第1の攻略対象
前世を思い出した翌日、私は婚約者とのお茶会を開いていた。しかし今の私はのんびりお茶に集中なんて出来ない。前世の知識を思い出す。
攻略対象は5人いる。そのうちの一人が今目の前にいる若き貴公子、ヨハン・ヴィトゲンシュタインである。夜を思わせるような黒い髪に獣のような鋭い眼光。夜空のような深い黒髪が額にわずかにかかり、その下で鋭く光る金色の瞳が、どこか獣じみた危険な魅力を放っていた。細身だがしっかりとした肩幅が目を引き、優雅な動作の中にも力強さが垣間見える。私が一番最初に攻略したキャラクター。一緒に悪のエリザベートを倒した仲だった。そしてなにより今の彼は私の婚約者、つまりは許嫁である。
「どうしました? さっきからぶつぶつと……僕の婚約者としてちゃんとしてもらわないと」
「いえいえヨハン様! ちょっと気分がすぐれなくて……」
「おや? そうですか。エリザ、ではお気をつけて。明日大学で待ってますからね」
そう優しい言葉をかけてくる。生ヨハン様! と少しだけテンションが上がるが、そこに愛がないことを知っている。彼の声は優しい。けれどその瞳は私の顔ではなく、いつもどこか遠くを見ているようだった。
「おはよ~う、エリザ! 昨日は遅くまで勉強をしてたんだって!? 良いじゃないか流石は私の娘」
「あら? あなたらしくないことを……なにか不吉な予兆じゃないかしら」
次の日の朝食の時間、私はお父様とお母様からそう言われた。
長いテーブルの両端に座る両親たちの間には、どこか冷たい空気が漂っていた。
「こらお前! 自分の娘に向かってそんな事を言うもんじゃないよ」
「あら。あなただって息子がほしいくせに。そんな偽善を……」
「エリザに聞かせることじゃないだろう。ほらエリザ。偉いお前にはまた何かかってあげよう」
両親の仲は悪い。私に甘いお父様とそれを苦々しく思うお母様。前世では円満な仲しか見ていなかったから、衝撃的だ。父と母の冷たい火花が飛び交う食卓。その中で微笑む父の顔は、本当に私を見ているのだろうか。母の吐き捨てるような言葉も、私ではなく遠くの誰かに向けられている気がしてならない。
前世では、夕食の時間が一番の幸せだった。父の冗談に母が笑い、私も加わる、そんな温かい時間。それが今では──会話が罵声と皮肉に塗り替えられている。
「いらないですお父さん。それより家庭教師の人がほしいのだけど……」
と頼んでみる。お父様はびっくりした様子で答える。
「どうしたエリザ。喋り方まで変わって。家庭教師かい? それなら気に入らないからと全員追い出したあとじゃないか」
「その気性の荒さ。あなたとは大違い」
「浮気でも疑うつもりか? お前が腹を痛めたんだ。裏切るならお前のほうだろう」
「あ~ら失礼。それならあなたよりもっと優秀な人との男の子を生んで差し上げたのに」
「お父様お母様喧嘩はやめてください! 私……私……」
なんで喧嘩をするの? 私はもう元の世界のお母さんやお父さんに会えない。もっと悲しい思いをしてるはずなのに……あれ? なんで涙が出るんだろう……。こんな場所で泣くわけにはいかない、そう何度も自分に言い聞かせた。けれど、心の中で湧き上がるものを押さえつけるほど、涙が滲んで視界を曇らせていく。
「ああ! 泣かないでエリザ! 私達が悪かったよ。ほらお前も謝って!」
「泣き落としなんて貴族のすることじゃなくてよ。もうほら。泣き止みなさい。美人が台無しよ」
「うえ~ん! お父さん! おかあさ~ん!」
涙が止まらない。もう会えないんだ。前世のパパとママには。
それが悲しくってたまらない。涙が止まらない。どうしよう。
「ほら! エリザ! ここにいるよ? 父も母もここにいるよ?」
「まったく調子が狂うったらないわ。ほら。紙を持ってくるから泣き止みなさい。ね?」
私は結局その後も泣き止むことができず、二人を困らせてしまったのだった。
翌日、私とヨハン様は通っている大学に登校していた。
私とヨハン様は首都にあるヴァイセン大学へ通っている。貴族の子弟が多く通っていて、帝国で最も大きな大学である。
大学の入口には古びた石造りのアーチがそびえ、そこを多くの馬車が通っていく。貴族たちのものだ。私もヨハン様と同じ馬車で通学している。
馬車から降りる時、ヨハン様はこっちに手をさし出してくれた。
「おはようエリザ。さあ僕の手を取って、降りるときは気をつけてね」
「ありがとうございますヨハン様。でも大丈夫これくらい……」
「おや? 今日は自分で歩くのですか? 僕のエスコートが必要だとあれだけ言っていたのに……」
あのゲームの話がわからない以上こういうところで好感度稼ぎはしておかなくちゃ! 油断大敵!
「ヨハン様、すてきですわ~。それにエリザベート様もお似合いですわ~」
「未来の約束された高貴なカップル! その風格がにじみ出ています~」
と取り巻きの子たちが近寄ってきた。今までは横柄な態度で接していたが、この子達もなにか役割があるかもしれないのだ。今までのように接してはいけない。慢心ダメ、絶対!
「出迎えありがとう。えっと……名前を教えてもらえるかしら?」
「そ、そんな! 私なんかはエリザベート様の鞄持ち! 覚えてもらわなくても……」
「私が困るわ! 大丈夫! 友達の名前なんだから覚えるよう頑張るわ!」
「と、友達……? エリザベート様、なにか様子がおかしいですわ~」
「なにか粗相をしてしまいましたか!? なにとぞ、家族だけは……」
「ゆ、許してください! 私であれば何でもいたしますので!」
「そんなことしないわ。昨日までのエリザとは違うって思って? 嫌な気持ちになるなら離れてもらってもいいわ。ただ一緒にいるなら名前を読んで友だちになりたいの!」
「そ、そんな……私の家は小さな子爵家で。釣り合いません。別の方とお間違えになっているのでは?」
「家の格より人の核よ!」
仲良くなるなら相性がいい人じゃないと! それに友人は多いほうがなにかあったときに良いはずだ。
「え、エリザベート様がいよいよおかしくなられましたわ」
「どんなひどいことを思いついたのでしょうか……」
と、取り巻きの子たちは離れていってしまった。さすがにいきなり過ぎたかも?
う~ん、まだ怖がらせちゃったかな。でも取り巻きにカバン持たせて楽しようと今の私は思えない。少しずつ分かってもらわなきゃ!
「それじゃあ先に行くね? 気が変わったらお友達になりに改めてお話をしてほしいわ! じゃあね~?」
そう言って私は教室へ向かうのであった。
「あのエリザが人を気遣う……? 変だな。何があった? 彼女の家は大事な議長選の1票なんだ。何が起きたか、何をする気なのか。調べなくては……」




