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短編・童話集

静かなる言葉

オチを不快に思う方がいるかもしれません。

差別や偏見を助長する意図はありませんが、読み終えて不愉快になったなら、大変申し訳ないです。

 双子の妹、静と私が違うと気づいたのは、たぶん三歳のころ。


 今ではあんまり覚えていない。

 記憶に残っている頭の中の映像は、二つだ。


 思い出その一。

 二人で居間に座っていて、静だけが急に立ち上がる。

 何だろうと思って静の動きを追うと、キッチンへ行ってプリンのカップを持ってくる。

 静が開いた戸の奥には母さんの姿が見えた。

 私にはプリンが与えられないのかと思って悲しくなった。

 でも母さんの手にはプリンがあり、不思議そうな顔をして居間にやってきて、私の目の前に置いてくれた。


 思い出その二。

 静はテレビを見るのが好きだった。

 その静から引き離されて、私は母さんの部屋に連れて行かれた。

 母さんから手渡されたのは絵本だった。

 開いてみると、そこには絵が描いてあって、下に文字があった。

 たしか「みにくいあひるのこ」だった気がする。

 動きがなくてつまらない。

 静と一緒にテレビが見たい、と母さんに言ったけれど、腕を押さえつけられて何度も文字を読ませられた。

 母さんはなぜか泣いていた。

 その泣き顔と、テレビを見れない悲しさで、私も一緒になって泣いた。


 そのへんが、後で聞いた話と照らし合わせても、私の最初の記憶と言っても差し支えのない所だろう。



   ※※※



 事件が起こった。

 事のはじまりは昼休みである。


 私と静が廊下にいて、二人で何の変哲もない言葉を交わしていたときだった。

 同じ学年に杉浦、という生徒がいるそうだ。

 この男はなかなか顔の作りがいい。

 うちの女子からの人気は抜群。

 それでいて元は野球部のエースで四番らしい。

 でも練習が辛いので退部。

 これらの情報は静のものである。


 その杉浦が、私に向かってきて、手に持った映画のチケットを差し出した。


 『一緒に行かない?』


 無神経なやつだ、と思った。

 この男、私のことを知っているのか。

 今までは静を通して知っているだけで、実際に見たことはなかった。

 伝説上の存在とすら思っていた。


 薬品をずいぶん使用したらしい、綺麗な金髪。

 なんだかピアスも各所に付いている。

 うちの学校は自由な校風が売りの私立である。

 これでも違反じゃないらしい。


 ねえなにコイツ、という感じで隣りにいた静を見ると、その目はきらめきを宿している。

 残念なことに、我が妹はいい男には目がない。


 『これが杉浦くん』


 静がそう教えてきた。

 そのとき、不意にいいアイデアを思いついて杉浦に返事をした。


「いいよ。どこで待ち合わせる?」


 静が私の腕をつねる。

 まあまあ、落ち着きたまえ。


 『ぼくは少し用事があるから、そうだなあ……五時に校門ではどう?』


「じゃあ、それで」


 満面の笑顔を見せてやった。

 誘っておいて人を待たせるとはなんてやつだ。


 ところで私は自分でも空恐ろしくなるほどの美人だ。

 双子の妹、静も可愛いが、何らかの繊細なバランスの案配で、私の美貌はもはや神々しさすら宿している。

 その辺は静も認めるところである。


 しかし私がいくら美人とはいえ、知らない同級生から急にデートに誘われるとは思ってもみなかった。

 あのやろう、私がほいほいついていくような女だと思っているのか。

 ちょっとカッコイイからって調子に乗りやがって。


 去る杉浦の様子を見ていると、静がまたつねる。

 その後で強くたずねる。


 『なに? 抜け駆け? 可愛い妹を差し置いて?』


 目が怒りに燃えている。


「行かないよ。あんなやつのどこがいいのか、私にはわからん。大和やまとの民は金髪になどしない」


 『ならどうして?』


「売るの」


 『売る?』


「私が所用のために行けなくなったから、代わりにチケット貰ったって言わせれば、いかに杉浦といえど、そう簡単には断れまい」


 『それで、妹のことは無視ってわけ?』


「三千円でどうでしょう。マッチング費用とすれば、映画のチケット代を考えても、お安く済むほうだと思いますけど」


 私はちょうど三千円あれば、買いたかった本が買えるのだ。

 静は私を見て、悲しそうな表情をした。


 『今お金ないの。明日までなら、何とか』


「だめ。こっちにしてみれば買い手はいくらでもいるのよ。たぶん」


 値段はもっとつりあがるかもしれない。

 ふとそのことに気づいた。


 『売ってよ』


「だめ」


 『お願い、妹のためと思って』


「やだ」


 時計を見ると、もうすぐ午後の授業が始まりそうだった。


「さあ、もう行くよ。授業始まっちゃう」


 しぶしぶついてくる妹を見ながら、私の頭にはマネーという単語が踊っていた。

 Money。

 ひゃっほう。



   ※※※



 午後の授業中、私はノートの一部をちぎり、先生にばれないように隣りの女子に手渡した。

 その紙片にはこう書いた。



【元野球部のエースで四番、アイドルばりの男前、杉浦の体売ります】

【詳しい話はネネまで】



 少しぐらい刺激的なほうが宣伝効果があると思い、こんな風に書いた。

 すぐ隣りで忙しく手を動かす静の、恨みのこもった目線を感じながら、私は紙片の行方を追っていた。

 紙を見た生徒は一瞬、ばっと振り向く。

 私は一番後ろの席に座っているので、こっちを見る様子がよくわかる。

 面白い。

 映画のチケットは机におさまっている。

 その感触を、何度も皮膚で確認した。


 授業が終わると、私の席に人だかりが出来る。

 いい食いつきようだ。

 静がしぶしぶ隣りに座っている。

 私は口を開いた。


「さて、今日の商品はこちらです」


 そう言って映画のチケットを出す。

 みんなの目が不審そうなものに変わる。


「このチケット、なんと杉浦から私が貰ったものです。まったく、美しいというのは罪なものです」


 『バカじゃない。そんなこと言ってるから、変人だと思われるのよ』


 隣りにいた静が、私にそっと伝える。

 いや、いいんだって、と私は思う。

 多少恨まれるくらいが、うざったくなくてちょうどいい。

 憐みを受けるよりもずっとマシ。

 それに、まるっきりウソでもないし。

 むしろ真実。


「さて、杉浦もなかなかの男前ですが、まあ私と釣り合うレベルではありません。よってこのチケットはあまってしまうわけです。これ、ほしいですか?」


 集まっているみんなが近寄ってくる。


「それではみなさん、オークションです。次の授業中、私に紙きれを送っていただきたい。そこに書かれていた値段が一番高かった人に、このチケットを譲りましょう」


 みんな嫌そうな顔をする。

 だけど、この世はギブアンドテイク。

 どうにもならん。


「それじゃ、散った散った」


 みんなが離れていったあと、私は再び机の中にチケットを入れた。



   ※※※



 集計の結果、金三千円が私の元に入ることになった。

 まあ、相場である。

 仕方がない。


 競り落としたのは、ずいぶん化粧が濃いことでおなじみの工藤さん。

 静は彼女のことが好きではないようだ。

 家族として長年付き合っているせいか、あえて言葉で交わさずともそういうのは雰囲気でわかる。

 ちなみに、私もあまり好きじゃない。


 授業が終わってすぐ、その工藤さんが私の元に現れる。


 『早くチケットちょうだいよ、と工藤さん』


「まあまあ、ちょっとお待ちよ。金が先だよ」


 『それはちゃんと杉浦くんとデートできた後に払えばいいんじゃないの?』

 『→強い口調。真剣にデート、とか言う人って笑えない?』


 静に向けてわたしは微笑んで見せる。

 それから、たける工藤さんに、説明する。


「まず言っておくけど、私は杉浦くんに何も説明してないからね、あたり前だけど。で、こっちとしてはこのチケットを工藤さんに渡すだけ。私が来れなくなって代わりにチケットを預かったとかいう説明は全部工藤さんがやる。この条件で飲んでもらわないと、三千円ではちょっとなあ……」


 工藤さんの表情が不安げになる。


 『それでいい。けど、支払いはちょっと待ってくれない?』


「なに?」


 『お金は今日中にあげるから。掃除が終わったらさ』

 『→今、お金持ってないんじゃないの、この人』


 静と目を見合わせる。


「払ってくれればいいけど、別に。でも放課後まで駄目だったら、他の人に行くからね、チケットは」


 『大丈夫、絶対払う』

 『→もしそうなったら、わたしにくれてもいいでしょ?(^o^)v』


 工藤さんは教室を出て行った。

 それから私は、静に中指を立てて見せる。

 冗談じゃない。


 さて、この時も、チケットはまだあった。

 そう、確かに。


 そうしてその後には、下校前の掃除があった。

 ここでチケットを持って掃除に行かなかったのが、私の一大ボーンヘッドである。



   ※※※



「なな、何で?」


 掃除を終えて帰ってきた私は叫んだ。

 みんなの視線がこちらを向く。

 それほど大きな声を出してしまったことに気付く。


 『うるさいよ、ネネ。どうしたの?』


 隣の机に座っていた静が不思議そうな表情をした。


「チ、チ、チケットが……三千円が……」


 私の声に、静は机の中を覗きこんだ。

 すぐに顔を上げると、微笑む。

 

 『バチがあたったのね。妹に辛い思いをさせるからよ』


「バカな!」


 あらん限りの声でそう叫んだ。

 私の声は基本的に、デカくてとてもよく通るらしい。

 みんなが私に再び目を向ける。


 それから時計を見る。

 掃除が終わった今、時間は四時十分。

 マズい。

 工藤さんが近寄ってくる。

 眉間にしわが寄っている。

 

 『ねえ、さっきからうるさいけど、何かあったの? チケットは?』

 『→ちょっと不機嫌そう。不満そうな声』


「え、んっとね、ちょっと待ってて……」


 もう一度机を探ってみる。

 やはりない。


 盗まれた!?


 頭にはすぐにその可能性が浮かんだ。

 掃除に行っている間、チケットが一人お散歩、五時前にはご帰宅なされる、そんなことはありえない。


 事実、机は空になっている。

 誰かが取ったから、なくなったのだ。


 くそっ、と私は自分のうかつさを恥じた。

 このクラスの女子の多くは、杉浦のチケットを私が所有していることを知っている。

 犯人の絞込みは難しい。


 とりあえず、顧客に事実を伝えた。


 『五時なんてもうすぐじゃん! どうするの! 私と杉浦くんのデートは?』

 『→またデートって口に出してるよ、この人(;´д`)』


「大丈夫、何とかする。静、犯人を捜すよ」


 静は嫌そうな顔をした。


 『え、私これから用事があるんだけど。高階たかしなくんに頼んでよ』


「ちょっとくらい付き合って。姉のピンチなの」


 少し視線を落として考えた後、静が返事をした。


 『わかった、出来るだけ手伝ってあげる。でも時間になったら帰るからね』


「そしたら高階に頼むから大丈夫。よし、あと四十分」


 『とりあえず、教室の掃除をしていた人たちを呼ぶ?』


「そうしよう」


 時計はちょうど四時二十分を指していた。

 工藤さんは私たちのやり取りを落ちつかなげに眺めていた。



   ※※※



 高階は私たちの幼なじみで、平凡な顔をした男子である。

 気のいいやつで、なかなか便利だ。


 その高階に、教室で掃除をした班の人間を集めてもらった。

 みんなまとめて、最後尾の私の席の周りに座ってもらう。


 『二人ほど帰っちゃった。これで全部だな』


「そうか、よくやった」


 『こういうの、自分でやって欲しいんだけど』


「私がやるといろいろめんどくさいって、わかるでしょ?」

 

 『そうか?』


「そうよ」


 実はさして私だから面倒くさいということもない。

 一度帰りはじめたクラスメイトを、また集めるなんて、誰がやっても面倒なはずだ。

 それでも素直に、『そうか?』なんて聞いてくる高階は正直でやっぱりいいやつだと思う。


 残っていた班の人間は三人。

 一人が男、二人が女。

 女のうちの一人は、なんと工藤さんだった。

 他の二人は丸山さんと吉原くん。

 いずれも高階と静の友達で、嫌そうな顔もせずこの調査に付き合ってくれている。


 私はまず事件のあらましを告げた。

 掃除に行っている間、とあるチケットを盗まれた。

 誰か怪しげな人物を見てはいないか。


 『見てない、と丸山さん』

 『見てない、と吉原くん』

 『見てたら真っ先に言うわよ、と工藤さん』

 『→ていうか普通に考えたら工藤さんが怪しいよね』


 そうなんだよなあ、と私も思う。

 それに怪しげな人物、といっても犯人になる可能性のある人物はうちのクラスの女子だ。

 怪しい、と見咎められる可能性は少ない。


「他の班員は全員男なの?」


 『そうみたい』


 静がうなずく。


「私の席を動かした人は?」


 掃除の際は、席を一度教室の後方に固める必要がある。

 これは各々の生徒が掃除に向かう前に行うのだけれど、もとの場所に戻すのは掃除を担当する生徒たちだった。

 そして私の席を動かした人ならば、怪しまれずにチケットを盗める。


 『忘れた、と丸山さん』

 『見てない、と吉原くん』

 『忘れた、と工藤さん』

 『→普通そんなの覚えてないって(。-ω-)』


「うーん、そうか……」


 『やっぱり工藤さんだって』

 『私は掃除が終わってすぐに帰ってきた』

 『でも、そのときは掃除してた班の人しかいなかったもん』


「本当に? あのさあ、静が教室に来たときに、教室にはみんなしかいなかったの?」


 一同は少し迷ったような顔をした後、うなずいた。

 それを見て私の頭が回転する。

 それなら、犯人は掃除をしていた人の中にしかいなくなる。

 そして男子はたぶん、野郎と会えるチケットなんかに興味はない。

 ということは、犯人は丸山さんか工藤さんのどちらかだ。


「じゃあ犯人は丸山さんか工藤さんのどっちかなのかな?」


 静が非難の目を向けてきた。


 『そういうことって、本人たちを目の前にして、あんまり口に出すことじゃないと思う』

 『でもやっぱり、そうなるんじゃない』


「丸山さん、工藤さん、何か犯人じゃない証拠ってない?」


 二人とも怪訝そうな表情をして私を見た。

 犯人じゃないのはわかりきっているでしょ、と言う顔だ。


「まあそう怒らないでくださいな。可能性は埋めていくべきでしょ」


 首をかしげながらも、二人は納得したような顔をした。


 『私は別に杉浦くん、格好いいと思わないし。付き合っている人がいるし、と丸山さん』


「え、誰? 丸山さん、真面目そうな顔していつの間に?」


 知らなかった。

 丸山さんと言えば眼鏡アンド真面目一徹なイメージしかなかった。


 『隣のクラスの……』

 『→って、いまは関係ないでしょ。とわたしは思う』


 まだしゃべっている丸山さんを尻目に、静が言葉を切った。

 とりあえずそうだな、と気付いた私は丸山さんの喋りが止まるのを待ってから、工藤さんに目を移す。


「じゃあ工藤さんは?」


 『私は買うつもりだったのに……何で盗む必要があるわけ?』

 『→何か、バカにするなって感じの言い方』

 『→お金がもったいなくなったっていう可能性もあるじゃんね』


「お金がもったいなかったとか、実はお金が足りなかったとか」


 静が告げてくれた可能性を口にしてみた。

 すると工藤さんの顔が歪む。


 『確かにあの時はお金持ってなかった』

 『でもあの後借りたから、今はちゃんと三千円を持ってるもん』

 『見せろっていったなら、今すぐ見せるわ、ほら』

 『→少しわかるわ。いい男のためなら、お金を借りるのもいとわない』

 『→その心意気やよし。でも工藤さんは、もう少し化粧の技術を磨いた方がいいかも』


 工藤さんは財布から三千円を抜き出すと、私に見せた。

 寝癖らしき髪形をした偉い人が三人、並んでいる。

 文句なしの三千円だ。


「工藤さんが怪しげなことをしてるのを見た人は?」


 念のために私はこんなことを聞いた。

 工藤さんを除く二人が顔を見合わせ、私と静に視線を送る。

 そしてそれぞれ口を開く。


 『何もしてなかったと思う、と二人とも』


 私はため息をついた。

 目の前にある三千円がひらひらと天上に舞い上がっていく気分を味わった。

 視線を落とす。


「そっか……じゃあみんな、犯人じゃないのか。丸山さんにも盗む理由はなし、工藤さんも違う。一体、何で机からチケットが無くなったんだろう」


 何で私は本を買えなくなってしまったんだろう。

 くそ、杉浦のやつ何で私にチケットを渡したんだろう。

 これじゃあただの嫌がらせだ。

 期待させられただけ損ってもんだ。


 とんとん、と肩が叩かれる。

 顔を上げると椅子から静が立ち上がっている。


 『わたし、もう時間だから。それじゃあ、また。ってみんなにも伝えて』


「静が、もう時間だから。それじゃあ、また。だってさ」


 みんなが静の後を追って視線を走らせる。

 最後に手を振ると、静は教室から出て行った。

 時計を見る。

 時間はもう、四時五十五分になっていた。


 高階が静に代わって私の隣に座った。

 こいつとは昔からの付き合いで、静には及ばないものの、私の取り扱いには慣れている。

 高階がたずねてくる。


 『これからどうするんだ?』


「あきらめた。もう時間ないし。みんな、帰っていいよ。ごめんね、工藤さん。私の不手際でした」

 

 工藤さんは何か言いたげに一瞬口を開いたものの、ムダだと思ったのか、結局何も言わずに教室から出て行った。

 丸山さんも、荷物を手にして帰っていく。


 高階が吉原くんに何か言って、二人して立ち上がった。

 それを見ていた私に、高階が伝える。


 『帰ろう』


 私はうなずいて立ち上がった。



   ※※※



 校門を通ったときは五時を一、二分越えていた。

 そしてそこに杉浦の姿はなかった。


 あんちくしょう、少しも待たずに帰ったらしい。

 そちらから誘ったくせに、なんていう態度だ。

 そう考えた瞬間に、自分のバカさに気がついた。


「そうだ、校門で見張っていれば。誰が杉浦に会いに来るか、それを監視してればよかったのに」


 高階がこちらを見ていた。

 吉原くんは帰る方向が違うため、校門を出た時点で違う方向に去ってしまっていた。

 そのため、私の世紀の大発見を聞けたのは高階のみだった。


 『そういえば、そうだな』


「でしょ? ああ、天は二物を与えずって言うけど、本当ね。きっとクレオパトラもバカだった」


 『はいはい』


「それにしても、誰が犯人だったんだろう。今となっては、金よりそっちの方に興味があったりして。ほとんど完全犯罪に近いよ、こんなの」


 高階にそう言うと、不思議そうな顔をした。

 そのまま手を伸ばすと、私に触れる。


 『あのさ、どうして静が犯人だって思わなかったんだ?』


 そう伝えられると、えっ、って思った。



   ※※※



 家に帰ってしばらくすると、静が帰ってきた。

 そのとき私は夕食を食べるのにいそしんでいた。

 口をもぐもぐさせていると、廊下を移動する静の姿が見えた。


 不意に静がこちらを向く。

 その視線を追って振り向くと、母さんが何か静に話しかけていた。

 静はふるふると首を振って部屋の方に戻っていった。


「どうしたの?」


 背後で新たなおかずを作っていた母さんに聞いた。

 母さんは軽くこちらに手を伸ばしてくる。


 『静、あんまり食欲ないんだって』


「ああ、そうなんだ」


 大体の理由を想像しながら、食事を食べ終わる。

 廊下を歩いて、静の部屋に向かった。

 ドアを開けると、静は椅子に俯いて座っている。


「早かったね」


 私がそう言うと、静は苦笑いをして首を振る。


「映画、楽しかった?」


 あくまで距離をとって、私が言う。

 静は一瞬顔を強張らせたものの、すぐに口をとんがらせると手招きをした。

 それに従って静に近づく。


 『そういう皮肉、やめてよね。やっぱ、ばれちゃったか』


 静が私に伝えてくる。


「どうせ杉浦から、きみの姉さんのような神々しい美人でなくてはぼくは満足できない! 似たような顔をした妹じゃ足りないんだ! とか言われたんでしょ。あんな軽薄野郎の言うことなんてたかが知れてる」


 私の腕の皮膚がぎゅっと握られた。痛い。

 つねりつつ、静は笑っている。


 『筆談するじゃん。文字を書くのを待ってるの、めんどくさいんだって』

 『仕方がないから話してみたけど、やっぱりわたしの声は、聞き取りづらいんだって』

 『ひどいよね』


「そんなことだろうと思った。デリカシーってのが欠けてるのよ。音が聞こえない人をいきなり映画に誘ったりさ。映画自体が嫌いな場合もありうるわけじゃん、特別な体を持っていれば」


 二人して、自嘲気味に笑った。


「バカ野郎だよ、杉浦は」


 静がさらさらと私の腕に指を走らせる。


 『ノンデリカシーの金髪バカだね、杉浦くんは』


「やっぱりあんた、ずいぶんと辛口ね」



   ※※※

 


 いつからわたしの耳が聞こえなくなったのかは知らない。

 イスラム圏の人が西暦何年から令和の世になったのかを気にしないのと同じぐらい、興味がない。

 でも小さいときは聞こえていたらしい。

 そのせいなのか、時折、夢で音を聞いたりする。

 主に母さんの声である。

 それはあまりにふわふわとしていて形を持たず、こんなものが現実にあるのかと思うと、ちょっと不思議に思われる。


 私とは違い、静は生まれつき喉に問題があった。

 そのせいで、声が上手く出てこない。

 傍目からはニコニコしておしとやかに見える静は、正直、声が出ないことで大分得をしているように思う。

 それは一緒にいる私がよく知っている。

 静はかなり辛口だ。


 私たちは二人、お互いに無い部分を補うように育てられた。

 そのため、私たちはほとんど、お互いのそばを離れたことはなかった。


 『静、お姉ちゃんに音を教えてあげなさい。音子ネネ、静の言葉を音にしてあげなさい』


 母さんはそう私たちに教えた。


 私にとって音とは、静の指の圧力に過ぎない。

 スピーカーに触れると伝わる重低音の振動も、それが音とは思えない。

 静はずっと私のために、情報を指先で伝えてくれた。

 声はすべて文字に変わった。


 その代わり私は彼女の思いを音にしてあげた。

 私は、言葉をつむぎだすことの苦手な彼女のスピーカー代わりになった。


 かつて聞こえていたためか、それとも練習の甲斐があってか、発音は正確らしい。

 静のためにも、私のためにもありがたいことだ。


 それでもこの共生関係は、悪用されることもあるらしい。



   ※※※



 帰り道、高階が私の腕に指を走らせる。

 小さい頃から一緒だった高階も、静の真似をしてその技術を身につけていた。


 『静なら、やれる。盗めるよ』


「え、だって静が帰ってきたとき、掃除をしてた班の人しかいなかったって……」


 高階が腑に落ちないという顔をする。


 『あのなあ、さっきもそれ不思議に思ったんだけど。静の班が教室の掃除をしたんだぜ?』


「……えっ?」


 『え、ってお前……』


 私は少しの間、その意味を考えた。

 私の勘違い?

 ……いや。

 静は確かに『帰ってきた』という表現を使った。

 何のために?


「それならさ、私の席を動かしたのって、もしかして静だった?」


 『みんなそう言ってたじゃないの。聞いてなかったのかよ、って聞こえないか』


 とりあえず高階の頭は小突いておく。

 もちろん私には読唇術の心得もある。

 だが静が隣にいるときは、すっかり油断して、気を抜いていた。


「ダマされた!」


 私が叫んでも、高階はよくわからないような顔をしていた。



   ※※※



「全部、静のウソだったのね。机を動かした人を忘れたって、みんなが言ってたのは」


 静は笑ってうなずく。


 『だって、ネネが変なことさえ言わなければ、バレやしないと思って』

 『私はとりあえずあの時チケットを持ちだせればよかったんだもん』


「はあ。私、バカみたい」


 『ネネはバカじゃないよ。バカなのは、わたし。姉さんダマしてまで傷つけられて』


 静はそれでも、弱々しく笑っていた。


「大丈夫、私はお金がもらえればいいから。明日までには何とかなるんでしょう?」


 『そのつもり。三千円だよね』


「……別にそのお金は要らないからさ、その代わり、私のお願い聞いてくれない?」


 静が不思議そうに首を傾けた。


「明日の帰り、映画に行こう。実はあれ、見たかったんだ。だから静、解説と補足を頼むよ」


 静がまかせろ、という風に自信満々に笑った。

 嬉しくなって、私も笑った。

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