006 深夜の来訪者
朝の鐘はまだ鳴っていない。
夜の帳もまだ上がっていないそんな時間に、客室の窓が軽く揺れる。
強い風が吹いたとしても不自然な揺れだった。
その証拠に、窓は内側から外側に向けて開かれ、部屋に人影が降りてくる。
城の外側から客室の窓を開けて部屋に侵入したその者は、静かにベッドに近づくと、寝息を立てている娘の傍らでしゃがむ。
そして、懐から取り出した細長い棒のようなものを薄く光らせ、静かに声をかける。
「・・・起きてください。異世界の娘よ」
娘は静かに寝息を立てている。
再び声をかける。
「・・・起きてください。異世界の娘よ」
寝息が止まり、娘は・・・反対側に寝返りを打ち、再び寝息を立てる。
「ちょっ!・・・起きてくださいって」
少し声が大きく漏れたが、三たび静かに声をかける。
軽く肩も揺さぶってみるが、肩を揺らす手を引っ叩かれて再び寝息を立てる。
しばらくの間、起こす側と起こされる側で攻防が続いたが、起こす側が全敗した。
「・・・仕方ない。ちょっと我慢してくださいね」
侵入者が右手で懐から小瓶を取り出し蓋を開け、左手に白い布を持って由里の口元に当てると、小瓶を由里の鼻に近づけた。
◇
「んーーーー!ん!ん!」
ものすごい悪臭をかがされて目が覚め、反射神経で飛び起きようとするが、口元を上から押さえつけられていて上半身が上がらず、声も出せない。ふと横を見れば・・・誰かいる。
・・・やばい、これ、死ぬ?毒殺!?
目を見開き、不審人物を凝視する。不審人物は口元を布で覆い、目だけを出し、黒い服装で由里の口元を押さえている。
・・・暗殺?・・・わたしが異世界人だから?嫌。死にたくない・・・
恐怖で体が動かない。目からは涙がこぼれ落ちる。
不審者が口元の布を取り何か言っているが、何を言っているのか分からない。
過呼吸気味になり、声も出せない。
・・・ダメ、死ぬんだ・・・
その時、不審者がなにかに気が付き、わたしの胸元をまさぐる。
・・・心臓を一突きする気?・・・それとも体が目当て?・・・ちっぱいで残念でしたね・・・
逆に冷静になり、半ば諦めの心で自重気味にそう思うと、不審者は魔道具のネックレスを手に取り、魔道具を光らせた。
・・・?
ネックレスをそっと離し、不審者が口を開く。
「怪しいものではありません。話を聞いてください」
「めちゃくちゃあやしいわっ!」
盛大にツッコんだ。
◇
「とにかく危害を加えるつもりはありません。絶対に。保証します」
「・・・それを信用しろと?」
「今は信用してもらうしか・・・時間が無いのです」
侵入男はわたしが警備兵を呼ぶ心配よりも、別の焦りを感じているかのように見える。
「・・・寝込みを襲ってくるぐらいだし、バルゴさんやフラウスさんの指示では無いのでしょう?」
「どうしてそう思いますか?」
私は華麗な推理を披露する。
「だって、バルゴさんがわたしをその・・・殺そうと思うならば、召喚した後にいくらでも機会があったし、なにより明日の、水の精霊の凶暴化を解除する仕事があるから、どうせ殺すなら、その後じゃない?」
「なるほど、見た目より聡明な方なのでですね」
「ちょっと待ちなさい。今なんて言った?」
今の発言と、乱暴に起こされてベッドに押し付けられた恨みの相乗効果で、今更ながら腹が立ってきた。
「あ・・・えーと失言でしたか。ごめんなさい。ただ聡明な方だと言いたかっただけなのです」
「だったらそう言いなさいよ!」
ベッドをパンパン叩きながら、思わず声を荒げる。
「あ、騒がしくしちゃったら護衛の人が入って・・・」
「いえ、このぐらいの音ならばおそらく大丈夫です。遮音結界を張っていますので。物音が聞こえたとしても、きっと貴方の寝相が悪いぐらいに思うでしょう」
「やっぱりあなた、喧嘩売ってない?」
こっちの発言を完全無視して、胸元から緑色に光る棒を取り出す。
「これは付近の音を消す魔道具です。オレの周囲の音は結界の外に漏れません。あと、先程会話が通じていないように思ったので、失礼ですが、貴方が身につけている言語理解の魔道具を見せていただいたところ、やはり魔力が切れていたので、魔力を注入して再起動しました」
「ああ、だから何を言っているのか分からなかったのね。・・・もしかしてあなた、護衛騎士の人?それともローブ集団の中の人?」
「ローブ集団・・・確かにオレは魔道師団に紛れ込んで様子を伺っていました。しかしなぜ分かったのですか?顔は隠していたのですが」
ふっふっふっ簡単な事だよワトソン君。
わたしは得意げな顔でふたたび推理を披露する。
「わたしが異世界から召喚された人だと知っていて、さらに言語理解の魔道具を身に着けている事を知っているのは、わたしがこの世界に召喚され、この魔道具を貰い受けた時に、現場にいた人だけでしょう?つまり、あなたはその現場にいた。違いますか?」
「・・・やはり貴方は見た目以上に聡明な人だ」
「オーケー。あなたの喧嘩を買うわ。表に出なさい」
私は扉の方を指さし、男を睨む。
「『オーケー』がなんの事かわかりませんが、外に出ては護衛騎士に見つかってしまいますよ」
「わかってるわよ、本当に外に出たりはしないわよ。あと、オーケーは『良かった』とか『間違いない』とか『大丈夫』みたいな意味。割と汎用的に使えて便利な言葉よ。まあ、それはともかく、あなたがここに来たのは訳ありなのよね」
まだ信用はできないが、暗殺しに来た訳ではなく、わたしとの会話を望んでいる。わたしも話ぐらいは聞きてみようという気持ちになっていた。
・・・どのみち戦ってみても勝てる気しないし。
「はい・・・これから話すことを、できれば信用してほしいと思います。信用した上で、水の精霊を解放してほしいのです」
「開放?ならばバルゴさんと目的は同じじゃないの?」
「違います。バルゴ王は・・・バルゴは、国の裏切り者であり、水の精霊を解放するのではなく支配するつもりなのです」
◇
「あまり時間がないのでなるべく手短に話します。それで、もしも信用してくださるならば、力を貸してもらいたいと思います」
「信用しなかったら?」
「その時は・・・いえ。信用してもらえるよう頑張ります」
曰く、バルゴ王は元々西の大陸の太守であり、その地方の土地の管理と守護をしていた。
ある時、王の招聘に応じて、王都に赴き、王位を受け継いだという。
王は難病を抱えている事を隠して国を治めていたが、いよいよ最期を迎えると悟った王は、王位をバルゴに譲って、数日後に没したのだと言う。
「しかしすべてはバルゴが王位を奪う為に企んだ計画だったのです」
「大胆過ぎない?その計画。よく分かんないけど、王位って継承者がだいたい決まっているものではないの?」
「その通りです。継承者は前任の王が継承者を指名するか、王が急死した場合に備えて、死後に自動的に後継者の名が公開される魔道具に封じ込めておきます。たしかにご子息である王子はいましたが、必ずしも王子が継ぐとは限りません。力がない者は王になれないのです」
「ふーん。王位って単純に世襲ではないのね」
能力主義ってのは悪くないと思うけど、要らぬ諍いが起きやすいとも聞いた事がある。もっとも世襲にしたところで兄弟の間で継承争いをするような話もあるから何とも言えない。
「王位を簒奪したバルゴは、先王の一族を、対外的には引退して別の領地に移り住んだ事にして、殺害しました。城の護衛騎士や衛兵、魔道士団の半数は、バルゴの息のかかった者に入れ替えられました。バルゴに恭順を示した者だけが残り、反抗した者や、先王殺害の事情を知る者は全て殺されました」
「そんな・・・ひどい・・・フラウスさんにしたって、そんな悪い人の仲間には見えなかったのに・・・」
私がこの世界の事を何も知らないのを良い事に、フラウスは人の良さそうな顔でわたしを騙して、利用しようとしていたのだろうか。
色々と丁寧に説明してくれたのは嘘だったのだろうか。なんか悲しいな・・・
「実はフラウスは、もともと先王の護衛騎士団長でした」
「え!?」
「王の側近であるフラウスの人となりは国民も知っていました。真面目で優しく、誠実で、次期王候補はフラウスになるのでは、と思うこともありました」
「うんうん。なんか分かるわ」
「だからこそ、オレはフラウスがバルゴに恭順するとは思ってもみませんでした。そんなフラウスがバルゴの護衛騎士隊長になった事で、国民もバルゴを正式な次期王として認めざるを得なくなりました。フラウスはバルゴに利用されているのだと思います」
何かのっぴきならない理由でもあるのか、あるいはフラウスさん自身もバルゴに騙されているのか・・・
でも先王の側近で、次期王候補と噂されていたぐらいならば簡単に騙されたりしないよね。
「それって例えば脅迫されているとか?」
「あるいは、精神支配や洗脳の類かもしれません」
「ちょっ!怖っ!」
「バルゴはフラウスの後ろ盾のおかげで、本来であれば王の世代交代の時には必ず行っていた国民へのお披露目の儀式を行わず、王位宣言だけを行い、王になりました」
「お披露目?」
「見極めの儀式と、星降りの儀式です」
見極めの儀式は、王として、この星を統べるための資質を問われる儀式で、専用の魔道具によって合否判定されるらしい。
「王候補になる事を望む者は、予め見極めの儀式を行い、それに合格をしていないと次期王候補になる事ができません」
そして王位宣言の時に国民の前でもう一度、見極めの儀式を行い、合格している事を示すそうだ。
本番一発勝負で不合格になったら恥ずかしいしもんね。
「また、王には大精霊を扱うための魔力も必要です」
「ふーん。資質があっても大精霊を扱えなければ王になれない理由って何?」
「王には大事な役目があります。それは星を維持するための大魔術、星降りの儀式の行使です。星降りの儀式には、全ての大精霊の力が必要なのです」
なんかすごそうな儀式だ。
大精霊を扱うぐらいだから、そのための力を持っていることは必須なのだろう。
「星の維持ですか。精霊の力が大地に干渉して恩恵を与えているって話は聞いたけれど」
「一応関係はあります。精霊の力を星に満たすことで、我々はその恩恵を受ける事が出来ます。星降りの儀式を行う事で、星そのものの生命力を回復しているのです」
「精霊の力で星を充電しているようなものかしらね」
「ジュウデンが何かはわかりませんが、星降りの儀式を使わないと、星は死に絶えるという事です」
「死に絶えるって?」
「もちろんいままで実際に直面した事は無いですが、伝承によると、星が消滅するそうです」
「えええっ!?大問題じゃないの!」
思わず大声が出てしまったが、遮音結界のおかげでセーフだ。遮音結界様々だ。
「バルゴは見極めの儀式で合格できず、王候補の資格が得られませんでした。そのため、強硬手段に出たのだと思います」
バルゴは王に「国の発展に関する重要な話がある」と持ち掛け、王から招聘されるという体裁をとって王城に赴き、王を害したという。
その後は先の話の通りである。
しかしバルゴは王位を奪う際に一つ失敗をした。
代々の王が継承する、大精霊を使役するための魔道具の奪取に失敗したというのだ。
先王は最後の力で使役の魔道具を破壊し、大精霊を使役する力を渡さなかった。
先王と親しい関係だった水の精霊は先王を守ろうとしたがバルゴに敵わず、仕方なく逃げようとしたが、バルゴが奪った城の結界の魔道具によって結界に捕らえられてしまい、身動きが取れなくなってしまった。
このままではバルゴに使役されてしまうと悟った水の精霊は、この星の未来に失望して、この星の人間が誰一人として入れない結界を張り、眠りについたと言う。
「つまり、簒奪を企てたバルゴのせいで先王は亡くなり、資質もなく、大精霊も使役できない王となったバルゴはなんとかして大精霊を使役したいと言う事ね」
「その通りです。大精霊の力は強力です。王の資質がない者が得てはいけない力なのです」
王の資質がない者が手に入れてはいけない巨大な力。それが星や民の為ではなく私利私欲に使われては大変なことになるだろう。
先王と水の精霊は苦渋の英断をして、バルゴにその力を渡す事を拒否したのだ。
「そこで、バルゴは精霊を隷属させるための魔道具を作り上げました。どのようにしてそんな物を作る術を知ったのかは分かりませんが、まずは城で休眠している水の精霊に向けてその魔道具を発動させ、水の精霊を支配するつもりなのです。貴方を利用して」
精霊の凶暴化も、それを治してあげるってのも嘘っぱちだったと言う事か。
おのれバルゴめ。
侵入男がやけに事情に詳しすぎるのが気になるけれど、何度も侵入して情報を集めたのかな?
とりあえず話に不審な点はない、と思う。
「話はわかったわ・・・これが本当の話だとするならば、確かにバルゴに協力はできないわね。本当の話ならば」
「まだ信用できないのも無理はありません。実際に水の精霊に会ったら、魔道具を投げ込む前に、水の精霊と話をしてみてくださいませんか。きっとそれで分かってくれると思います」
「まあ、それぐらいなら・・・」
問答無用で攻撃されたら、不審男の話のほうが嘘だったって事にして、バルゴが用意する魔道具を水の精霊に食らわせればいいね。
「できればもっと詳しい話もしたいのですが、あまり時間がありません。オレはバルゴに敵対する組織の人間です。水の精霊をバルゴに渡さないため、そしてバルゴを打倒するために、この星の人間ではない貴方の協力が必要なのです。」
「この星の人間ではないわたしの力ね・・・って、あれ?今あなたが話した事が本当に本当だとすると・・・」
「?」
・・・とても大事な事だ。
聞きたく無いが、確認せねばなるまい。
「わたしね。バルゴに勇者って。結界に屈しない選ばれた勇者って言われたの・・・」
「・・・」
「でも、その結界が『この星の人間が誰一人として入れない結界』って事は・・・」
「・・・」
「この星の人間でなければ、『別に誰でも良かった』って事になるんじゃ・・・」
わずかな沈黙の後、なんとも言えない苦笑いを浮かべながら、侵入男が答えた。
「・・・・・・はい。その通りです。誰でも『オーケー』です」
「ちきしょおおおおお!バルゴめええええええ!選ばれし勇者なんて言われた時のわたしのトキメキを返せえええええ!」