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第40話 さようなら同胞

 9月。

 駆け足の秋の風がボヘミア平原を渡っていく頃、仕事を終えた撮影陣はトラックに便乗して帰って行った。

 ミリヤナは挨拶どころか顔を合わせる事もなく、素早くテレジエンシュタットを後にした。

 僕は密かに、ラーム所長を通じてプラハの親衛隊本部に連絡をした。

『今回の撮影班にいたセルビア人ミリヤナ・アシュバンは共産主義者の生き残りで、ベルリンでの反ナチス活動をすると共に、ユダヤ人の逃亡に手を貸した』と。


 プラハのゲシュタポはすぐに動き、彼女を追った。

 だが気配を察したセルビア女は、撮影車両がプラハに戻る寸前、いち早く姿をくらましていた。


 撮影が終われば大勢の『出演者』たるユダヤ人に用はない。

 ドイツの誇る鉄道輸送で、奴らを『東』に移送するだけだ。

 囚人の『絶滅』を目的とした収容所はいくつもあるが、最大にしてテレジンから最も近いのがアウシュヴィッツ・ビルケナウである。

 僕たちは速やかに動いた。

 何といっても、奴らをテレジンに留め置く理由はもうなくなったのだから、この『総統が賜った街』から一掃しなくてはならない。

 ただでさえ、占領地からのネズミどもが、中継地点としてのここを目指して、次から次へとやってくるのだから。


 僕たちはプラハから送られてくる書類に目を通し、さらにこちらでも移送名簿を作成し、順番を決めて手際よく手配にかかった。

 手間はほとんどかからなかった。

 「移送」と聞いただけで、大抵のユダヤ人たちは、自分達の先の運命を悟ったからである。

 たまに逃げ隠れしようとする者がいたら、『小要塞』の刑務所の広場で銃殺するだけだ。

 僕も、何人か数えられないくらいの囚人に向かって引金を引いた。

 この頃になるともう慣れてきて、木偶を撃つくらい動揺などしない。

 飛びまわるコバエを叩き伏せるより簡単な『作業』だ。


 僕たちはトラックに載せ、貨車に詰め込み、9月と10月の2カ月で18400人を『移送』した。

 送った奴らのほとんどが、アウシュヴィッツに着いたその日に死んだ。

 弦楽合奏団とゲットー合唱団の奴らに至っては、ユダヤ人長老会が「彼らをバラバラに引き離さないでほしい」と宣ったので、全員一緒に貨車に入れられた。

 作曲家、ピアニスト、ゲットーキャバレーの歌手、役者、サッカーに興じカフェでくつろぐ「市民」を演じた大勢の老若男女、学校で絵を描いていた子供たち。

 みんな粛々と貨車に詰められ、ドアにかんぬきをかけられ、発車して行った。


 9月末日、僕もアウシュヴィッツへ移動となった。

 本当はこの、こじんまりとしたテレジエンシュタットに続けて居たかったのだが、仕方がない。


 元ポーランドの南西に位置する、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所は、なんと広大な所だろう。

 僕ら異動組は宿舎に荷物を置き上司に報告をすると、息つく暇もなく仕事に取り掛かる。

 ユダヤ人の職員『ゾンダーコマンド』の監視をしながら、移送されてきたユダヤ人たちを男と女、若者と年寄り、子持ちと独り身、使える者と使えない者に分別し、死と運命が決まった集団を粛々とガス室設備に誘導するのだ。

 収容所の敷地内に入り込んだ、鉄道引き込み線の、終着点。

 その周りでは、縞の上下の囚人服を着た楽団が、賑やかな行進曲を演奏していた。

 聞けば合唱団もあるという。

 女子収容所には、作曲家グスタフ・マーラーの姪のバイオリニスト、アルマ・ロゼーが指導指揮する、アウシュヴィッツオーケストラまであるらしい。

 彼らは何のために音楽を奏でるのか。

 目前の死に向かって歩みを進めるユダヤ人の動揺を抑え、効率よく『処理』を進めるためである。


 ふと、自分の目の前を、見覚えある小汚い老人と若い男たちが通り過ぎた。

 向こうは僕の顔を見もしないが、生憎僕は覚えている。

 ベルリンで音楽大学に通っていた時、僕に悪い点数を付けた楽理の老教授と、そんな僕を嘲笑ったユダヤ人の「成績優秀者」だ。

 選別される停車場で、囚人楽団の演奏を耳にした元音大生が呟いた。


「うまくあの楽団に入れれば、俺は生き残れるかもしれない」


 だが容赦ない僕ら看守の選別で、老教授はガス室へ、音大生は強制労働のグループへと振り分けられていく。

 彼らはすぐに、早朝から夜更けまで続く重労働と、粗末な食事、のみ、シラミ、疫病と寒さで死ぬだろう。

 そうしたらすぐに、恩師や家族同様、火葬炉の煙と灰と化すだけだ。


 そして、形ばかりの映画演出をしたゲロンも、妻と共に貨車で送られてきた。

 堂々と帽子をとり、声援に応えるように手を振り「まるで往年の映画スターのように乗り込んだ」と、テレジンに残ったわずかなユダヤ人どもは囁き合っていたらしい。

 10月28日、ゲロン達を載せた貨車はアウシュヴィッツに着いた。

 あとは無駄なく機能的に作成された導線に乗って、システマチックに処理されるだけだ。

 47歳の喜劇役者クルト・ゲロンは、妻と離され、ガス室で殺され焼かれた。


 彼らが死んでも、僕は生きる。

 それは僕が「勝者」だからだ。


 奴が殺された翌日10月29日、我らがハインリッヒ・ヒムラー長官の命令により、アウシュヴィッツのガス室は封鎖された。


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