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第76話 戦場にいた・2

 ケーニヒスベルク中央駅の赤い屋根と臙脂の壁は、真冬の雪嵐が吹き付け真っ白く凍りついている。


 1945年1月22日。

 僕とサービス係のイグナス、コック長のヨーナス、厨房助手のルータは、コートも帽子も雪まみれになりながら駅に向かった。

 道の両側の街並みは爆撃で破壊され、無残な石の骨組みだけになっている。

 通りには軍用車両と軍服を着た男たち、ナチの制服に身を包んだドイツ人やリトアニア人が溢れかえっていた。

 駅に向かっている人もいたが、そう多くはなさそうだ。

 元々便数が少ないうえに、特にドイツ行きの便のチケットは、極めて入手困難になっているからだ。

 まず普通の人達は切符など買えない。

 驚くべきことに、列車には移動の軍人たちも同乗するし(車両で移動するのではないか?)、荷物をまとめてドイツへ帰ろうとしている、などばれれば、街を見捨てて逃げるのかと責められかねない。

 ケーニヒスベルクの大管区指導者エーリッヒ・コッホが好んで使うフレーズ『敗北主義者』のレッテルを貼られてしまうのだ。

 だからニコラスの養父母シュミット夫妻がチケットを手に入れられたのも、ユダヤ人だと知らずにナチの顔見知りの党員たちが子供のチケットも融通してくれたのも、従業員の皆が選別を届けにこうして駅に向かうのも、戦争という言葉も出ないほどの地獄の中での、一瞬吹いた涼風なのだ。


「シュミットさん、この子をありがとうございます」


 ホームでいっぱいの荷物とトランクに囲まれ、少数の使用人と列車を待つ初老の夫妻は、驚いたようにこちらを見た。

 僕たちはホテルの厨房や倉から持ち出した食品を持って、ぞろぞろと夫妻を囲んだ。

『よくしらない』人達に挟まれ、全身をこわばらせ気難しい表情をしていたニコラスが、ふと顔を緩めた。


「いえいえ、私たちはあくまでも『商談と国内の工場のテコ入れ』にドイツに向かうだけなのでね」

「そうよ。そこのところははっきりさせて置かないとね」


 夫妻は毅然と言い放った。


「分かっていますよ。またこの子と会える日を楽しみにしています」

「これはうちで焼いたものだけど、道中お腹がすいたら食べて」


 厨房助手のルータが、熱い焼きジャガイモを布でくるんだ包みを、ニコラスに持たせた。


「ありがとう、ルータ」

「また会う時はきっと大きくなっているだろうな、子供の成長は早いからな」


 コック長のヨーナスが、暴漢帽をかぶった少年の頭をくりくりと撫でまわした。


「ありがとう、シェフ」

「それじゃ、体と心を強くもって、シュミットさんたちのために一杯働くんだよ。可愛がってもらいなさい」

「ありがとう、イグナスさん」


 いつも少年の髪を切って身だしなみを整えてあげていたサービス係のイグナスは、少年の方をポンポンと叩いた。

 ホテルに来てから随分背が大きくなった。

 僕を殺すんでしょう、と凍った目で言い放った少年は、いま生きるためにドイツに行こうとしている。


「じゃあな、元気で」


 僕はニコラスを抱きしめた。僕は間違いなく、一人の人間を助けたのだ。そう思いたい。


「ゲアハルトさん……さようなら」


 列車がホームへ入ってきて、シュミットさん達は人並みに押されるように車内に乗りこんでいった。

 最後にニコラスが振り返ったような気がしたが、それも分厚いコートと帽子をかぶった人ごみの紛れて、はっきりとは見えなかった。


「さよなら」


 僕らは声を限りに叫んだ。

 また会えるときは大きくなっているだろうな、なんて嘘だ。

 僕たちはきっと二度と会えない。

 余計な希望は抱かない。

 東部から赤軍を避けて逃れてくる人々が口々に言うのだ。

 連中はケダモノだって。かたっぱしから人を殺し、市民を殺し、女も子供も内臓からえぐられれ引き裂かれ犯されるって。


 1945年1月22日。

 僕らが見送った、ニコラスとシュミット夫妻を載せたベルリン行きが、ケーニヒスベルクを出た最後の列車だった。

 後にはドイツから僕らを迎えに来るためにも、この地から逃がしてくれるためにも、一両たりとも動かなかった。

 そうして僕、ゲアハルトはケーニヒスベルクの街を取り巻く塹壕の一つで、身を潜めてもがいている。


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