010 水の精霊の間にて
段差で無様にすっ転んだわたしは、そのまましばし呆然とする。
・・・段差なんて嫌い。嫌いよっ!
「いいこと、由里。ここには段差があるのよ。はい覚えたね。もう転ばないね!」
言葉に出してしっかり復習する。
落ち着いたところで、上半身だけ起こすと、あたりを見回す。
わたしは今、水の精霊の結界の中にいる。
「昨夜来た時と何も変わって無いね。当たり前だけど」
薄く光る油膜越しに、青く光る壁が見える。
広い空間の中で、水が揺蕩う音が聞こえる以外、何も聞こえない。
美しく、穏やかな空間だ。
「アドル、大丈夫かな・・・」
扉の外の通路では、アドルと警備兵が対峙して、おそらく戦っているはずた。
しかし何の音も聞こえない。水の精霊の結界には遮音の効果もあるのだろうか。
もしかして水の精霊は『人間の声なんてもう聞いてやんねーよ、ばーかばーか』とか、そんな事も思って結界に遮音効果も追加してたりして・・・なんてね。
さて、前回は結界に入れることだけを確認して、すぐに部屋を出た。
今回は、水の精霊に会わなければならない。
・・・優しい精霊でありますように。
もしもバルゴの話が本当で、精霊が凶暴化していたら逃げるしか無い。
精霊との闘い方なんて知らない。
わたしが倒せるのはせいぜいハゲ上司ぐらいだ。
床に空いた大穴をそーっと覗き込むと、水面から床面まで、十センチ程度のところまで水が上がってきている。
水中に目を凝らすと、淡い光が見える。
さてどうしよう。寝ているならは起こさないといけない。
わたしのように寝起きが良ければいいけど。
「すみませーん、水の精霊さん、いらっしゃいますかー」
・・・返事はない。ただの水面のようだ。
「すみませーん!異世界の方からきましたー!水の精霊さんはいらっしゃいませんかー!」
少し大きめの声で、消化器の訪問販売を彷彿させる物言いで水面に問いかけるが、反応は無い。
「なんか投げ入れてみる?でもそれってなんか失礼な気がするな」
真っ先にお賽銭が浮かんだが、財布を持ってきていない。
この世界のお金なんてもちろん持っていない。
そもそもトレビの泉のように、お金を投げ入れるような場所でも無いだろう。
とりあえず、もっとよく見てみようと身を乗り出した、その時だった。
水面の中央付近から水柱が勢いよく上がり、わたしを飲み込むと、そのまま水の中に引き摺り込まれた。
「ガボガボガボガボガボガボ・・・」
不意をつかれ、声を上げても声にならず、空気が漏れるだけ。
呼吸ができない。まるで洗濯機のように水の中で揉まれ、上下の感覚もわからない。
水泳は苦手では無いけど、鳴門の大渦で泳げるような猛者では無い。
水の流れに翻弄されるままに、わたしは水の中でブンブン振り回された。
・・・酸素が保つうちに止まって!早く水上に出ないと呼吸が!
祈りが通じたのか、次第に水の勢いが弱くなり、流れが完全に止まる。
・・・よし、水上目指して全力浮上!ってあれ?
目の前に、綺麗な女性の顔が現れた。
全身は青系統で、水と同化しそうな色だが、輪郭ははっきり見える。
ワンピースのような服を纏い、手足は細長い。
美女という表現がしっくりくる。
長い髪を水にたゆたわせながら、キョトンという顔をしてこちらを見ている。
そして、その細長い右手でわたしの左腕をガッチリ掴んで離さない。
ちょっ!手!離して!早く!
構わず浮上しようにも、ガッチリ掴まれた腕はビクともせず、浮上できない。
その間もわたしの顔をずーっと見ている。
見ていないで助けて!
もう息が続かない、やばいやばい苦しい。死んじゃう!
手足をバタつかせても、体が浮上することなく、左手の拘束もそのままだ。
青い美女は相変わらず、何をしてるの?という顔でわたしを見ている。
わたしは喉や鼻を指差して息が苦しいアピールをする。
お願い、分かって!
ようやく察してくれたのか、青い美女は説明を理解したような表情を浮かべると、手に光を集め、わたしに向かって放出した。
◇
「・・・あー生きてるって素晴らしい。呼吸ができるって素晴らしい」
わたしは今、光の繭に包まれている。
空気に囲まれているわけでもなく、水の中は違いないが、どういう原理か呼吸は出来る。
言葉も発せられる。
なにより、一命は取り留めたようだ。
そして現在・・・光の繭のすぐ外側から青い美女にガンを飛ばされている。
腕を組み、ワンピースから溢れそうな双丘を見せつけるかのようにしてわたしを見下ろしている。
(めちゃくちゃ怪訝そうな顔で睨まれてるんですけど!怖いんですけど!)
「えーと、あの、大変恐れ入りますが、あなたは水の精霊でいらっしゃいますか?」
機嫌を損ねないよう、超丁寧な物言いで問いかける。
しかし、青い美女は首を捻るだけ。
くっ・・・困った。精霊には言葉が通じないのだろうか・・・あっ!
わたしは言語理解の魔道具を引っ張り出して魔石部分を見る。
光が消えている。
魔力が切れてる!
しかしここには魔力を補充できる人がいない。
いや、いないわけでは無い。目の前の青い美女がいる。
もしも彼女が水の精霊さんなら、魔力を持っているはずだ。
わたしはダメ元で、言語理解の魔道具を指差してから、漫画の念動力使いが念力を放出するようなそぶりで、掌を魔石に向け、顔を真っ赤にして力を込めるようなジェスチャーをする。
果たして、わたしのジェスチャーが通じたのか・・・
青い美女は、分かったような、分からないような、その中間の表情で、右手を前に差し出した。
そして、手から青白い光を放出する。
光はわたしのお腹を貫通して大穴を開けた。
0時/12時に次話投稿します。




