絵の中の人
迷路のような廊下を進んで、辿りついたのは、入り口に一際豪奢な布がかけられた部屋である。
「こちらがユーニス様のお部屋でございます」
使用人が何度かノックをするが、応答はなく、仕方ないと言わんばかりにゆっくりと扉を開く。
「ユーニス様、失礼致します。御客人の方々がお見えになっております」
部屋の中は思っていた以上に片付いていた。
ほとんど一日中部屋の中で過ごすことが多いのだと聞いていたので、もっと陰気な雰囲気が漂っているのかと思っていたが、洗いざらしの真っ新な服に健康的そうな褐色の肌、こちらを向いた彫りの深い表情は思慮深く見えた。
ただ、顔に生気がない。美しい彫像がこちらを向いた様だった。
「何かありましたら呼び鈴を使ってお呼びください。私はこれで失礼いたします」
使用人は恭しく一礼して、部屋を出て行った。
「失礼する」
レジナルドはそう言って部屋の中に足を踏み入れる。強い拒否感を示されるだろうかと思ったが、そんな様子は見られなかった。
ユーニスは部屋の真ん中のいかにも高級そうで、かつ繊細な作りの絨毯に座り、顔だけレジナルド達の方に向く。
何よりも、目に飛び込んでくるのは、正面に掲げられた、性別不詳だが、うつむいた美しい人物の絵画だ。
「父から言われていらっしゃったのですか?」
その声は静謐だった。
レジナルドが考えていたよりも聡明で、年下の商人であるはずなのに高貴な印象すら受けた。
まだバース判定を受けていない、年の頃は十四、五くらい。
「ええ、中々お見えにならないので、心配していらっしゃいますよ」
ユーニスの表情は変わらず、なんの感情も動いていない様子だった。
「せっかく来ていただいて申し訳ないのですが、僕は行くつもりはありません」
そう言って、目の前の絵画に視線を戻す。
カイロスの国では珍しい銀髪の、青年の俯いた横顔。確かにその造形は美しい。
レジナルドとセシリオは、互いに顔を見合わせた。特に何も説明していなかったが、ユーニスの様子を見て何か察するところがあったらしい。レジナルドが口を開くよりも先に、
「体調が思わしくないのですか?」
セシリオが気遣って声をかける。
いつもなら、セシリオが表立つのはどうも心配になってしまって、手を引きよせてしまうのだが、ユーニスとの対話はレジナルドよりもセシリオの方が相性が良さそうだと思ったのと、ユーニスがセシリオを見た時の瞳が全く興味すらわかないとでも言いたげな様子であったのを見て、逆に安心し、止めることはなかった。
「ありがとうございます。体調は全く問題ありません。今、庭で何が行われているかを知らない訳ではないのですが、僕はそれを知った上で宴には参加しないと決めているので」
ユーニスはきっぱりと言い放った。カラムはユーニスに対して、伴侶を探す目的についてはまだ告げてないと言っていたが、彼は多分それを全てわかった上でこう話しているのだろうというのが、伝わって来る。
「その理由というのは……やはり……?」
レジナルドは壁にかかる絵画に視線をやった。ユーニスは二人から絵画に視線を移すと、自然とこぼれるような笑みを見せる。カラムから事前に聞いてはいたが、だいぶ内容を誇張しているのだと思っていた。しかし、今のユーニスの表情を見ると、それが誇張などではなく事実だということを理解する。
「絵の中の人物に恋をするなんて愚かだと思うでしょう。でも僕はどうしてもこの方への気持ちを裏切ることは出来ない。心に誓っているのです」
風変りな人なのかと思ったが、実際に目の前にして話を聞いてみると、そうではない。
「君はどうしてそこまで……?」
セシリオがそう言いかけたところで、窓にはめ込まれたステンドグラスが音を立て崩れ落ちる。外部からの侵入者を察知し、レジナルドはセシリオを守る様に前に出た。
「痛っ……」
窓から現れたのは、背の高い男と小柄な男の二人組だ。真っ黒な布で全身をすっぽりと覆い、二人の両眼だけがぎょろりと動く。
「先生、大丈夫です?」
小柄な方はこちらよりも着地をあやまって転んでしまった、背の高い方を気遣う。
窓を打ち破って入って来た割には、こちらに対しての敵意や殺意は不思議な程感じられない。
「ありがとう」
そして妙に礼儀正しい奴らだ。
差し出された手を取って、先生と呼ばれた背の高い男が立ち上がると、ようやくレジナルド達の方に向き直り、深々とお辞儀をした。
「ガラスを破損してしまい、大変申し訳ない。お詫びいたします……」
先生がそう話した所で、部屋の中が眩しい程の光に包まれた、
「え?」
ユーニスの声が聞こえ、
「絵が光っているんだ」
声を張り上げたのは、セシリオだった。
皆の視線が絵画の方に向いたと同時に、
「一体、どうして……?」
ユーニスの声が途切れ、光は強くなり目も開けていられない程になった。
ぐっと目を瞑る。
少しして、やっと薄く目を開けてレジナルドは驚いた。
目の前に広がるのは一面の砂漠。
風はないが、空気は乾燥しており、真っ青な空と、こうこうと太陽が照り付けるのを認識すると、のどの渇きを覚えるほどの熱さを感じる。ぐっと腕をつかまれ、その力強さにレジナルドはほっとした。
「他のみんなは?」
セシリオの言葉に、周囲をきょろきょろと見回してみるが、あたり一面が砂漠で動物も人の姿も見当たらない。
「あっち、あそこにオアシスがある」
セシリオが示したのは、自身の背中側だった。振り返ると、百メートルほど先に確かに彼が言うオアシスがある。ただ、本当に砂漠の真ん中に鬱蒼と生い茂る木々と、その木々に守られる様に泉が湧き出ているのだから、蜃気楼かなにかだろうかと思ってしまい、何度か目をこすってみるのだが、景色に変わりはない。さすがに、見間違うはずもない距離である。
「とりあえず向かってみよう」
立ち上がり、セシリオの手を取る。砂の上は力の加減で表面が如何様にも形が変わり歩きにくく、セシリオを気遣いながらなので歩みはしぜんとゆっくりになるが、幸いなことにそれほど遠くないため、程なくして二人はオアシスに辿り着く。
「ユーニスさん」
セシリオはレジナルドの隣をすり抜けると、泉の前に倒れていた、ユーニスの元に駆け寄った。気を失っていただけのようで、何度か体をゆすると、ゆっくりと瞼が動き、意識を取り戻した。ほっとしたのも束の間。辺りをきょろきょろと見回し、表情を一変させる。
「さっきまで、自室にいたと思ったのですが、ここは一体?」
ユーニスはあまりの変化について行けず、痛みが走ったとでも言う様に、頭を押さえた。
「わかりません。私達もユーニスさんの部屋で強い光に包まれて、気付いたらここに居たんだ。私はこの国にあまり詳しくないものだから、君なら何か知っていると思ったのだが」
レジナルドの言葉にユーニスは、何も言わなかった。しかし、その態度から見るに何かこの場所、もしくはあの光について手掛かりがあるように思われたが、彼が次に口を開いた時に発した言葉は、
「あの部屋にいた黒い衣装を着た二人は? あの二人も光に包まれていましたから恐らく……」
と、慌てた様子で周囲を見回していた。
ステンドグラスを割って入って来た二人組のことだと聞かずともわかる。
しかし、レジナルド達もユーニスの元に辿りつくまで、周囲には目を配っていたが、あの二人の姿は見なかった。
「ユーニスさんと私達が、離された場所にいたことを考えると、彼ら二人も離された場所にいる可能性が高いと思う。近くを探してみよう」
あの黒い衣服をまとった二人の素性は知れないが、最後に平謝りに頭を下げたあの様子を思い出すと、そこまで警戒する必要はないのだろうかとも思いながら、まだ判断するだけの材料がたりないと結論を下す。
ともかく、彼らもどこかにいるのなら、探すべきだと今は思った。