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最強の鬼平

 話は過去に遡る——。


 普通の人間じゃ正義をなしえない。まだ駆け出しの頃に遭遇した事件で、おれこと鬼木平蔵はその真実を知った。


 じゃあ普通の人間とはなんだ?


 与えられた仕事、決められた時間、定められた目標をただ漫然と受け入れる者のこと。そういうのを世間ではサラリーマンという。悪い意味じゃない。でもサラリーマンに正義は無理とわかった。


 ゆえにおれは「普通」の殻を破ろうとした。そうしなきゃ、殉職していったオジマに申し訳が立たない。


 まずは体だ。課外でジム通いを始め、警察署の道場で柔道や剣道を徹底的に鍛えた。一対多でも絶対に勝てる強さを追い求めた。防弾チョッキなんて頼らない。素手で銃弾を叩き落とせる体を作るのだ。


 次は知性だ。難解な哲学書を読み漁り、オンライン将棋で戦略を磨く。頭も鍛え抜かなきゃずる賢い悪には勝てない。


 体と頭を強くしたら、その次は心だ。


 折れない心を作るため、苦行で知られる仏僧に弟子入りし、休日は座禅を組み続けた。登山、マラソン、果てはチョモランマにも挑んだ。ありったけの有給を注ぎ込み、上司と険悪になったが。


 最後はそれらを総合する人間力。つまり、カリスマ性だ。


 多くの人を惹きつけ、動かす力にはリーダーシップがいる。これは簡単なようで難しく、難しいようで簡単だ。


 人間としての力がいちばん発揮される分野、それは恋愛だ。すでに妻子がいたが、街でナンパした男女と深い交流をもった。


 こちらに魅力を感じないと、当然相手は乗ってこない。そこではおれのすべてが試され、試行錯誤を数年くり返した。


 男とやらしいことをする趣味はないため、彼らには宗教の勧誘をした。これは自分の「教育費」を賄う副業となった。


 女とは嫌々ながら肉体関係を持った。いわゆる必要悪。おれは死んだ女房以外の女を抱く気はなかったからだ。


 そんな生活を続けて三十歳。おれはほとんど完成されていた。県警のエリートが頭を抱えた難事件を次々と解決することで、そこから怒涛の出世が始まった。


 ノンキャリアでの昇進には天井がある。通例ならそこでとまる。おれはべつに、その天井を突破したかったわけじゃない。必ず正義をなし遂げる、そう誓っただけだ。


 しかし世の中は面白いもので、あまりに結果を出し過ぎるとこれまでのルールがねじ曲がるらしい。


「どこまでいけるかやってみろ」と当時の警察庁長官にいわれた。おれの出す結果がすでに人知を超えていたからだ。


 その頃には、おれの存在は全警察官に知れ渡っており、だれかがこういい出した——最強の鬼平。


 やがて入庁から四十年が経ち、初老になったおれはノンキャリア初の警視総監に任じられた。マスコミには「警視庁史上最強の警視総監」というレッテルを貼られた。鬼木平蔵という名前になぞらえた、「最強の鬼平」という渾名も流布した。


 嘘ではないだろうが、褒められた気もしなかった。なぜなら就任後、おれはすぐさま途轍もない大事件に遭遇したからだ。


  ***


 ——財務省事務次官暗殺事件。


 犯人の正体も、目的も、最初は何ひとつわからなかった。わかっていたのは、連中が次々に牙を剥いてくるという事実だ。主計局長まで爆殺されるに到ると警察の無力さが表沙汰となり、警察庁長官は辞任した。だがそれで、事件が終わるわけじゃない。


「あんたに任せた」


 総理から直々にいわれた。かわりの長官になるのでなく、おれの一存で犯人を逮捕してくれと。


 捜査は困難を極めた。連中は外国人マフィアと手を組み、アジトを転々としていた。情報を追うたびに煙のように消え、成果が見えない日々が続く。それでも三ヶ月後、ついにやつらの根城を突き止めた。


「幹部を洗い出すまで泳がせましょう」と部下はいった。しかしおれは、次の事件が起きることを恐れていた。


 警察はこの国の正義を体現している。その警察の威信にこれ以上傷がつくということは、正義が死に絶えることを意味する。


「おれが現場に出るよ。実行犯を捕まえ、暴力の連鎖をとめてやる」


 警視総監は現場になど出ない。だがおれはノンキャリアから警視庁トップに昇りつめた男だ。これまでの常識など通用しない。執務室にこもってても事件は解決しない。


 冬が終わり、桜が咲き誇る季節だった。捜査の指揮をとるおれは、覆面パトカーの中でその時をじっと待った。実行犯の男が戻ってきたところで逮捕する算段。令状はある。やつを尋問すれば組織の実態が明らかになる。


 アジトは四つに分かれた部隊が包囲している。逃げ道はない。完璧な布陣。そう思ったときだった。


 一瞬、すべてがオレンジ色に染まった。何が起こったか、ソッコーで理解した。


 爆弾を仕掛けられたのだ、覆面パトカーの下に。以前、助手席に座っていたおかげで助かったことがある。だが今回は後部座席だ。判断を誤った。


 意識は戻ったが、体が動かない。時間の感覚もない。何秒経った? そんなことどうでもいい。


「総監!」と助手席にいた部下が乗り出してきた。やつはおれの首を掴み、眼の玉をひん剥いていた。


 そこで理解したよ、体が動かないんじゃない。首から下が、ないんだ。


「救急車!」という声が遠く響く。やがて何も聴こえなくなる。見えなくなる。


「ああ、死ぬんだな」と思った。声に出したかもしれないが、それを聴くことはもう叶わない。


 先立った妻のことを考え、彼女の名前を呼んだ。そして初めて殉職させた部下の顔が浮かんだ。


 オジマ、悪かったな。おれが弱かったせいで。あの世で会えるだろうか。


 暗黒に包まれた世界で、最後に口にしたのが懺悔とは。国民の平和を守れなくて本当に済まなかった。


  ***


 首がちょん切れたおれに体がある。最初に気づいたことだ。病院でくっつけて貰ったのか?


 しかしそうではないらしい。おれは神社の鳥居の前に立っている。随分こじんまりとした鳥居が無数に並んでいる。その鳥居から、一人のガキが現れた。


 見た目は(わらし)というか、平安時代の貴族のような格好をしている。不思議な感じがした。現実感がまったくないのだ。男女の区別もつけられない。


「これからお主には死後の世界、つまり天獄にいって貰う。死んだのだから当然じゃな」


 そういって、童は続ける。


「天獄では、赤の軍勢と黒の軍勢が終わりなき戦いをくり広げておる。前者が正義、後者が悪じゃ。そしてお主には、黒い軍勢、つまり悪の側に立って貰う」


「……なんだと?」


 頭が混乱しているため、言葉を失った。悪? おれが? しかもその童は、こうつけくわえた。


「お主は『ラグナロク』という小説を読んでおるな?」


 生意気そうな態度で妙なことをいい出す。確かにおれはその小説を読んでいた。息子が愛読しているため、ちょっと拝借して読み始めたのだ。


「お主が送られる死後の世界、それは『ラグナロク』という物語の世界と同一なのじゃ。お主は生涯正義を貫いた男。その鋼の意志をもって転生し、物語の“悪”を正しき方向に導いてほしい」


 現実の死後の世界と『ラグナロク』が同じという点に驚いたが、それは瑣末なことだろう。「悪なのに、正義を貫け?」と、そっちが気になった。童は首を横に振った。


「それもそうじゃが、狂った正義をとめてほしい。『ラグナロク』の正義は暴走しておるのじゃ。正しき悪となりうるお主の力で、物語が均衡を取り戻せるか試したい。このままでは天獄が統一され、『ラグナロク』は壊れてしまう」


 話を聞くうち、なるほどな、と思った。『ラグナロク』は正義と悪が拮抗する世界で、終末の日まで続く終わりなき戦いを描く物語だ。おれはまだ五巻しか読んでいない。しかしその先の未来は違う展開になっているらしい。


「もうじき悪が滅ぼされる。秩序を崩壊させないために、お主の力を利用したい」


「ふざけるな。なんでおれが?」といい返す。人を試すような口ぶりに苛立ったのだ。しかし——。


「報酬はこれじゃ」と童は、悪戯好きな猫のように笑った。「特殊能力——『再定義』を授けよう」


「再定義?」と思わず声がうわずった。それはいみじくも、おれが最強をきわめる過程で得た「悟り」のようなものだった。


 物事を再定義し直す。そうすることで、普段は見ないものが見え、新たな発見が生まれる。謎だらけの事件を解決に導くため、おれはその概念をしばしば用いてきた。


「随分とおれを調べているようだな」


「断ることもできるぞ。ただしその場合、天獄に転生することなく『無』になるだけじゃ。当然、成仏もできぬ」


「ああ、確かそういう設定だったな」


 おれは『ラグナロク』のことを思い出し、童の話を整理する。天獄とは成仏できない者たちが送られる場。そんな世界で死ぬと、人は『無』になるという。爆弾に吹き飛ばされた自分には、確かに後悔しかない。だが、それを晴らせるチャンスがあるなら、迷いなど振り切るべきだ。


「いいだろう。悪を変えてやるよ」


「その意気じゃ! わしも『ラグナロク』をつまらないオチにしたくない。頼んだぞ、最強の鬼平」


 童は嬉しそうに拍手を打つ。それを横目に、おれは考え込んだ。


「悪を変えてやる」と啖呵を切ったわりに、胸くそ悪い予感がしてならなかった。そしてその予感は、ラスボスへの転生というかたちで実現してしまったのだ——。

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