


 「悩むのは後にして頂戴。今は此処から脱出するべき……そうでしょう?」


 「……」


 リルスの声に頷き、イブを背負って立ち上がったダナンはフラつきながらもアサルトライフルのグリップを握る。


 肉欲の坩堝と治安維持兵を相手にするには此方が不利。状況を打開する一手が欲しい。最悪な場を乗り切る手は何処にある。逡巡したダナンは通路から少しだけ顔を覗かせ、辺りへ視線を巡らせると白いダブルスーツに身を包む青年を見た。


 「……アイツ、生きていたのか」


 治安維持兵に守られながら悠々と歩を進める青年……グローリアは一列に並ぶ死体に臆せず、血溜まりの先に立つディックからHHPCを受け取る。


 利用するべきか否か。答えは決まっている。生唾を飲み込み、銃を構えたダナンは「ダナン!! 生きていたか!!」と叫んだグローリアへ銃口を向けた。


 「……グローリア」


 コートを羽織ったグローリアの手にはヘレスとハカラが抱かれており、ダナンがディックから渡された古びた文庫本も混じっていた。銃を向けられていることも気にせず、治安維持兵の合間を縫って歩み寄ったグローリアはダナンの肩を叩き、強く抱きしめる。


 「本当に……本当に生きていて良かった。酷く疲れているようだけど……始末屋とは決着がついたのかい?」


 「……いいや、まだだ」


 「そうか……。あぁ、君の荷物は私が受け取っておいたよ、安心してくれ。それでこれからのことなんだが」


 「……」


 「ダナン?」


 「お前は……俺をまだ」


 友人として見てくれるのか? 力強く抱きしめるグローリアを引き剥がしたダナンは目を伏せながら問い、銃口をグローリアへ突きつける。


 「俺とお前は……ヒドロ・デ・ベンゼンの中だけ、互いの利益に基づいた関係だ。俺は歓楽区から安全に脱出するため、お前は用事を済ませるため……。友人関係だって……お前が言い出したことなんだ。どれだけお前が俺を友人だと言っていても……俺はお前みたいな良いヤツを……友人だなんて呼べない」


 ダナンはグローリアを視界に入れた瞬間、彼を盾にして二つの勢力から逃れるつもりだった。こうして銃を向けているのだって、すぐに彼の腕を拘束して人質にするためで。


 「それでも……私は君を友人と呼ぶよ」


 「どうしてッ!!」


 「君を友人と呼んだらいけないのかい? ダナン」


 グローリアの嘘偽りの無い言葉にダナンは息を詰まらせ、黄金の瞳をジッと見据え。


 「ダナン、君はもう少し自分を好きになっていいのかもしれない。私はね……君は泣いているように、自分自身を殺しているようにしか見えないんだ」


 機械の腕を握った。


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