シンプル
「俺……、ずっとおまえのこと見てたんだ」
凛が言い出した。
「一年の時から、ずっと。天使だなって、思いながら……。だから、こんな関係になれて、とっても嬉しかった」
そう言われて、自分でもびっくりするぐらいキモくなかった。
気づかなかったけど、見られてたんだ……どころか、見てくれてたんだ、とか思ってしまった自分のことをむしろキモいと感じた。
凛はさらに言った。
あたしの別れ話を妨害するように。
「おまえ、一年の時、いじめられてたろ? 俺もいじめられてたし、女子のいじめの中に入って行って助けてやれなかったけど、おまえのこと、ほっとけないとは思ってた」
あたしは何も言わなかった。
そう思ってくれていても、何もしなかったなら、思ってなかったのと同じだ。
「おまえのこと、甘いなと思いながら、見てたよ」
「は!?」
あたしは聞き捨てならないことを言われたような気がして、顔を上げた。
「おまえ、何も言い返さず、されるがままになってたろ? あれじゃいじめられて当然だ。いじめられる素質がおまえにはあるんだよ。隙を見せるな。やられたらやり返すぐらいの気概を見せろよ。舐められるからいじめられるんだよ。この先の人生、ずっと舐められ続けるつもりか? 自分はこんなやつだ!って、見せつけられるようなもん、持ってみろよ」
「何?」
あたしは思わず言い返した。
「それがあんたにとっては現代詩!?」
鼻で笑ってやった。
「ああ、すまん」
珍しく、謝った。
「言い過ぎたな。すまんかった」
ここで謝られなければ、勢いで別れ話を切り出せていた。
「もっとシンプルに生きたい……」
自分でも唐突だと思ったけど、あたしはそう言った。
「めんどくさいの、やだ。もっと簡単にできないのかな」
「シンプルなものほど実は奥が深いんだぞ」
凜がまた偉そうに言う。
「貴様はシンプルっていうより単純だ。まるで成長してない子供だ」
「なんでここでお説教!?」
びっくりして、叫んだ。
「大体、シンプルの日本語訳って『単純』じゃないの!?」
「シンプル・イズ・ザ・ベストとは言うけど、単純が一番とは言わない。同じじゃねーよ。そうだな……」
凜は屋上から山の向こうへ視線を向けると、言った。
「真夏に雪が降って、この景色が一面の雪の下に埋まったとする」
「夏に雪は降らない」
「まぁ、聞け。この景色に雪が積もったんだ。世界は空と、雪だけのシンプルなものになり、地平線が生まれた。でも、これはシンプルな世界だけど、単純な世界ではないんだ」
悔しいけど、凜のたとえ話になんだか惹かれた。今、この、屋上から見ている、いろんな人が生活して、自然を切り拓いて作り出している、人間によるめんどくさい世界が、雪に覆われて、空と、雪と、地平線だけの、とてもシンプルな世界になる。それはなんだか魅力的な話に思えたのだ。そんな世界に、住んでみたいと憧れた。すべての煩わしいものから、解放されて。
凜が言った。
「このシンプルな世界で生きて行けると夢見るやつは、単純な頭の持ち主でしかない」
「は!?」
バカにされたような気がして、あたしは思わず声を出した。
「だってそんな世界は、人間にとって過酷だ。人はそこで工夫して、下から立ち昇る寒さに耐え、ギラギラ照りつける太陽にも耐え、食べ物を探し、必死になって生きて行かないといけない。生きるための苦労が、今ある世界とは段違いだ。人間はそんなシンプルな世界では容易には生きて行けない」
「ま……、そりゃそうかもしれないけど……」
あたしは意地になって反論した。
「綺麗じゃん。シンプルで」
「そう。そこに『美』はあるんだ」
凜は屋上の手すりに肘を置き、高い背に見事なカーブを加えて、気取った。
「さすがだな。貴様はやはりわかっている。シンプルなものは過酷で、奥が深いからこそ、美しいんだ。俺はそこで生きてはいけないだろうけど、それに憧れる」
凜の瞳がまたころころと、綺麗な宝玉みたいに、動いた。
あたしは凜の言うことはまったく聞いてなくて、ただその瞳の動きに見とれていた。
予鈴が鳴った。
「うあ!?」
あたしは別れ話を切り出しそこねたことに気づき、うめいた。
「そろそろ授業がはじまるな」
凜が振り向いた。
「貴様がなぜここに俺を呼びだしたのかはわからなかったが、楽しかったよ。さあ、一緒に階段を降りよう」
悔しい!
凜の変な話を聞いてしまうなんて!




