ありがとう
ベンチに座って小此木くんが買って来てくれたお茶を飲んでいるうちに、ようやく体の震えが取れたので、あたしはようやく口を開いた。
「あの……。ありがとう……」
「落ち着いたか」
小此木くんは心配そうに顔を覗き込んで来た。
「本当にあいつらに何もされなかったのか?」
「大丈夫だよ」
あたしは微笑んだ。
「お腹をちょっと殴られただけ」
「ハァ!? なんで言わないんだ!? あいつら警察に突き出すことも出来たのに!」
「いいよ。何事もなく済んだでしょ。警察なんて……あのひと達がかわいそうだよ」
「かわいそう!?」
小此木くんは声を荒らげた。
「そんな甘いこと言うやつだから、舐められるんだぞ? おまえ! だからいいようにされるんだ!」
ムッとしたのはその通りだからだろう。
あたしは小此木くんに反撃した。
「何よ。逃げたくせに」
「逃げたんじゃない。警備員を呼びに言ったんだ。俺1人じゃ殴り倒されて終わりだと思ったからな」
「なんて言って、本当は逃げる途中で警備員さんにたまたま出会っただけでしょ?」
「違うぞ。本当だ」
「本当にそうなら、呼びに行く前に警告するのが普通だもん、あのひと達に。『おまわりさん、こっちです!』みたいに」
「おまえ、マンガやドラマの見すぎだな。リアルにあんな場面に遭遇したら、咄嗟にそんな機転きかんぞ?」
「ふつう、きくよ?」
「まぁ、なんていうか、すまんかった」
「は?」
「言われてみればその通りだ。『警備員呼んで来る!』とか俺が叫んでから行っていれば、おまえが腹を殴られることもなかった」
「そうだよ。あたしがお腹を殴られたの、小此木くんのせいだ」
「ああ、俺のせいだ。すまんかった。おまえのお腹に赤ちゃんがいたら、死なせてしまっていたところだ」
キモっ、と思ったが、妙に従順に頭を下げて謝るので、あたしもなんだか自分にも悪いところがあるような気がして、
「よいよい。恩赦じゃ、恩赦。許す。頭を上げい」
と言って小此木くんのモンブランみたいな頭をぺしぺしと叩いた。
犬とも猫とも触れ合ったし、何より遊ぶ気分じゃなくなってしまったので、日はまだ高かったけど、帰ろうということになった。帰りのバスには一緒に乗った。途中まで方向は同じなので。2人掛けの席に、並んで座った。会話はものすごく途切れ途切れだったけど、不思議と居心地は悪くなかった。本当にこのひとといると緊張しない。キモさもなんだかだんだんと薄くなっている。何より突然いきなり何かされそうな危険な感じは元からなかったのだと、気がついた。
「なあ」
小此木くんが言った。
「俺のこと、自分のこと特別だと思ってる、何も出来ないくせに偉そうなやつだって、思ってないか?」
「思ってる」
あたしはすぐにうなずいた。
「だって喋り方からして偉そうでしょ?」
「おいおい……」
小此木くんは自分の顔を手で覆った。
「それでよく付き合ったな」
「うーん……」
あたしは言い訳を探した。
「ハルちゃんが、言ったから」
「なんて言ってた?」
「凛は見た目も中身も全部キモいけど、本当は優しいんだって」
「ハルカがそんなこと言ってたのか」
「うん。おすすめされた」
「見た目も中身も全部キモいのにおすすめされたか」
「うん」
沈黙。
バスが段差を踏んで大きく揺れた。
「おまえもさ」
小此木くんは再び口を開いた。
「表情ないし、無口だし、流行のものとか好きじゃなさそうだし、そんな風に思われてんじゃね?」
「そんな風って?」
「自分のこと特別だと思ってる偉そうなやつ」
「……ああ」
あたしは認めた。
「そうかもね」
「俺も同じだぞ」
「えっ?」
「おまえと同じなんだと思う」
「ああ……」
なんとなく彼の言いたいことを理解した。
あたしと同じ、自分のことを特別だと思っているわけではない、ただ他人と好きなものが違うだけの、ただのおかしなやつだと言いたいのだろう。
そうだとすれば、あたしが彼に興味をもち、ただしそれは恋愛感情などではないと頑なにハルちゃんに主張した理由がわかったような気がした。
同族嫌悪ってやつだったのか。
「だからさ」
小此木くんがまたしばらくの沈黙の後、言った。
「おまえのこと、俺、わかってやれないと思う」
「うん?」
あたしは首をひねった。
「俺達は同じようなやつだから、同じようなやつでも、考えてることはまったく違って、好きなものもわかり合えないってこと。だから俺、おまえのこと、わかってやれないと思うってこと、わかってるやつだと思う」
ぷっ、とあたしは噴き出した。
「何を笑うか、貴様」
小此木くんの鋭い目が睨んで来たけど、怖くはなかった。少しキモかっただけで。
「ややこしい言い方。さすが現代詩が好きなひとだなあって、思って」
「現代詩が好きだったら悪いのかよ?」
「悪くない」
あたしは本心から言った。
「あたしも他人から見たら変な音楽好きだし」
「押しつけはせんぞ」
小此木くんが窓の外に目を移しながら、ちょっと寂しそうに言った。
「勝手に好きになってくれたら嬉しいが、な」
「今度、読ませてよ」
あたしは言ってしまってから、慌てて付け足した。
「……簡単なの、あったら」
今日のお礼のつもりだった。
「本当か?」
小此木くんは目を輝かせた。
「おう。あるぞ。アラカワヨウジとか、タニガワとか」
あたしは彼の目をじっと見つめた。
好きなものの話をする時、彼の瞳はほんとうに綺麗にころころと動く。
それを見ていると、なんだか自分まで嬉しくなって来るのが不思議だった。
「あと、意味はさっぱりだろうが、ヨシマスゴウゾウはハルカも好きだぞ」
「ええっ!?」
あたしは思わずびっくりして声を上げた。
「ハルちゃん、現代詩、読むの!?」
「ああ。他のは何を勧めても暴力で返されたが、あれだけはあいつも気に入って……」
「何? なんてひとの詩だって?」
「ヨシマスゴウゾウだ」
「やめます権蔵」みたいな名前のそのひとの詩に急激に興味をもった。
初めてほんとうに心から、現代詩を読んでみたくなった。




