最前線へ
木造住宅は驚くほどよく燃える。その当たり前の事実を思い知ったよ。翼竜の情け容赦ない火炎攻撃で、租界のあちこちから火の手が上がる。住民たちはあらかじめ訓練されていたらしく、小高い丘に避難していた。だが、その光景に安堵する暇などない。
おれはハイドリヒの案内で、宮殿の裏手に向かう。そこには軍服を着た連中が雁首揃えていた。服装はきっちりと仕立てられ、毛並みの良さと威厳を備えている。ひと目見て将軍たちであることがわかる。
「準備は万端です、総統」
将軍の中でもひときわ目立つ男が敬礼しながら声を放つ。名前は何だろう。顔にはうっすら見覚えがあるが、おれはハイドリヒの発言を待った。
「総統は焦土作戦をとらず、住民保護を最優先とお考えです。可能ですか、マンシュタイン元帥」
まるで秘書のようなハイドリヒの物腰に、将軍たちは目を見合わせるが、重要なのはそこじゃない。こちらに座った目を向ける元帥。彼があのマンシュタインか?
マンシュタインはヒトラーの幕僚の中で屈指の名将だ。ドイツ陸軍最高の頭脳と讃えられた人物。おれは胸の中で小さく拳を握り締める。彼のような人材が残っているのは幸運でしかない。
「住民保護は可能でしょう。ただし我々が勝たねばなりません」
マンシュタインは淀みなく答えるが、「ねばならない、じゃないんだよ。勝つんだ!」とおれは一喝した。
それを受け、マンシュタインは少し怯んだように見えた。地面に根を張った巨木のような男が、おれの言葉に揺さぶられる。それはヒトラーのカリスマ性のなせる業か、それともおれ自身の覇気がそうさせたのか。
「最前線に向かう。お前が随伴しろ」
瞬時に決断を下し、マンシュタインを指名した。さらにおれはハイドリヒに住民保護の任務を与えた。
「わたしも前線に出ます!」とやつは抵抗したが、おれはハイドリヒを試すことにしたのだ。腹黒い男であるのは周知の事実だが、やつの能力を遊ばせる暇はない。
「住民の一人一人をおれだと思え。無血で守り抜けば、副官に任じてやる」
「副官……!?」ハイドリヒは声をうわずらせた。副官とは、すなわち副総統。ヒトラーの後継者になりうる役職だ。
「親衛隊の敵討ちをしたいのだろ? 全力を尽くせ」おれは厳しい口調でいい放つ。
その言葉にハイドリヒは唇を噛み締め、無言でうなずいた。おそらく腹の底には、複雑な感情が渦巻いている。しかしそれを表に出すことなく、数人の将校を連れてやつはこの場を辞去した。
「さあ、元帥。おれを最前線に」
呼びかけると、マンシュタインは一瞬だけ躊躇したように見えた。どの世界もそうだろうが、トップが現場に出ることはない。けれどおれはずっと違う世界に生きていた。たとえマンシュタインが嫌がってもねじ伏せるつもりだった。
「承知いたしました、総統がそこまで仰るなら」
強情な総統の命令に、とうとうやつも頷いた。貴族のように端麗な顔を上げ、マンシュタインは隷下の軍人に二言、三言指示を出した。「プテラノスを用意しろ」という声が聞こえる。
ほどなくして宮殿の裏手には戦闘部隊が出現した。軍人たちはモンスターを召喚したのだ。彼らは胸ポケットからシャープペンシルのような小型の道具を取り出し、ノックボタンを押し込んだ。すると疾風と共にモンスターが出現し、猛々しい雄叫びをあげた。やつらの尾翼には、黒軍の禍々しい旗が結びつけられている。
「全軍出撃!」と鬨の声を叫んだのは勿論、おれ。モンスターの中でひときわ大きな翼竜――プテラノスが十数騎、抜けるような青空に舞い上がっていく。
「総統は後部座席にどうぞ」とマンシュタインが勧めたが、おれは首を振った。
「いや、おれは前でいい。最前線に立つと宣言した以上、譲るわけにはいかない」
その言葉にマンシュタインは驚きを隠せない様子だったが、「承知しました」とだけ答え、騎乗を手伝った。翼竜が舞い上がると、冷たい風が顔に当たり、火の匂いと煙が鼻をつく。下界では住民の避難が続き、軍勢の整列が進行しているが、上空では敵が空を覆い始めていた。
自軍のプテラノスが現れたことで、敵軍の動きが変わったのだ。低い空域を滑り、街をパニックに陥れていたが、徐々に高度を上げ、こちらを包囲する編成に変えてきた。その動きは、明らかに戦略的な意図を持っている。やつらの神々しい旗が、透明な空を真っ赤に染める。
「総統、ご命令を」と厳かにいうマンシュタイン。これは気遣いだ。ヒトラーは何でも自分が決めないと気が済まない男だったらしい。だが、おれはヒトラーじゃない。
「時間が惜しいな。戦況が悪化するまで、お前が軍勢を動かせ」
そう、とっておきの能力はまだ使うタイミングじゃない。通常戦で勝てるなら、それに越したことはない。
「承知しました。それでは部隊を分散させ、敵の包囲網を撹乱します」
マンシュタインは迅速に命令を下し、プテラノス部隊がそれぞれ異なる方向に飛び散る。これにより、敵軍の動きに混乱が生じた。戦況が好転する兆しが見え始めた。
「叩け、叩け、ありったけの火力を投じて叩きまくれ」
興奮で頭が吹っ飛びそうな状況で、マンシュタインはインカムのような通信機に冷静に命じる。まるで午後の昼下がりに交わす雑談のようだ。
こいつもいま、好機が訪れているとわかっている。しかし問題は、彼我の戦力差が大きいことだった。
敵軍のプテラノスは各個撃破により、次々と地上に落下していくが、倒しても倒しても新たな敵が浮上する。プテラノスは連射が利かないので、相手に反撃の猶予を与えるのは明らかだ。
「ここからどう立て直す気だ?」と聞くおれ。その問いかけにマンシュタインはあくびでも出そうな声を放った。
「立て直す、どころではありませんね。敵将が現れました」
後ろを見るとマンシュタインが双眼鏡を覗き込み、顔をしかめている。それを聞いて目を凝らすと、確かに遠目に新たな部隊が見える。時間が経つにつれ、そこには巨大な竜が含まれているとわかった。サイズを比べると、プテラノスが子供の玩具に見えるほどだ。種類としては火焔竜か。
「厄介な敵が迫ってきますね。赤軍七英雄の一人、曹操です」
「なっ、曹操だと!?」
おれは息をのんだ。三国志でその名を知らぬ者はいない。彼の知略と戦闘能力が、この場においてどれほどの脅威となるか、想像するだけで体毛がよだつ。
「先陣の手勢は少なそうですね。精鋭部隊のみで制圧するつもりかと。こちらの勢力に合わせたのでしょう」
確かにこちらの数を思えば、数百騎もあれば余裕だろう。大部隊は後ろに控えている。
「なめやがって……」
悔しくて舌打ちをしかけた、そのときだ。
瞬間移動でも使ったのか、曹操の操る火焔竜が突如、視界の中央に現れた。難攻不落の城のような巨体は空を裂き、翼の一振りで烈風を巻き起こす。こちらのプテラノスは揺れ、搭乗者たちはしがみつくのがやっとだ。
「曹操孟徳、ここに参上!」
響き渡る声は、鼓膜を突き抜けるように鋭い。周囲の将軍たちは猛烈な圧にたじろぎ、手元の武器を落とす者までいる。
「アドルフ・ヒトラー! 貴様こそ黒軍最悪のラスボス。その首を討ちとり、我こそが天獄を制覇いたす!」
その名乗りを受け、敵軍の動きが良くなった。士気が上がったのだろう。対してこちら側はどうだ? 頼みの綱であるマンシュタインは「退避すべきですね。全滅の恐れすらある」と弱気なことをいいやがる。的確なアドバイスをしているつもりだろうが、一度鞭を入れてやらないとこいつは必死にならない。
「目覚めよ、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン! お前の意気地はその程度か!?」
おれの怒声に、一瞬マンシュタインの眉がぴくりと動く。だがその直後、彼の目に燃え上がるような力が宿った。
「申し訳ありませんでした、総統!」
言葉と共にやつは背筋を伸ばし、ハーネスを力強く握る。そこには、敗北を認めぬ気概と、自軍を背負う覚悟が感じられた。
心ならずも激怒したふりをしたものの、いまのひと言で火が灯ったようだ。しかし間の悪いことに、曹操の乗った火焔竜はこちらの空域に猛スピードで割り込んでくる。
「ラスボス潰しの手柄は俺が貰った!」
その挑発にさすがのおれも気圧された。いや、気圧されたと思った。この違いは大きい。おれは集中力を限界まで上げ、『再定義』を使うタイミングを見計らう。曹操の猛攻を防ぎつつ、戦況を一変させる千載一遇のチャンスを。