008 潜入
「お騒がせしました・・・」
急いでジーパンを履いて客室の豪華な椅子に座り、警備兵さんに声を掛ける。
固く握り締めた手を膝の上に置いて俯くわたしに、警備兵が遠慮がちに声を掛けた。
「それで、勇者殿。何も問題が無いようでしたら下がりますが、よろしいでしょうか」
「・・・乙女の尊厳に問題はありましたが、大丈夫です。ううう・・・」
「いえ、その、私は何も見ていませんので。ご心配無く」
警備兵に気を遣われ、さらに項垂れる。
いや、項垂れている場合ではない。
行動を起こさねばならない。
「あの、すみません!途中で目が覚めてしまったので、寝る前に一度、お手水に行きたいのですが、よろしいでしょうか・・・」
「はい!そうですね!そうした方がよろしいでしょう。お腹が冷えてしまったかもしれませんし。ご案内しますので、どうぞ!」
・・・やっぱり見たって事ですね、分かります。
恥ずかしさに顔を赤らめながら、警備兵に前後を挟まれて廊下を歩き、トイレへ案内される。
「こちらです。どうぞごゆっくり」
「はい、ありがとうございます」
ごゆっくりというか、このままドロンするつもりなので、素直にお礼をいう。
トイレの奥に入り、警備兵の死角になっている事を確認すると、アドルから貰った魔道具を握りしめる。
すると、指の隙間から黒い光が漏れ出す。魔道具からの発光だろう。
光が体を包み込むと、つま先から体が消え始めた。
うおお、ファンタジックだわ!
鏡を見て、全身が消えている事を確認する。実態はあるのに見えないのは不思議な感覚だが、ゆっくりしてはいられない。
効果は数刻って言われても、実際にどれぐらいの間、効果が続くのか分からないし。
なるべく音を立てず、トイレから出る。
警備兵の姿が見える。気を遣ってくれているのか、やや遠い位置からトイレの入口の方を向いて立っている。
・・・見えてないよね。大丈夫。
わたしは足音を立てないように、ゆっくりと地下への階段に向かって歩き出した。
(疲れたけれど、最初に階段で案内してもらって正解だったね)
徒歩での経路は覚えている。地下に向かって歩くだけなのでたいして難しくも無い。
最初から昇降機を使っていたら、どの辺に向かえば良いか分からなかっただろう。
なにしろわたしは方向音痴だ。
それに昇降機は魔力で動いているようで、わたしでは操作できない。
仮に動かせたとしても無人の昇降機が動作しているところを見られたらまずい事になりそうだし。
(人間、地道が一番だね)
昇降機を使わせろとごねた本人が何言ってやがる、と心の中でセルフ突っ込みする。
地下に向かう階段を降りて最下層まで行き、港湾施設方面に向かって歩いて行く。途中、廊下を巡回する警備兵とすれ違うが、息を殺してやり過ごす。
程なく、水の精霊の間に続く回廊に到着した。
数時間前に見た時と同じく、青白く光る、美しい通路だ。
(さて、アドルが扉の前の警備兵さんをなんとかしてくれると言っていたけど、どうかな?)
回廊を歩くと扉が見えてくる。警備兵の姿は見えなかった。
(おお、アドル有能!)
このまま扉を開いて、結界に飛び込もうとした、その時だった。
カーン!カーン!カーン!
けたたましい鐘の音が城の中を鳴り響いた。
鐘の音にビクッとして、姿隠しの魔道具を取り落としてしまった。
慌てて魔道具を拾い、握り直すが、わたしの姿は消えない。壊れたか、魔力が切れてしまったのだろうか。
姿を隠すのは諦め、姿隠しの魔道具をジーパンのポケットに突っ込み、辺りの様子を伺う。
青い通路には誰もおらず、今のところ見つかった様子はない。安堵の息をついた、その時。
「賊だ!賊の侵入だ!」
再びビクッとなる。心臓がバクバクする。
声は港湾施設の方から聞こえたようだ。
アドルが警備兵に見つかったのだろうか。
通路を少し戻り、廊下の分岐点から港湾施設側をそーっと覗くと、警備兵が慌ただしく走り、声を上げている。
「黒い装束の賊が入り込んでいるぞ!警備兵がやられている!」
たぶんアドルだね。
もしかして私のために囮になってくれているのだろうか?
いや、わたしの姿が見えないのにタイミングなんて計れないだろう。
とすると想定外の事態かな。
再び警備兵の会話が聞こえる。
「結界の張られた城に一体どうやって・・・」
「考えるのは後だ!俺は埠頭に向かう。お前達は水の精霊の通路に向かえ!」
やべえ、こっちに来る!
わたしは急いで青い通路の奥に向かって走った。
「とにかく、扉の中に・・・って開かない!?」
扉が開かない。鍵が閉まっているようだ。
扉の中央付近には鍵穴らしきものがある。
「そんなあ!さっきは開いたじゃない!」
バルゴ達と来た時は、警備兵に扉を開けてもらった。
警備兵が鍵を持っていたのだろうか。
取っ手を掴み、押してみても、引いてみても、扉は開かない。
体当たりもしてみたが、やはりビクともしない、
引き戸だった、というオチがある話を思い出し、スライドさせてみたがやっぱり無駄だった、
そんな事をしているうちに廊下の向こうから、複数の激しい足音が近づいてくる音が聞こえる。
「マズイマズイマズイ!何か!何か無いの!?」
このままでは見つかる。しかも袋小路で逃げられない状態だ。隠れる場所も無い。
気持ちが焦るばかりで、何の打開策も思い浮かばない。
ポケットを探すが、動かなくなった姿隠しの魔道具しかない。
もう一度握りしめるが、結果は同じだ。
「お願い、魔道具、動いて・・・!」
力一杯握ってみても、魔道具は反応しない。
足音はもう間近だ。見つかったらきっと部屋に戻される。
いや、戻されるだけなら良いが、不穏な行動を咎められ、拘束されるかもしれない。
姿隠しの魔道具を持っていた事も不利に働くだろう。
場合によっては殺されるかもしれない。
・・・わたしが死んでも代わり(次の召喚者)がいるもの?
いやいや冗談じゃ無いわよ!
某有名アニメの某有名なセリフに逃避したところで何も解決しない。
もう一度両手で包み込むように魔道具を握りしめ、目を瞑り、祈りを捧げるようなポーズで声を絞りだす。
今度は魔道具にではなく、わたしをここにくるように仕向けたあの人に。
「アドル・・・助けて!」
◇
「待てー!」
近づく足音と共に、警備兵の声が間近に聞こえる。
「賊め、止まれー!」
え、賊?わたし、はやくも勇者から賊呼ばわりに?
かなり格下げを喰らったと思ったが、すぐに違う事が分かった。
青の廊下を走ってきたのは、黒い装束で目だけ出しているアドルだった。
「アドル!」
「ユリ!これを!」
アドルが何かを投げる。
直感で分かる。きっと扉の鍵だ。
握り締めていた姿隠しの魔道具を投げ捨て、鍵をキャッチする。
「アドル、あの・・・」
「行け!いいから行け!」
アドルは通路の途中で足を止め、わたしに後ろ姿を見せたまま、顔だけコチラに向けると、口を覆っている布を下ろし、ニヤリと笑顔を見せた。
警備兵が迫る。
話したいことも聞きたいこともあるが、今はそれどころでは無い。
わたしは頷くと、扉の鍵を開け、鮮やかな油膜のような結界を超えて、水の精霊の間に飛び込んだ。
そして、部屋の段差に足を取られて見事にすっ転び、学習能力のなさを呪った。