訪問者
13
「腐ったブルジョアの家だな。貴様、なぜ黙っていた?」
小此木くんが高い天井を珍しそうに見上げるでもなく、あたしを睨んで言った。
「まぁ、貴様自身が建てた家ではないから、どうでもいいが」
「上がっていい?」
井伊さんが聞く。
「ごめん。帰って」と言おうとしたあたしを押しのけるように、小此木くんが勝手に靴を脱ぎ、上がり込んで来た。
「ハルカ。構わず上がれ」
は、ハルカ? 井伊さんのこと、下の名前で呼んだ!
「失礼。住居不法侵入するよ」
井伊さんも靴を脱いだ。
勝手に小此木くんを先導して階段を昇って行く井伊さんをあたしは慌てて追いかけた。
あたしの家なのに!
あたしは逃げるように台所で麦茶を三つ、淹れた。そこに身を隠すように無駄に時間をかけてしばらくいたけど、気がついたように急いで自分の部屋に戻る。井伊さんが小此木くんとキスしてたら嫌だ。
「ココノギがあんたに二日目にして別れ話されたって、泣きついて来たんだよ」
井伊さんは麦茶をこくこくと飲みながら、切り出した。
「泣きついてなどいない!」
小此木くんは井伊さんを睨んだ。
「それに俺の名前はオコノギだ! 他人の名前を間違えるな、無礼だぞ!」
井伊さんは彼を無視して、あたしに言った。
「ごめん。僕が遊びでキスごっこなんかしちゃったから、怒らせちゃったよね? 本当、悪かったって思ってる」
謝らないでよ。
遊びにしないで。
……って、
小此木くんに話したのー!?
「絢音。貴様、俺との……をイメージして、練習してくれていたらしいな」
小此木くんは顔を赤らめた。
「……嬉しいよ」
「おまえ、ちょっと黙ってろ」
井伊さんが小此木くんの頬にパンチを入れた。
小此木くんはきりもみ状に吹っ飛んで行き、あたしのベッドに顔を埋めて止まった。掛け布団めくって中に入り込んだりしたら蹴ってやる。
「とりあえずさ、明日、休みだろ?」
井伊さんの優しい声が、
「ココノギとデートしなよ」
残酷なことを言った。
「デデデデデートだと!?」
あたしの枕を抱きしめて匂いを嗅ごうとしていた小此木くんが顔を起こした。
「そのような低俗なもの……! たまにはいいな!」
冗談じゃない。
現代詩の講習会みたいになるに決まってる。
「行く!」と、あたしは言った。
自分でもよくわからなかったが、ムキになっていた。あてつけのつもりだったのかもしれない。行くと言えば井伊さんが止めてくれるかもと期待していたのは確か。……そんなわけ、ないのに。
「よし、決まりだな!」
小此木くんがあたしの気が変わらないうちに言った。
「行き先はハルカに任せる」
「なんであたしが決めないといけないんだよ」
井伊さんが『あたし』と言ったのでちょっと安心した。
「男だろ。おまえが決めろよ」
彼女が自分のことを『僕』と言うのは、やっぱりあたしの前だけだ。
「俺はデートスポットなどというものは知らん。興味もないのでおまえに任せる。いいな、絢音?」
話を振られてあたしはムキになった言い方で、言った。
「井伊さ……ハルちゃんも一緒に来て」
勢いで初めて彼女を『ハルちゃん』と呼んだ。小此木くんに負けたくなかった。
「は? あたし相手いないじゃん。さびしいじゃん」
石つぶてを井伊さんから投げられた気がした。あたしに対しても『あたし』を使われただけで。
「あたしがいるじゃん」
あたしは言った。
「意味わからん」
ハルちゃんは笑った。
「邪魔だ。ハルカは来るな」
小此木くんが悪い目つきをさらに悪くした。
「あー、まぁ、凛が絢音に悪さしないよう、監視役ということならついて行ってもいいかな」
凛?
凛って呼んだ! 小此木くんのこと!
「あ……あの……」
あたしは聞かずにいられなかった。
「2人って……、仲よかったの?」
「幼なじみだよ」
ハルちゃんが言った。
「っていっても、中学までの仲だったけどね。高校上がってからはほとんど会話もしなくなってた」
「付き合ってたの?」
「うーん……」
少し考え込んでから、ハルちゃんは小此木くんに聞いた。
「あたしら、付き合ってたっけ?」
「バカを言うな、誰がおまえのような暴力女と!」
小此木くんは本心からのように言った。
「子供の頃、一緒によく遊んでいただけだ。しかもいつも俺をいじめてくれやがったよな」
「ま、ひとつだけ言えることは……」
ハルちゃんは小此木くんからあたしに目を戻し、微笑んだ。
「凛はこう見えて、いいやつだよ。だから僕も絢音の気持ちを知って、積極的にくっつけようとしたんだ。本当は凄く優しいし、彼女いたことないからきっと絢音のこと大事にしてくれる。人生初にして最後のカノジョだろうからさ」
「ああ、その通りだ」
小此木くんは肯定した。頬を赤らめて、
「大事にする、絢音。ずっと一年の時から貴様を見ていたんだ」
捕らえた獲物を見るような目で言った。
あたしはどーでもよかった。
どーでもいい相手には大胆になれるのかもしれなかった。
小此木くんの学ランの襟を掴むと、
「じゃ、キスしてよ」
そう言って唇を突き出した。
「こ、ここでか!?」
小此木くんの顔が真っ赤になり、不思議な踊りを踊りはじめた。
ハルちゃんの前でどーでもいいひととキスをして、見せつけてやりたかった。あたし、こいつとキスするよ? いいの? ちらりと横目で見ると、ハルちゃんは驚きながら喜んでいた。ムカつくぐらいに、体を小刻みに躍らせて。あたしはますますムキになって、小此木くんの口に自分から噛みつきに行った。
届かねー……!
こいつ、背が高すぎる!
「今、貴様から……しようとしたな?」
小此木くんがあたしを睨む。
「許さんぞ! アレは男のほうからするものだ! ずっとそういう妄想をしていたんだ!」
「やっぱ、こいつ、キモい!」
あたしは自分から掴んでいた小此木くんの襟を突き飛ばした。
「ハルちゃん……」
彼女のほうを助けを求めるように見た。
「見た目とやること言うこと全部キモいけど、本当にいいやつなんだって」
ハルちゃんは小此木くんをフォローした。
「興味あったんだろ? ほら、キスしちゃいなさい。見ててあげるから」
「も……。いい」
あたしはベッドにダイブした。
「2人とも出てけ」
あたしが断らなかったからだ。小此木くんの告白を断らなかったから、こんなことになった。……なんてことは思わなかった。あたしの気持ちをわかってくれないハルちゃんと、あたしが断れない性格だって知っていてそこにつけ込んだ小此木くんのせいだ、全部そうだ、と思った。今、あたしがこんなやりきれない状況になっているのは、あたしのせいじゃない。世界が意地悪なのだ。
夏目そーせき先生の書いたことばをまた思い出した。知に働けば、角が立つ。情に棹させば、流される。シンプルに生きようとすれば、めんどくさい。最後はあたしがつけ足した駄文だ。あたしは知に働けるほど賢くはないけど、情に棹さしたから流された。とかくこの世は生きにくい。そうだ。生きにくいこの世のせいなのだ。もっとシンプルに、好きなひとを選んで、何も考えずに付き合える、そんな世界なら、こんなことにはならなかった。
自分の妄想の中みたいに、自分の描くマンガの中みたいに、好き→付き合う→幸せになる。それだけでいいじゃない。邪魔なものはいらないじゃん。なんでこんな複雑な物語になってるの。ハルちゃんと仲良くなる→好きな音楽を語り合って、笑い合う→女同士なんて関係なく、好きだから恋人同士になる。それでいいじゃない。小此木ジャマ!
「じゃ、それで行こう」
「ふん。たまにはそういうのもいいだろう」
あたしが頭の中でぶつぶつ言ってるうちにデートの行き先が2人の間で決められていた。




