ザハラーン家からの依頼
「そのように言っていただけるのは大変光栄ですが、私ごときがザハラーン商会、ご子息のお役に立てるかどうか」
レジナルドは曖昧に微笑む。
日々の責務や受圧から解放されて、ようやく番になったセシリオとの新婚旅行を決行したレジナルドは今回の旅行ではゆったりとした日々を送ろうと決めており、侯爵家の名前を全面に出すことはせずに、お忍びでこの砂漠の真ん中にあるオアシスを取り囲む様にして出来たカイロスの国に来ていたのだ。
周辺を砂漠に囲まれているため、特産物はないが、様々な国と国との中継地点にある国家のため、古今東西の品物が流通し多くの商人たちが居城を構えた都市である。
物も人も出入りの激しい国であるため、ディアス侯爵家の名前なんて大して知れ渡ることが無いだろうと思っていたのだが、それでもどうしてか、侯爵家の名前は漏れ出てしまうようで。
カイロスの国に着いた翌日には今、レジナルドの前にいる御仁からお祝いのメッセージとささやかながらのプレゼント。そして、今日の会談の場を設けたいと、申し訳なさそうにメッセージの下に小さく書かれていた。面倒事には巻き込まれたくないのだが、昔から家同士で親交のある商家であるのと、セシリオにも行った方がいいと言われてしまうと、断る訳にもいかなくなってしまい、しぶしぶセシリオを宿泊しているホテルでゆっくり休む様に伝えて、一人で出て来た。
レジナルドが居るのは、カイロスの中でも五本の指に入る豪商ザハラーン家の一室である。大きな岩石をどうやってくりぬいたのかと思われる程の立派な屋敷、いや城と言うべきか。部屋の内部にはこれ見よがしに繊細な模様の絨毯だとか、何に使うかわからない黄金の装飾品が飾られ、部屋の天井には、職人が手作業でタイルが精緻に並べられた美しいモザイク模様が色鮮やかにみられる。
レジナルドの手ごたえのない返事に、白いワンピースに頭を大きなターバンで巻いているザハラーン家の現当主であるカラムは身を乗り出し、
「聞くところによるとディアス卿のパートナーの御方は、この国の浴室を特に好まれているとか」
「ええ、まあ……」
本当のことだったので、嘘をつくこともできず、嫌な予感がしたが、視線を彷徨わせながらもそう言った。
セシリオはこの国に来て、カイロスの国で古代から根付いていた、浴場施設が非常に気に入ったようだった。
以前に訪問した和の国では、湯につかる文化があった。それに対してカイロスの国では、温められた部屋に備えられた特殊な鉱石の上に寝そべったり座るなどして、体を温めるというのが浴場の定義だった。店内では専属のスタッフがつき、希望に応じてマッサージ、垢すりをしてくれる。この国でのこういった浴場の文化は千年以上も前から貴族も市民も、身分を問わずに深く根付いたものあり、この浴場の施設もかなり古いものを改修して、ずっと使われているのだという。浴場に行くと、この国の文化に深く触れることが出来る気持ちになるのだと言って、相当に気に入っているようだった。
「実は、私どもでも経営している浴場がありまして、もしよろしければ、この国に滞在している間は、いつでもご利用いただけるように配慮させていただきます」
聞けばその店は、セシリオは、この国に来る列車の中で行ってみたいとパンフレットを見ながら話していた、この国でも予約が困難だと言われる浴場店だった。
レジナルドとしても何とか希望にこたえてあげたいと、予約をしようとしたのだが、伝手がなくもう随分先までいっぱいだとけんもほろろに断られてしまい、どうしたものかと思っていたところだったので、ザハラーン家からこの様な申し出は破格の条件ではあるのだが。
「どうです? 他にもなにか条件があるようでしたら、大抵のことはご要望には応じることが出来ますよ」
ザハラーン家の当主カラムの言葉がはったりではないこともわかる。
どうしたものかとレジナルドは腕を組んだ。
カイロスの国の大商人である、ザハラーン家の直系子息として生まれ、その名前に甘んじることなく、むしろ更に家を盛り立てるほどの人物である。
そのカラムの目下の悩みが彼の息子、ユーニスのことで、レジナルドへ手助けしてほしいとのことらしいのだ。
普段なら、その家々の事情の深く足を突っ込むのはごめんだと言わんばかりに、適当な理由を作って断るのだが、彼の今、目の前にはセシリオが切望していたモノが転がっている。レジナルドはそれを思うとだんだんと目の前の人物に対して恩を売っておくのも悪くないかもしれないと思って来た。
期待を込めた眼差しでこちらを見つめるカラムに対して、困ったように微笑みながらも、口を開く。
「では、どこまでお役に立てるかわかりませんが、この国に滞在している間で宜しければ引き受けましょう」
レジナルドの言葉に、カラムは両手を差し出し、全身全霊で感謝の意を伝える。
「ありがとうございます。ディアス卿であれば、きっと私のことを不憫に思って、そう答えて下さると思っておりました」
「ですが、本当に私がカラム殿の希望に添えるような結果を出せるかどうか、そもそもどこまでお役に立てるかはわかりませんので」
「大丈夫です。私達がどれだけ、コンコンと話をしても聞き入れてももらえないような状況だったので。パートナーの方と万事うまくいかれているレジナルド卿から話をしていいただければ、息子も何か思う事が出てくるのではないかと思います」
いつもは商人としてのポーカーフェイスを崩さないカラムも息子のことが関わると、親としての表情が見え隠れした。
「それで、息子さんにどういった問題があるのです? 具体的にお聞きしても?」
「それは……」
カラムが言いにくそうに腕を動かした時に、ザハラーン家の当主の証とも言える金時計が衣服から滑り落ちた。その金時計を仕舞い込んでからポツリポツリと語った内容に、レジナルドは思わず目を見開き、言葉を失った。