ここはどこなのか?
ユーニスに手を差し出すと、レジナルドの手をつかみ、ふら付きながらも立ち上がる。泉の向こう側には木々が広がっており、近づいてみないとわからなかったのだが、木々の向こう側に石で出来た塀のようなものが見えた。
「何かの遺跡?」
セシリオは見た事もない景色に首を傾げている。
「カイロスの国でこんな場所があったかどうか……あまり馴染みのない国だし、知らない場所だ」
レジナルドはそう言葉にしながら、先ほどまで目の前にいたユーニスの姿が見えなくなっていたことに気が付き、きょろきょろと周囲を見回すと、件の柱の前に立って、その石肌に触れる彼の姿があった。
「その紋様についてなにかご存知なのですか?」
ユーニスが手で触れていた部分には、見た事もない紋様が描かれていた。恐らくアルファベットの”E”だと思うのだが、装飾文字と言うのだろうか、デフォルメされたEに植物が巻き付いており、”日”の文字にも見える。繊細な絵柄を柱の石肌にわざわざ彫っているのだから職人の手仕事だろうと思われたのと同時に、先ほどまで遺跡かと思っていたのだが、その紋様は年月が経っている訳でもなくごく最近に彫られたものではないかと思われ――つまり人の気配があるのだ。そうすると途端に、周囲への警戒が強くなる。ユーニスは紋様に手をあてたまま、こちらを振り返る。
「これは古代、カイロスの国の王族が使っていた紋章です」
「王族の?」
セシリオは隣で大きく目を見開いた。その言葉にただ事ではない雰囲気をひしひしと感じ、再度紋様をよく見てみたが、レジナルドには見覚えのないものだった。と、言うのも、レジナルドとて『侯爵』の名前に恥じることのないよう、自国だけではなく他国の情勢や歴史についても幼いころから知識を深めていたのだが、どれだけ記憶の中をあさっても、この紋様の記憶はない。
「ご存知ないのも当然です。これはカイロス王家のいわば隠し紋のようなもので」
「隠し紋?」
セシリオは首を傾げたが、逆にレジナルドは納得し頷く。
「隠し紋とは、高貴な人が、その身分を隠す時に使うものだ。だが、知る人ぞ知るとでも言うのだろうか。ひと目見てそれだとわかる人もいるように作っている」
「仰る通りです」
レジナルドの説明にユーニスは頷いた。
「じゃあ、ここは王家と関連する場所、もしくは建物だということ?」
「おそらく」
レジナルドは難しい表情を見せる。
そもそもなぜ、このような砂漠の真ん中に?
わざわざ隠し紋まで使って。
ふとユーニスの方を見ると、レジナルド以上に深刻な表情を見せている。
「ただ、この隠し紋、現代では使用されていません。使われていたのは千年前の古代文明のころの話です」
ユーニスのその言葉にセシリオとレジナルドは互いに息をのんで、顔を見合わせた。
ちょうどその時、柱の奥にある茂みから足音が聞こえ、緊張感が走る。レジナルドはセシリオを引き寄せ、そちらを確認すると、そこにいたのはあの黒いローブをまとった二人組だった。
「ああ、よかったです。ここに飛ばされたのが私たちだけではなくって。皆さんと合流出来なかったらどうしようかと思っていました」
先生。と、呼ばれていた背の高い男の方が鷹揚に声を上げる。もう一人の小柄な男は、表情は柔和なのだが、先生の斜め後ろにぴたりとはりついて決してこちらに近づいてこようとはしない。
セシリオとユーニスはただ、呆然とその黒い布に包まれた二人組を見ていた。先生は急に妙な視線を浴びて恥ずかしくなったのか、照れ隠しの様に頭に手をやって、
「さっきまでカイロスの巨大な商業都市に居たはずなんですがね。あの不思議な光につつまれた影響で、カイロスの古代文明。今や、おとぎ話の中に出てくる神殿に飛ばされるなんて思ってもみませんでした」
「貴方はこの紋様の意味をご存知なのですか?」
ユーニスは目を丸くしていた。先生はそれほど驚くことなのか、わからないと言わんばかりに首を傾げた。
「これは、カイロスの王家の秘匿にされた紋章でしょう? まあ、今は使用されていないようですが、――そして、確か神殿や神の庭など、まつりごととは正反対の場所やモノにつけるのだとか」
「それは本当ですか?」
セシリオの問いにユーニスは頷いた。
「この紋様はカイロスの国に点在する遺跡からよく発見されます。割合、神殿で多く見られることから国内の学者たちは、政治とは正反対の場所やモノに使われていたものだと結論をつけました。国内の目ぼしい場所はほとんど調査しつくされてきたと思っていたので、まさか、まだこのようなオアシスや大規模な遺跡がこんな場所にあったとは……」
ユーニスの言葉を聞きながら、先生と呼ばれる男を横目に見る。
彼の話しぶりや、持っている知識などから判断すると、どこにでもいる様なチンピラ風情ではなく、きちんとした教育を受けたある程度の家柄の者が何等かの理由で身を隠しているのではないかと、思い始める。
ただ先生と一緒にいる小柄な青年の方はどうも毛色が違うと思われた。先生と呼ばれる男の親族でも従者とも違う。レジナルドの見立てでは、先生がその青年を保護している。そんな印象を受けた。
「ここが王家の管理地だということはなんとなくわかったけれど、この隠し紋が使われていたのは千年前。と、言うことは”遺跡”なんですよね?」
セシリオの言葉に先生は大きな身振りで否定をする。
「向こうから来たんだ。神殿の中は現在も使われている様子があって、人の気配もした」
「現在、使われているということか?」
そう言ってユーニスの方を振り返ってみるのだが、彼は蒼白な表情を浮かべていた。
そして誰もがレジナルドの表情を伺う様に見ている。この場に置いてもアルファとしてリーダーシップを取り、この状況を打破しなければならないのだと思いながらも、新婚旅行の余韻を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「ともかくその神殿に向かってみよう。まず、私達がどこにいるのかを正確に知らなければ、これからどうすることも出来ない」
レジナルドの予想では何かのはずみに、空間転移がおきたのではないかと思われた。この世界に魔法の概念はないが、かつてはあったとか行使できる者がいたとか、神話レベルの話であるが、聞いたことはある。レジナルド達の住む国でも、農村部に行くと、森に入って帰らなくなってしまった人達を神様が隠されたのだとか、根強くそんな話が残っている。
まさか、そんな事が実際に起るとは思わなかったが、今回の事象にレジナルドとセシリオを含めた五名の人間が巻き込まれている。そのくらいの話ではないと説明がつかないのも事実であった。
ともかく、誰でもいい。この世界の誰かとコンタクトを取り、しっかりと状況を把握した上で、これからの対策を考えなければならないと思う。先生もレジナルドのその考えには同意を示してくれたようで、
「人の気配があったのはこっちだ」
そう言って先頭に立ち、今自身が来たのであろう、道を引き返していく。
「大丈夫?」
歩きだした所で、セシリオの声がして振りかえると、呆然として動けずにいる、ユーニスの顔を覗き込んでいた。何度か呼びかけていたが、全く応じる気配がない。
両手両足が砂に飲みこまれてしまったのではないかと、思う程。
「大丈夫か?」
レジナルドもセシリオの元まで戻り、大きめの声を出して、ユーニスの肩をつかむと、彼はようやくはっとして顔を上げた。
「すみません」
ユーニスはそれだけ言って、急いで立ち上がると、先に歩いていた先生の後を小走りに追って行くのを見て、レジナルドとセシリオもその後に続いた。