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あそび


彼女は遊びだった。



 腰が砕けて倒れそうになったあたしを井伊さんは抱き留め、笑った。


「やー、ごめんごめん。こもこもがあんまりかわいいから本当にしちゃったよ」


 あたしはもう一回してほしくて、とろんとした目を閉じようとした。


 井伊さんはしてくれなかった。

「ファーストキスだったか。ごめん。でも女同士だからノーカンね。ママやペットとしたとでも思ってよ」



あたしは冗談にして笑う井伊さんの顔を失恋したように見た。ペットとのキスがあんなに痺れるわけない。思い知った。自分の気持ちを思い知った。



「……帰って」

 あたしは泣き出しそうになるのを必死で我慢して、

「帰って!」

 井伊さんの胸を突き飛ばした。



   11


次の日から学校ではとにかく背中が重たくなってしまった。井伊さんが後ろでシャーペンをノートに走らせる音さえ重く背中にのしかかって来る。授業が終わるたびすぐにあたしは立ち上がり、行くあてもないのに廊下に出た。井伊さんが追いかけて来る気配を察して階段を下りた。でも追いかけて来たのは小此木くんだった。



「絢音!」

 階段を下りて行くあたしに彼が上から叫んだ。

「止まれ! 貴様、足が速すぎるな!」


 あたしは立ち止まると、キッと小此木くんを見上げた。


「絢音って呼ばないでよ」


「なんでだ? 俺たちはアレ……その、アレだろう?」


「クリーニング・オフします」

 あたしは言い渡した。

「だからもう恋人同士じゃありませんっ」


「俺の命令が聞けないのか。バカめ。貴様は人の頼みを断れない……」


「あたしの好きなひとは、別にいます!」

 あたしは声を張り上げた。

「だからもう、つきまとわないで!」


 あたしは階段を駆け下りた。

 小此木くんは追って来なかった。




 教室に戻ると、不覚にも本鈴までまだちょっと時間があった。


「なー、こもこも」

 後ろから井伊さんの謝る声。

「悪かったって。おふざけが過ぎたって~」


 あたしは振り返り、言いたかった。

「井伊春加! あたしは貴様が好きだ! 命令だ! あたしの恋人になれ!」


 言えるわけも、なかった。


 ずっと、怒ったように、黙っていた。


   12


 あたしは井伊さんを無視し続け、遂に放課後になった。

 HRを終えるとすぐに掃除道具を持ち、さっさと掃除を終わらせて、教室を飛び出した。


 後ろで井伊さんと小此木くんが何やら会話をしているのには気づいていた。




「菰原!」


 玄関で靴を履き替えていると、誰かに後ろから名前を呼ばれた。

 女子の声だが、井伊さんではない。


 振り返ると、岩下さんがそこに立っていた。


「菰原。今日はいーちゃんと一緒じゃないの?」


 体が硬直した。


 1年の時、あたしは彼女のグループからいじめを受けていた。


 しかし今ではいじめは収まり、岩下さんはあたしに穏やかな顔を向けている。



不思議な感じだった。あたしの髪を引っ張り、あたしのお腹を蹴ったひとと、仲良さそうに玄関を出て、駐輪場までしばらく一緒に歩く。


「菰原さ。いーちゃんと仲良くしてあげてよ」

 岩下さんは一方的に喋った。

「いーちゃん、あたしらより一つ年上だろ? だからみんなと距離置いてるとこあってさー」


 あたしの足がぴたりと止まった。

 岩下さんのニキビだらけの顔を見ながら、聞いた。


「一つ……年上?」


「あれ? 知らなかった?」

 岩下さんは意外そうに、

「中学の時ダブって、7月産まれだから、今18歳だよ? ありゃ、知らなかったか……」

 しまった言ってはいけないことだったのか、みたいな口調で、ベラベラ喋る。


「中学で留年とか……あるんですか?」

 あたしは聞いてしまった。


 岩下さんは口が軽すぎるのだろう。

 簡単にその言葉を口にした。


「うん。中二の時、自分の親父を半殺しにして、少年院入ってたから」







 1人で帰って、制服を全部脱ぎ捨てると、机に向かった。

 大学ノートを取り出す。マンガを描こうとする。でも、描けなかった。


 ベッドに寝ころんで、ぼーっとした。

 天井に井伊さんの顔が浮かんで、その唇のやわらかさ、あたたかさが甦った。


 涙がぽろっとこぼれた。

 なんで彼女は女の子なんだろう。

 なんであたしも女の子なんだろう。


 なんで女の子が女の子に恋をするのはおかしなことなんだろう。



岩下さんから聞いたことはなんでもなかった。少年院上がり? かっこいいじゃん。むしろ好感度が上がる話だった。年上? どーりで……。年上のお兄さんにのぼせ上がる子みたいに、ますます好きになった。彼女がたとえ人殺しでも、今のあたしにはプラスポイントだった。でも、彼女は遊びだった。「好きだよ、絢音」のことばに脳のてっぺんまで痺れた自分がバカみたいだ。彼女はあたしのことを、ただの同性だとしか思っていない。



 看護師さんが階段を上がって来た。

 あたしの部屋をノックして、言う。


「絢音ちゃん。お友達が来てるわよ」


 井伊さんだ、と直感した。

 というより遊びに来るようなひとは井伊さん以外にいなかった。


「絢音ちゃん? いるんでしょ?」


 あたしは起き上がり、看護師さんに返事をした。


「今……、玄関行きます」





ぺたぺたとスリッパの音を立てて階段を下り、玄関に向かった。正直嬉しかった。恋愛対象と見られてなくても、会いに来てくれたのが嬉しかった。会えることが、嬉しかった。顔を見られることが。何を話すか、どんな顔をするかは会ってから決めよう。とにかく、会いたい。2人きりになりたい。



 玄関の扉をガラリと開けると、井伊さんと小此木くんが並んで立っていた。


 あたしは笑いかけていた顔が引っ込み、意味のわからない組み合わせにぷるぷると震え出した。



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