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巨大もめん豆腐


   3


風の強い日に自転車を漕ぐのは水の中を泳ぐようだ。時に流され、時に堰止められる。天気はいいのになんで意地悪すんの? もぉ! 横に押したらふらふらして危ないでしょ……。あっ! 派手にスカートめくんな! やめれっ! その時誰かがどこかで意地悪く笑った、気がする、神様? 諦めて自転車を降りて、押して、どうせ登り坂だし。坂の頂上を越えると見えて来る。あれが我が家だよ。どーでもいいけど。誰もが市立か県立だと思うらしいけど、実は個人病院だ。我ながらでかい。巨大なもめん豆腐が地に生えているようだ。どーでもいい。別にあたしが建てたんじゃないし。



患者さんと同じように門を入って、子供の時にさえ遊んだ記憶のないよそよそしい綺麗な前庭を抜けて、裏に回って玄関に辿り着くまでが道路。そこからようやっと我が家。自転車を玄関先に停めて、両親も看護師さんも中にいるのに自分で鍵を開ける。「ただいまー」とか言っても誰にも届かないので無言。そのまま2階の自分の部屋へ直行。家政婦の福田さんももう帰ってて、1人っ子だし、2階にはあたし以外誰もいないので、制服の上もスカートも脱ぎ捨てる。



この下着姿を誰か男の人に見せる日は来るのだろうか。きっとそれは夫になるひと。両親はなんにも考えてなかったのかやる気のない女の子1人しか子供を作らなかったので、医者と結婚させてそいつに病院を継がすつもりでいるらしい。結婚なんてめんどくさい。まだそんなこと考えるトシでもないけど、もっと簡単に考えればいいのにと思う。もっとシンプルに、病院存続なんて考えずに、どかんと解体して、あとに現れた意外と広くもない広場に、こども達でも遊ばせてあげればいいのに。迷路みたいな滑り台でも作ってあげればきっと喜ばれる。



下着に着替えたら(着替えてないけど)学習机に向かい、マンガを描く。それが帰ってからまずする日課。将来は医者の奥さんになるのは仕方ないとして、自分自身はマンガ家になるのが夢だ。あたしは大学ノートを広げ、描きかけの自分のマンガを見下ろす。コマ割をするのがめんどくさいので、最初に碁盤の目みたいに縦横の線をフリーハンドで引いてある。キャラは見事にデッサンが狂っている。背景はほぼない。物語さえ描ければいいのだ。舞台は架空のファンタジー世界。詳しい設定は神様まかせ。



頭の中には極彩色の、美しいキャラ、かっこいいキャラたちが活き活きと動いてる。大賢者サイダ・フウガ、細面に銀色の長い髪の魔導師。炎の剣士ロブロウ・クロウ・ウォーレン、お気に入りキャラ。かわいい少年僧侶シュカ・ルゥレン。そのお姉ちゃんは水の魔法使いで美人なアクエリア・ルゥレン。みんなあたしの頭の中ではキラキラしてる。大学ノートに描いた途端、ぶさいくになる。でも気にしない。絵の実力が足りないぶんは、あたしの頭の中で補完するから。



部屋は綺麗に片づいている。家政婦の福田さんの仕事のおかげだ。福田さんがもしかしたらこのマンガを盗み読んでいるかもしれないと疑って、机に並べて立てたノートの中に、背を留める白いテープすれすれのところまでいつも大学ノートを少し出している。福田さんが読んでいるならすぐわかる。でも今のところノートは微動だにしていない。このマンガの読者は間違いなくあたし1人だ。自信のある場面を描いたページで開いたまま学校へ行けば読んでくれるかもと考えたこともあるが、べっ、別に読んでもらいたいわけじゃないんだからね。



新人マンガ賞に応募する気はない。世の中にはあたしより凄いひとがたくさんいることを思い知りたくない。子供の頃なら「いつかなるんだ」と目をキラキラさせていればよかった。今は現実的な問題が目の前に増えすぎた。ああ、とかくこの世は生きにくい。そーせき先生も言った通りだ。知に働けば、角が立つ。情に棹させば、流される。あたしがそれに加えるなら……、シンプルに生きようとすれば、めんどくさい。なんでこんなにめんどくさいの。もっと簡単にマンガ家になりたかったらマンガ家になれたらいいじゃん。



マンガの中だけがあたしの世界だ。そこにあたしはいないけれど、登場人物全員になれる。めんどくさいことは省略する。政治のシステムとかもテキトーでいい。いいひとキャラにはいいところしかなくて、悪人キャラには悪いところしかない。それでいいのだ。1人でいる時はあたしはあたしの世界にいる。誰かといる時はあたしの世界が邪魔される。だからあたしは1人でいるのが好きだ。大好きだ。さびしいけど。



井伊さんがこの部屋に遊びに来るのを妄想する。妄想がはじまると、あたしはここにいなくなる。部屋はこの部屋そっくりだけど、そこにはよく喋るあたしがいて、トークで井伊さんを楽しませる。一緒にピアノを弾いて、日本では発売されてないアルゼンチンの歌手の歌を一緒に歌う。井伊さんもあたしと同じようにそれが好きで、あたしと同じ部分でいつも涙を流して、つまりはシンプルに、あたしと井伊さんは同じにんげんだった。



世界が同じにんげんばっかりだったらいいのにな。なんで世界はこんなに色んなものであふれてるんだろ。なんで生きるのってこんなにめんどくさいんだろ。あたしがもしもネズミだったら、こんなことは考えもしないのに。そう思いながら、マンガを描いていると、別のことも思ってしまう。このマンガの登場キャラがみんな同じにんげんだったら、こんな波瀾万丈なドラマにはならないだろうってこと。



最近、マンガを描くペースが落ちた。1日2ページも描ければいいほうだ。やっぱり自分に飽きているのだろうか。新しい刺激が必要なんだろうか。それには外へ出ることなんだろうか。外に出てもいっつも刺激的なことなんてないけれど。どうすればいいんだろうか。生きるとは一体なんなんだろうか。生きるのは楽しい。でもたまに死にたい。どうして楽しいばっかりじゃないんだろうか。こんな世界は間違っている。



小此木くんがこの部屋に遊びに来るのを妄想した。井伊さんが来るよりもありえない。小此木くんは持参の詩集を読み終えると、あたしのマンガを読みはじめる。口から漏れる「天才じゃね?」。その言葉を繰り返し何度も聞きながら、鼻高々であたしが聞く「その詩集とどっちが素晴らしい?」。小此木くんは詩集をゴミ箱に投げ捨てる。あたしのマンガを読み耽る。「天才じゃね?」を繰り返す。ああ、世界は。世界はなぜこのようではないのだろう。



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― 新着の感想 ―
[一言] わたしは 実物のマンガ家さんを見たことがないのでアレなのですが、ランニングにパンツ姿でペンをカリカリって描写があったような… 描くには楽なスタイルなんでしょうか?(?_?)
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