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少女は今日も電車に乗っている【夏のホラー2020】

作者: 佐倉海斗


 その電車が混み合う時間は決まっている。


 平日に走る電車の中でも午前七時発のものと午後六時発のものだ。どちらも理由は決まっている。高校生が通学に使っているのだ。


 それ以外の時間帯では滅多なことでは混み合わない。

 田舎を走る電車。


 利用客が多い時間帯は一時間に一本、少ない時間帯は二時間に一本しか走らない。田舎では珍しくもない話だ。


 ……今日は混んでるな……。


 部活があったのだろう。

 少女はいつも乗っている電車よりも一本後の電車に乗っていた。午後七時に高校の最寄り駅を出発した電車だが、珍しく、押しつぶされそうなくらいに混み合っている。


 ……それにしても、寒い。


 電車の揺れと共に乗客はぶつかり合う。

 避けることもできない混み方をしている。テレビ中継で目にしたことがある満員電車のような状態にもかかわらず、寒いとはどういうことだろうか。


 少女は荷物を持っていない左側だけが寒さを感じていた。

 思わず身震いをする。


 寒さに耐えながらも電車に乗っていると、ふと、少女はあることに気付く。


 ……え。


 声を出せなかった。


 少女の左側に立っている男性の顔色は青褪めていた。片手で器用に本を捲る男性は少女の視線に気づいていないのだろう。無表情で本を読み続けている。


 男性はなにも違和感はないのだろうか。


 少女は男性から目を離せない。――いや、男性の身体にしがみついている子どもから目が離せなかった。


 ……いや、いや、だって、そんなの。


 子どもがしがみついている。

 重たそうな表情には見えない。そもそも、子どもが入る隙間などない。


 少女の視線に気づいたのだろうか。男性にしがみついていた子どもが顔をあげた。


 子どもの眼は見開かれていた。

 今にも零れ落ちそうだった。眼からは赤黒い血が流れている。


 少女の視界に写っていることに気付いているのだろう口角が裂けてしまいそうな歪な笑みを浮かべた。


 ……ひいっ!!


 声が出なかった。

 身体中から血の気が失せる。子どもに手を伸ばされている。


 ……逃げないと。


 あの手に掴まれたらおしまいだ。

 それは勘だった。電車の揺れが収まる。


 ……逃げないと。


 少女が下りる駅ではなかった。

 しかし、そんなことは言っていられなかった。


 大急ぎで電車を降りる。誰も少女の慌てた姿を気にしない。居眠りをしていたのだろうと思われているのかもしれない。それは少女の隣に立っていた男性も同じだった。


 駅のホームに足をつける。

 少女が降りた直後、電車は出発した。


「う、わ……」


 思わず、振り返ってしまった。

 誰も気付いていないのだろう。電車の窓は全て血だらけだった。


 子どものような手形がたくさんついている。そして、出発した電車の中から男性にしがみついたままの子どもが外を睨みつけていた。


 それは子どもだと認識をしていなければ、子どもには思えなかっただろう。


 黒い煙のようにも見えた。

 楽しそうに笑っている。


 逃がさないと言いたげな顔をしている。

 少女は電車が去るまで動けなかった。



* * *



 思い返せば、それが少女の不幸の始まりだった。



 電車に乗ると少女は寒気に襲われた。寒気がする方向を見ないように気を付けているのだが、なにかの拍子でそれらは少女の視界に入り込む。まるで気付いているのだろうと訴えているかのようにも思えて仕方がなかった。


 電車を変えるわけにはいかなかった。


 少女が通う高校にはこの電車に乗る以外の方法はない。自転車通学を選べば、少女は毎朝一時間半以上もかけて自転車を漕がなくてはいけない。とても、それをする体力も勇気もなかった。


 時間を変える選択肢もなかった。


 一本前の電車に乗れば学校が開くまでの一時間をどこかで潰さなくてはならず、一本後の電車に乗れば遅刻は避けられない。


 この電車に乗る以外の方法はなかったのである。


「……」


 声だった。

 聞き取ることができない小さな声だ。


 電車の中にもかかわらず、少女の耳にははっきりとその音が声であると認識できる。だが、なにを言っているのか、理解をすることはできない。


「……」


 また聞こえた。

 少女はその声に反応をすることができない。


 あの日、明らかにおかしい子どもと遭遇をした以降、度々同じような現象に悩まされていた。声がする方向を向けばおかしな状況に陥るのはわかっていた。


「……」


 それが幽霊と呼ばれるものたちなのだろう。

 なぜ、少女が視えるようになったのか、わからない。


 少女は眼を閉じた。眼を閉じてしまえば声は気になっても、恐ろしいものを見なくてすむ。そう考えたのだろう。


「――おい」


 声がはっきりと聞こえた。

 しかし、聞いたことがない声だった。


「おい」


 今度は女性の声だ。


「おい」


 今度は男性の声だ。


 少女の足になにかが触れた。冷たくも暖かくもない。ただ、なにかがそこにいると主張しているだけの感覚だった。


「……っ!!」


 目を開けてしまった。声はでなかった。


 少女の目の前には老婆が立っていた。あの時の子どもと同じ、真っ赤な眼をしている。


 見開かれた目、引き裂かれたような口。

 なぜだろうか。愉快そうに笑っているようにも見える。


「視えてるんだろ」


 はっきりと聞こえる。

 まるで生きている人間のようだった。


「……え?」


 思わず、返事をしてしまった。

 慌てて口に手を当てるが、誰も少女を気に掛けていない。


「あぁ、やっぱし」


 老婆は笑っていた。

 それから少女に手を伸ばす。その手は真っ赤に染まっていた。


「ひぃっ」


 生きていない。

 少女にはそれがわかってしまう。


 なぜだろう。あの日、子どもに出会うまでは少女はそういった現象とは無縁だった。幽霊や怪奇現象など信じてもいなかった。


 ……どうしよう。


 目の前の老婆の後ろに立っているのは同級生だ。

 同級生は眠たそうな表情をしている。


 ゆっくりと老婆から目を逸らして、周囲を見渡すとそこには老婆が立っているだけの隙間などなかった。


 ……いない。


 もう一度、視線を老婆に向けたつもりだった。

 そこにはなにもいなかった。


「え、あ、どうして」


 電車に揺られている見慣れた同級生たちや同じ高校に通っている生徒だけだ。

 誰もがなにもいなかったかのように見える。


 少女が声をあげたことに気にしている人はいない。

 少女は不意に窓を見てしまった。


 ……どう、して。


 窓には景色しか映っていない。

 少女の姿はどこにも映っていない。


「え、あ……。そうだ、鏡……」


 少女は高校指定の鞄を持っている。

 鞄には触れることができた。中から手鏡を出す。


 それは友人とお揃いで買ったものだった。いつも一緒にいる友人の顔を思い出すことができない、いや、それどころか友人の名前すらもわからない。


 手鏡を覗き込む。

 鏡は割れている。少女の姿はどこにもない。

 





 ――今日も少女は電車に乗っている。

 誰にも気づかれず、幽霊に怯えながら乗っている。


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