興味
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あたしは興味をもてるものが欲しかった。興味をもたせてくれるのなら何でもよかった。自分自身にはそろそろ興味を失いはじめていたのかもしれない。教室で、机に肘をついて、窓の外を眺めるふりをしながら、近くの級友の会話を盗み聞きする。SNSで人伝に知ったような話題。匿名掲示板で流行っていて既に話すことは何もないように思えるあの話題。人気があるらしいということとTVや動画で知ってること以外はなんにも知らない芸能人の話題。興味をもてる一点さえ伝わって来なかった。
あたしは自分のことを特別だと思ってない。ただ変わり者なのか、みんなと興味をもつものが違うなぁとしか思っていない。でもみんなはあたしが普通なくせに自分のことを特別だと思っている偉そうなやつだと思ってるらしい。ただのおかしなやつだとわかってくれない。確かにそういうタイプの子はいて、あたしはそういうタイプの子によく似ているらしい。どうでもいい。興味がもてない。あたしの動く力は興味で出来ている。どうでもいい。そう思うから、他人を見下しているように見えるのかも知れない。あたしはいつも1人でいた。
現代詩は難しくてわからなかった。頭のいい人にしか解読できない、意味のわからない記号が並べてあるだけ。それともありきたりでない表現を思いついて遊ぶための言葉のパズルゲーム(しかも糞ゲー)。そんなものだと思っていた。そんなものをいつもみんなの見えるところで堂々と読んでいる小此木凛くんは、あたしを凌ぐおかしなやつだと思っていた。あたしはたとえ好きでも詩集を読む時にはコソコソしてしまうと思う。本当に好きな音楽を聴く時には他人には聴こえないようにするように。堂々と鳴らせるのは、みんなも知っていて、多くの人が好きな音楽だった。
1人じゃないと自分の本当に好きな音楽を聴けないので、1人は好きだった。でも友達はもちろん欲しかった。友達がいると世界が広がる。あたしの知らないことを教えてくれて、あたしも彼女が知らないことを教えてあげられる。あたしの本当に好きな音楽を一緒に聴いてくれて、一緒に泣いたり、一緒に笑ったりしてくれる友達が、本当は欲しかった。でも、あたしは1人だった。ネットの掲示板にあたしの好きな音楽の掲示板はなかった。数少ない同好の人のブログを見つけても、その人はあたしと同じ音楽を聴きながら、違うものを聴いているような話をした。
なぜ小此木くんは堂々と自分の好きな詩集を読むのだろう。人と違っていることが怖くないのだろうか? 一番後ろの列の真ん中の席でどうやらまた詩集を読んでるらしき彼を昼休み中に眺めながら、あたしは興味の対象を見つけたようだった。それまでも他人というカテゴリーに属する人間に対して興味をもったことは少なからずあった。でも身近にいる同い年の男の子に興味をもったのは初めてのことだった。興味はもったけど、話しかけるとかはしなかった。誰にも知られないところでコソコソと楽しむのがあたしらしかったのかもしれない。
ここまで書いてあたしが自分の名前を一度も書いてないことに気づいた。上の名前を呼ぶのは学校では先生ぐらいだったし、下の名前を呼ぶのは親だけだった。「菰原さん」と後ろから呼ぶ声は遠くから聞こえていて、あたしの脳まで届いていなかった。「菰原さん」と2回目に呼ばれても、あたしは遠くの雪原とかを見ていた。「菰原絢音さんっ」とフルネームで呼ばれてようやくあたしは気持ちのいい夢を見ているところを起こされたように3センチほど飛び上がった。
まさか自分が他人から興味をもたれているとは思いもしなかった。しかもクラスで人気投票をしたら上から数えたほうが間違いなく早い伊井春加さんからである。
井伊さんと会話をしたことは何度もあった。あたしは自分からは話しかけないが、彼女のほうからは後ろの席からよく話しかけて来てくれた。あたしが机の上でピアノの練習で指を踊らせていると「トランペット吹けるの?」とか、難しい漢字を書けるようになりたくて何度も書いていたら「宗教に興味あるひと?」とか、見当外れな話ばかりだったが、でも彼女から話しかけてもらえることがあたしは胸の小さな太陽が踊り出すほど嬉しかった。でも、まさか、思ってなかった。井伊さんが、あたしの下の名前を覚えるほどに興味をもってくれてるなんて!
物凄く動転していたのか、あたしは振り向くと、「あは?」という意味不明な返事を井伊さんに返した。
井伊さんは笑い飛ばしてくれた。
「あは? あは……? て、あはははは!」
あたしがちゃんと自分の顔に笑顔が浮かんでいるかどうか感覚を頼りにチェックしながらノロノロしていると、井伊さんは優れたコントロール能力ですぐに自分の笑いをリセットし、新たに気持ちのいい笑顔をそこにセットして、興味深そうに聞いて来た。
「今、ココノギくんのこと、見てたでしょ?」
「うっ」
「興味あるの?」
「えっ」
「ライバルなのかなー」
井伊さんはそう言うと長い綺麗な髪を掻き上げ、楽しい物語が始まるよ、みたいな言い方で、言った。
「あたしもココノギくんのこと気になってるから」
そうなんでふか。知りませんでした。でも滅相もございません。そんなところにこのあたしなんかが参加する気は毛頭ありません。あたしは彼のことがとても変わってると思っただけで、それはたとえば峡谷に旅して変わった形の岩があったから興味をもったみたいなもんで、あなたと張り合うとか取り合うとか、そんなのは美しくて強いレパードとハイエナが餌を取り合うよりもありえないことで、なんというか、小此木くんはあんなだけど顔はとても綺麗で、表情を自分の意のままに作ることさえ困難なこのあたしとは違う世界の住人で。でもそんななのに、なんか、あたしの仲間っぽい感じがして。それで。
あたしが自分の頭の中だけでこれだけの弁解をしていると、井伊さんはまた綺麗な笑顔で、
「楽しくなっちゃうなー、ライバルがいると」
同じボールを奪い合う相手の子犬に向かって言うように、
「ココノギくんて、かっこいいのに狙ってる子、誰もいなかったから」
親しげな両手頬杖で、あたしの顔をまっすぐ見てくれるその顔にこそ、あたしは恋をした。