ストーカー
「ねえ、凛はさ……」
あたしは自然に小此木くんのことを凛と呼ぶようになっていた。
「どうして現代詩なんか、みんなの前で堂々と読めるの?」
バスが段差で揺れ、太もも同士がこつんと当たった。
「現代詩『なんか』とはなんだ! 逆に聞くが、なぜコソコソする必要がある?」
凛はいつもの偉そうな口調で、言った。
「コソコソなんかしたら自分の好きなものに対して失礼だ。俺は世界一素晴らしいものを好きでいる自信がある。だからだ」
「ど、どうしたらそんなに自信もてるの?」
あたしは下から凛の大きく開いた鼻の穴を見つめた。
「やっぱり思ってるんじゃない? 自分は特別な人間だ、って」
「素晴らしく、特別なのは、むしろ現代詩の偉大なる詩人のほうだ。ま、それをわかる俺様スゲー、とは正直思ってはいるが、な」
うーん……
この自信、見習うべきなのか、キモいと思うべきなのか……
よくわからなくなって来た。
とりあえずこうなれたら生きるのも楽なのかな、と思ったが、
夏目そーせき先生のことばをまた思い出しもした。
知に働けば、角が立つ。情に棹させば、流される。
なるほど
あれって、知に働けば角が立つって、こういうことだったのか
と、なんだか納得してしまった。
本当に好きなものを愛する心を熱弁すればうざがられ、これこそが世界一素晴らしいものだ! 俺は正しいんだ! なんて主張すれば、角が立って当たり前だ。
シンプルに生きようとすれば、めんどくさい。
あたしが勝手に付け足した駄文だが、これもあながちハマってないことはないと思う。
それはこの夜、家に帰ってから、思い知った。
動物園から帰ると、すぐに『やめますごんぞう』で検索したけど、出て来なかった。名前を覚え間違っていたんだろうか……。そのひとの詩を知れば、ハルちゃんがわかるような気がして、諦めずに記憶をたぐり、『やめますこうぞう』『やめますごんべえ』等々、色々タブレットの検索窓に入れてみたけど、詩人は出て来なかった。名字の『やめます』だけは間違ってない自信があった。
あたしはリアルに友達はいなかったけど、ネットには数えるほどだが、いた。検索を諦めて、マンガを2ページほど描き終えると、タブレットでいつものグループチャットに入室する。興味を共有するひとはほとんど存在しないので、人数はまじで少ない。いつものメンバー4人のうち、2人が既に入室していた。名前はイーアルさんと理聖さん。あたしのハンドルネームは『豚』である。
イーアル【おー、ぶーちゃん。おかえり】
豚【ただいまー】
理聖【今日はどっかお出かけだったの?】
イーアル【いつも昼にもいるのに、いなかったもんねー。もしかして、デートかい?】
豚【うん】
理聖【まじで!!!?】
豚【どーぶつえん行ってきた】
イーアル【ほー……。浮いた話のひとつも聞いたことなかったけど、青春なんだねぇ、やっぱ。ぶーちゃんもJKなんだねぇ】
理聖【どんなひと?かっこいい?】
豚【顔は、いいかも。背も高いし。でも、中身がキモヲタで、外見にもそれが染み出しちゃってるひと】
理聖【えー???】
イーアル【ぶーちゃん、そういうひとが好みなんだ?】
豚【ううん、ぜんぜん】
理聖【ど、どういうこと???】
豚【説明するの、めんどくさい】
それでもあたしは説明した。顔を知らないひと達だから、ほぼ何ひとつ隠さずに。本当はあたしには好きな相手が別にいて、それは女の子であること。その子があたしと凛をくっつけようと頑張っていたこと。彼女のお気に召すように、凛と付き合ってるふりをしていれば、彼女とももっと仲良くなれて、彼女があたしのことを好きになってくれたと確信したら、今のキモ男とはスパッと別れようと思っていること。
理聖【えー?それって危なくない?】
イーアル【うんうん、俺も思う】
豚【危ない?】
理聖【危ないよ~】
豚【どういうこと?】
イーアル【聞くけど、彼、本気になっちゃってない?】
豚【えー。つきあいはじめたばっかだよ? っていうか本当はつきあってないんだけど……】
イーアル【彼がもし本気になってて、ぶーちゃんがその女の子と付き合い始めた途端『別れる』って言い出したら彼、どう思うかな】
豚【本当は好きじゃないって言えば、引き下がるしかないんじゃない?】
イーアル【お子さまだなー、ぶーちゃんは。そんなシンプルなもんじゃないよ】
豚【だって、本当のことだから、仕方ないじゃん】
イーアル【相手の気持ち考えたことある? ぶーちゃんは彼のこと、騙してるんだよ?】
豚【それは……】
イーアル【しかもその彼、ぶーちゃんがキモ男って呼ぶようなやつなんやろ? そういうやつの恨みって特別にブーストするよ? ストーカーに化けるかも】
あたしはその言葉を目にして、たじろいだ。
ストーカーなんて用語、テレビやネットの中だけにあるものだと思っていた。
身近なリアルでは『ストーカーが出た』一度も耳にしたことがない。
『たぬきが出た』や『イノシシが出た』のほうがよっぽど珍しくなかった。
理聖【早いとこ何とかしなよ】
豚【早いことって……? ど、どうすれば……】
理聖【彼が燃え上がらないうちに別れるんだよ】
豚【うーん……】
あたしは考え込んだ。
ハルちゃんはあたしを意識しはじめているように見える。
今、凛と別れれば、本命への乗り換えもスムーズに行けそうな気は確かにする。乗り換え時かも?
でも、幼なじみの凛をなぜ振ったのか、聞かれたら?
元々ハルちゃんと付き合うために、凛を利用してただけだって、白状する?
イーアル【しかしぶーちゃん、悪女だなー】
豚【あ、あくじょ……?】
イーアル【純情なオタクくんの気持ち、もてあそんじゃってさー】
豚【そ、そんなつもりは……】
イーアル【そんなつもりなくても、彼は傷ついちゃうんだよ? あーあw】
豚【……。】
理聖【とりあえずさー、早くなんとかしたほうがいい】
豚【う……、うん】
理聖【下手すると事件になっちゃうかもだから】
豚【じ……、事件……って?】
理聖【ぶたちゃん、殺されちゃうかもしれないよ、彼に】
その言葉にあたしはびびり上がった。
殺される、という言葉にもリアルな感覚がなかった。
そのことばは相手を怒らせてしまったひとが大袈裟に『殺されるー!』とか言うぐらいで、本当に殺されそうな場合に使う言葉ではなかった。
豚【うん……。なんとか……してみる。ありがとう】
イーアル【あらかじめ警察に言って、守ってもらうんもアリやでー】
理聖【まだなんも起こってないうちからは動かないよ、警察は】
イーアル【とりあえず気をつけてなー、ぶーちゃん】
豚【ありがとう。なんとかしてみます】
理聖【どうなったか報告してね? 急にぶたちゃんここに来なくなったら、それこそ警察に通報するよ?】
豚【心配してくれてありがとう。じゃ、落ちるね】
イーアル【また会えること、祈ってるでー】
理聖【またね、ぶたちゃん】
退室すると、あたしは呟いた。
「めんどくさいなあ……」




