大声の女
戦後処理は猛獣の世話をするより大変だと思ったよ。宮殿の執務室に戻ったおれはたくさんの命令書を作り、サインを入れた。
その後、ソファに横になり、ひとまず昼寝をとった。徹夜は勘弁してほしいと思ったからだが、しばらくすると叩き起こされた。メイドのカレハが面会者を連れてきたのだ。
現れたのは、ハイドリヒとマンシュタイン。またこいつらか、とため息をついた。住民の避難と帰還が無事済んだのだろう。では何が問題なのか。開口一番、ハイドリヒがいった。
「元帥がわたしを隷下に入れと仰る。親衛隊の再編成こそが喫緊の課題ではないでしょうか」
ああ、揉め事かと思ったうえに、人事の話かとも思った。戦争を経て組織がぐらついているのだろう。よくあることだ。
「べつに悪意はありません。ハイドリヒほどの逸材は黒軍に入り、閣下の護衛となったほうが全体のためだと思ったのです」というマンシュタイン 。
その主張は筋が通っているが、ハイドリヒの望みとは相容れない。やつは親衛隊の復活を願い、それを自由に操れる権力を求めているのだろう。
おれはカレハの淹れたコーヒーをひと口飲みながら、頭を整理する。その間も、二人のやり取りは続く。
「元帥こそ、戦役において総統を危険にさらしたではありませんか。本来、意見をできる立場にない」
ハイドリヒは無表情な顔でかなり辛辣なことをいい放つ。しかしマンシュタインも黙ってはいない。
「きみの得意な謀略は黒軍でもできる。親衛隊とかいう玩具で遊ぶほど、乳離れできてないのかね?」
侮蔑を投げかけられても、ハイドリヒは表情を変えない。だが、腑が煮えくり返っていないとは断言できない。
権力の分散を嫌うマンシュタインの立場もわかるが、ハイドリヒが拗ねたら何をしでかすか。二人の対立は、おれがどう収めるかにかかっている。答えは明白だ。
「ハイドリヒの意を汲み、親衛隊の再編成は認めよう。しかし長官の座は空位とする。新たに結成された組織の中で、今後さらなる成果を出した者を長官とする。そして親衛隊には武装を認め、黒軍と共に戦うことを義務とする」
だみ声に力を込め、ハイドリヒを威圧する。ヒトラーとして完璧な演技だ。無論、それをすることで心が揺らぐ。自分が正義の鬼木平蔵か、悪役ヒトラーか一瞬分からなくなるからだ。
そんな揺らぎを前に、ハイドリヒは皮肉っぽく笑い、マンシュタインは無言で一礼して部屋を辞した。
際どい場面だったが、兼ね合いは図れたと思う。そもそも部下を管理するにはコツがあるのだ。互いに競争させ、自分は彼らの調停役になる。そうすることで、部下は貪欲に結果を出そうとし、権力欲を使い果たす。ボスに牙を剝く元気など残っていない。
どちらにしろ今後、マンシュタインとハイドリヒの対立には目を配らなくてはならないと思った。
「ところで総統。長官の座を空位とするのはなぜですか?」
予想どおりハイドリヒが食いついてきた。権力欲を隠し切れていない。
「お前が適任であることはわかっている。だが他にも優秀な者がいる。村民の保護をなし遂げたダリューゲ、曹操軍の襲撃を知らせた者も戦功を挙げた。お前は次の戦いで圧倒的成果を出し、有無をいわせぬかたちで長官の座を勝ちとれ」
「……承知いたしました」
ハイドリヒが深く一礼したとき、カレハが室内に入ってきた。隣に軍服を着た女性を連れている。
「次の面会者をお連れしました」と恭しく頭を下げたカレハ。隣の女性も目の覚めるような敬礼をする。
「わたしはこの辺りで」といい残し、ハイドリヒは軍服の女性と入れ替わった。おれはソファに座り込んでいて、低い位置から女性の顔をまじまじと見る。
その個性的な顔を見た瞬間、激しい電流が走った。そいつは、かつておれが殉職させた部下に瓜二つだったのだ。
ショートボブの髪、ぎょろりとした三白眼、なのに不思議な愛嬌がある。そして若い。あの事件で落命したときから一切変わっていない。
「お前、オジマか……?」と震えるような声が出た。彼女はしかし、いや当然ながら、ヒトラーが鬼木平蔵とは気づかない。「はっ、ナギサ・オジマであります!」と手を後ろにまわして大きな声を出す。この細い体のどこからこんな声が出るのかと思うほどの大声だ。
「この度の任務、ご苦労だった。敵国まで潜り込み、見事な索敵だったと聞いている」
「いえ、閣下の命令が的確だったからであります。部下を死なせず、それだけが自分の功績かと」
あらかじめ褒められるとわかっていたせいか、オジマは控えめに、謙虚な態度をとる。しかしその声はでかく、おれの耳にがんがん響く。
その並外れた大声は馴染み深い。おれはまだ若かった。初めて上役に就き、右も左もわからずにいた——。