王太子殿下の婚約者である公爵令嬢は英雄に結婚を申し込む。
今日は王立学園の卒業式の日、そうこの国の貴族の男女にとっては、特別の日なのだ。
めでたく一人前とみなされ、結婚する事が認められるのが、王立学園を卒業するこの日からなのである。
だから、卒業式の後のパーティは男女皆、着飾って出席する。
婚約者がいる男女、恋人関係にある男女も、結婚して欲しければ、男性側から今日この日に正式に申し込みをする。
決まった相手がいる女性にとっては一世一代の日なのであった。
男性は愛しい女性をエスコートして、パーティ会場に入場する。
男性からエスコートされずに、一人で来た女性はいまだフリーという事になる。
卒業生の保護者も当然、出席していたし、国王陛下、王妃、そして、この国の英雄ディストールが特別に出席していた。
一人前になる卒業生を祝って、特別に祝辞を述べる為である。
そして、その歴史に残る事件は起こった。
この国の公爵令嬢エリーナ・カレストリアが宣言する。
「どうか、このわたくしと結婚して下さいませんか。英雄ディストール様。」
ディストールは、困ったようにエリーナを見つめた。
それはそうだ。
エリーナの後ろに立つのは、王太子ハレスト。一歳年上のエリーナの婚約者である。
今日、この日に、ハレスト王太子も婚約者エリーナに結婚を申し込むはずだった。
卒業生達が驚いている中、つかつかと歩み寄って、エリーナの頬をバシッとひっぱだいたのは、王太子の妹のマリーネ王女である。
「わたくしが、わたくしが、ディストール様に結婚を申し込もうと思っていたのに、酷いっ。」
エリーナは負けじと、マリーネ王女に言い返す。
「わたくしは、ディストール様と結婚したいと存じます。」
「わたくしがディストール様と結婚するのよ。貴方、なんで兄がいるのに、ディストール様と結婚したい訳??」
「王太子殿下は、酷いのです。わたくしと言う者がありながら、浮気三昧。
わたくしが知っているだけでも、3人の令嬢達と…もう、我慢できませんわ。
かといって、わたくしにふさわしい殿方と言えば、ディストール様以外におりません。
ですから。わたくしはディストール様に結婚を申し込んでいるのです。」
マリーネ王女は怒り狂って。
「だからって…許しません。わたくしがディストール様と結婚するのです。
わたくしの方がディストール様にふさわしい。この国の最高位の女性です。
浮気位で兄を見捨てないで下さいませ。貴方はおとなしく王妃になればよいのです。」
「浮気位で??浮気なんてされてわたくしが我慢できると思っているのです?
王妃になったら側室だって許さなければならないじゃないですか。嫌です。わたくしは、わたくしだけを愛してくれる方と結婚したいのです。」
エリーナの言葉に、マリーネ王女はつかつかと兄のハレスト王太子の傍に行って、
「兄上。兄上がしっかりしないからこういう事になるのです。側室ぐらいでつべこべ言うな位言って、この公爵令嬢を黙らせなさい。」
ハレスト王太子は困ったように、
「そうは言っても…エリーナは気が強いからな。」
国王陛下がやっとの思いで口を開いて、
「ともかく、ここはせっかくの卒業パーティなのだ。王家の恥になるような言い争いは止めて欲しい。皆の者。パーティを楽しんでくれ。お前達は退場だ。」
ハレスト王太子と、マリーネ王女、エリーナは会場から追い出された。
エリーナは二人と同じ空間にこれ以上居たくも無いので、公爵家の馬車に乗って家路につく。
卒業式に出席していた両親は青い顔をしているだろう。
家を追い出されるかもしれない。でも…でも…エリーナに取って、ハレスト王太子の伴侶になると言う事は地獄だった。
屋敷に戻ると、エリーナは着ていたドレスを脱ぎ捨てて、ベッドに寝転がった。
涙が流れる。
英雄ディストール。漆黒の髪に黒い瞳、黒い騎士服を着たこの英雄は、この国を荒らしていたドラゴンを退治したという功績を持ち、大公職を賜り、ディストール・レドモンド大公と呼ばれていた。
まだ若いこの青年はいまだ独身である。
だから、夜会などに英雄ディストールが出席すれば、貴族の令嬢達が群がって群がって大変だった。
群がる中に、王女マリーネも確かに居て、事ある毎にディストールにアピールしている姿をエリーナは見て知っていた。
わたくしだって、ディストール様と結婚したい。
学生のうちから、社交デビューとして夜会に出席する事を許されているのだが、
エリーナは王太子ハレストの婚約者でありながら、一人で出席する事も多かった。
ハレストは平気で浮気相手をエスコートして夜会に出る男だったのである。
壁の花となって、人々に笑われながら、白い視線に耐える日々。
未来の王妃は、毅然とした態度で耐えなければならないだなんて…
胸の潰れる思いだった。
英雄ディストールは色々な令嬢達とダンスを踊る。
わたくしだってディストール様と踊りたい。
だから、卒業パーティで思い切ってディストールに結婚を申し込んだのだ。
家を追い出されてもいい。
このまま、王妃になんてなりたくはない。
エリーナは覚悟の上だった。
父のカレストリア公爵と母の夫人が戻って来て、
寝ているエリーナの部屋に入って来ると、
カレストリア公爵は不機嫌に。
「国王陛下も王太子殿下も今回の事は不問にするとおっしゃってくださっている。
だから、お前は改めて、王太子殿下と結婚するがいい。」
「嫌でございます。」
「王命ぞ。」
「それでも嫌でございます。」
母の公爵夫人は困ったように。
「嫌がるようならば、公爵家から出て貰わなければなりません。それでも?エリーナ。」
「ええ。わたくしは王妃になんてなりたくはありません。」
カレストリア公爵は、
「解った。修道院へ行くがいい。手配はしておこう。」
エリーナは両親が部屋から出て行った後、泣いた。
修道院へ行ってしまえば、一生結婚は出来ないだろう。
ああ…英雄ディストール様に会いたい。
一度でいいからダンスを踊って貰いたい。
わたくしを見て…わたくしを…
エリーナは屋敷を抜け出した。
迷惑と解っている。
王都にあるレドモンド大公家はこの屋敷から近い。
雨が降って来た。
夢中で走っているエリーナには雨の冷たさが気にならない。
大公家の門に手をかけて、叫んだ。
「ディストール様にお会いしたいっ。どうか会わせてっ…ディストール様っ。」
しばらくすると、ディストール自身が門の前に現れた。
「カレストリア公爵令嬢??門番からの報告に様子を見に来たのだ。
このままでは風邪を引いてしまう。さぁ。中へ。」
ディストールに連れられて、エリーナは屋敷の中に入る。
部屋に通されて、タオルと温かい飲み物が出された。
金色の髪をタオルで拭いて、エリーナはソファに座り、ディストールを見上げる。
冷静になって思った。なんてこの人に迷惑をかけているのだろう。今回も、卒業パーティでも。
ディストールは、温かい紅茶を勧めて、
「ともかく、温まった方がいい。」
「有難うございます。」
紅茶を飲むととても温まって美味しい。
ディストールはエリーナに、
「大丈夫かな…?いや、大丈夫じゃないから、ここにいるんだろう?」
「申し訳ございません。ディストール様には迷惑をかけてしまって。」
「卒業式といい…相当追い詰められていたんだな…」
「卒業式のパーティの時は申し訳ございませんでした。わたくしは随分と強気な事を言いましたけれども、貴方にふさわしいだなんて思い上がりでしたわ。
わたくしは、王妃になる覚悟がない人間です。近いうちに修道院へ行くことになるでしょう。公爵令嬢でなくなったわたくしに、人としての価値はあるのでしょうか。
どうか…お願いです。行く前に…最後に、わたくしとダンスを踊って下さいませんか?夢だったのです。貴方様とダンスを踊る事が。」
「君が壁の花となって、こちらを見ていた事は知っていたよ。だが、王太子殿下の婚約者。声をかける訳にはいかなかった。踊ってあげよう。ただし、明日の夜会で。」
「明日の夜会?」
「今宵はここへ泊っていきなさい。カレストリア公爵には使いの者をやって知らせておこう。
どうせ踊るのならば、派手な会場の方がいいだろう。その方が良い思い出になるだろうから。」
「有難うございます。」
「今夜はお休み。明日を楽しみに。ね?」
「ディストール様。」
その日は大公家の客室へ泊めて貰う事にした。
そして、翌日の夜。王宮で行われる夜会に、ディストールにエスコートされて、エリーナは王宮へ出かけた。
華やかな桃色のドレスはエリーナに良く似合って、ディストールにエスコートされて会場入りすれば、昨日の卒業パーティでの騒ぎを知っている貴族達は驚いたように、噂をする。
娘を心配してか…カレストリア公爵夫妻も来ていて、こちらをチラチラと見ていたが、エリーナは無視して。
そしてパーティが始まる。
ディストールのエスコートの元、エリーナはダンスを踊った。
夢にまで見た英雄ディストールとのダンス。
なんて幸せなんでしょう。修道院へ行く前にいい思い出が出来たわ。
国王陛下、王妃、ハレスト王太子、マリーネ王女が会場へ入場してきて、
ディストールのエスコートの元、踊っているエリーナを見て驚いている。
ダンスを踊り終わると、ディストールはエリーナを連れて、国王陛下の前に行き、
「国王陛下。お願いがあります。私、ディストールはエリーナ・カレストリア公爵令嬢の卒業パーティでの求婚を受け入れたいと存じます。」
マリーネ王女が叫ぶ。
「何でっ。何でよっーーー。」
ハレスト王太子も怒りまくって。
「エリーナは私の婚約者だぞ。不敬である。」
英雄ディストールは腰に差していた黒い剣を抜くと、床にドンと突き刺せば、ピシピシピシと音がして床に亀裂が走る。その亀裂は王宮の広間の中央まで達して、貴族達を驚かせた。
そして、ディストールは言い切る。
「ハレスト王太子殿下。一人の女性を幸せに出来ずして、どうして国を…国民を幸せに出来ましょう。私は結婚するつもりはありませんでした。国の為に英雄として出来る事がしたい。
だが個人としては限界がある。だから貴族との付き合いも考えて大公職も頂き、夜会にも出席して…でも、一人の令嬢が悲しんでいる姿を見るにつけ、胸が潰れる思いでした。
私はまずは、エリーナ・カレストリア公爵令嬢と結婚し、彼女を幸せにすることから始めたいと思います。」
ハレスト王太子は口をパクパクさせていて。
マリーネ王女は父である国王陛下に、
「お父様。なんとか言って。この結婚、認めたらいけないわ。」
国王陛下は、首を振って。
「英雄ディストールを怒らせたら、国を滅ぼされてしまうだろう。
まぁ、この男はそのような事はしないが。何よりも国民の幸せを考える男だからな。
よいだろう。認めよう。」
「有難うございます。」
エリーナは嬉しかった。
ディストールと結婚出来る。何て幸せなんだろう。
ハレスト王太子は叫んだ。
「何が英雄だっ。殺してやるっ。」
剣を手に取ると、ディストールに突っ込んでいこうとする。
そこへ、3人の令嬢達がハレスト王太子に抱き着いて。
「おやめになって。王太子殿下っ。」
「ここで罪を犯したら、廃嫡されてしまいますわ。」
「わたくし達の優雅な側室生活がっ。」
マリーネ王女が怒り狂い、ハレスト王太子を蹴り飛ばして。
「お兄様がだらしがないから、わたくしは英雄ディストールと結婚出来なかったのよ。
わたくしは認めない。衛兵たち。二人を捕らえなさい。」
国王陛下が叫ぶ。
「止めぬかっ。捕らえられる男ではない。」
その時、王宮の天井を突き破り、ドラゴンが顔を出した。
皆、一様に驚く。
「私はドラゴンを倒したのではなくて、手懐けたとな。国王陛下。エリーナと新婚旅行に行ってくる。」
「帰りを待っておるぞ。」
「さぁ。行こう。」
ギリギリと悔しがるマリーネ王女を尻目に、エリーナは英雄ディストールにお姫様抱っこをされ、ドラゴンに乗せられて。
ディストールは爽やかに皆に微笑んで。
「それでは皆さん。良い夜を。」
ドラゴンは空に舞い上がる。
エリーナはディストールに抱き締められて。
「本当にわたくしで良いのですか?わたくしは、価値のある人間ではありませんわ。」
「私が君を幸せにしたいと思ったのだ。エリーナは美しい…きっとこれから、私の手で君は輝けるだろう。」
「有難うございます。わたくしは幸せだわ。ディストール様。」
「私もだ。そして、君も私を輝かせてくれるだろう。一緒に幸せになろう。」
月が煌々と輝く夜に、新婚旅行へ出た二人。
エリーナは愛するディストールの腕の中で、幸福に浸るのであった。