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賢者の贈り物(The Gift of the Magi)

作者: オー・ヘンリー(訳:里井雪)

 まったく、いやんなっちゃう。お財布には1ドルと87セント。ザッツ・オール。これが今の私の全て。おまけに、そのうち60セントがジャラ銭。これだって、スーパー、八百屋、肉屋で値切りまくって1枚、また、1枚って貯めたもの。


 やり過ぎたことは認めるわ。ハードネゴシエーターの交渉術に店主の頬が真っ赤になっていたのだから。三度数え直してみた。1ドルと87セント。現実は非情だわ。もう。神様! さぼってなんていないでよ。明日は、クリスマスよ。


ク・リ・ス・マ・ス!


 こうなったら、中古品の薄汚れたソファーに座り込んで泣き喚くくらいしかやることがない。だから、そうしてやったの。人生なんてバッカみたい。泣く、鼻をすする、笑う、の3つからできているのだから。当然、鼻をすすってる時間が大半を占めるってわけ。


 ああ、落ち込むなぁ〜。この家はね。住めないほど酷くはない、実際、私たちが住んでいるのだけれど。家賃週8ドルの家具付きアパートって張り紙がしてある。警察が浮浪者の住処と勘違いして、踏み込んで来ないためのお守りってこと。


 階下に郵便受けはあるけれど、手紙なんて入ったためしがない。呼び鈴だってもちろんある。だけど、誰の目にも壊れているとしか見えないわ。押してもらえたことなんて一度だってない。で、その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」と下手くそな字で書かれた表札が貼ってある。


 「ディリンガム」の文字は、その名の持ち主が週に30ドルも稼いでいた栄光の日々には、風にはためく星条旗のように堂々としていた。だけど、今や週給は20ドル。「D」の文字さえ小さく控えめに見えてしまう。


 だけど、ジム。そう私の最愛の伴侶、が、帰って来たら。彼を強く抱きしめてしまえば、些末な事なんてどうでも良くなる。私は彼を愛してる。世界の誰一人として、その深さを想像できないくらいに。


 私は泣くのをやめ、メイクをすることにした。そして、窓辺に立って外を見た。灰色の裏庭には灰色のフェンス、その上を灰色の猫が歩く。まったく! なんて陰鬱な景色なの。


 明日はクリスマス。なのに、財布にはたったの1ドルと87セント。こんな端金じゃ、ジムにプレゼントなんて買ってあげられないじゃない。何ヶ月もコツコツ貯めた結果がコレってどういうこと?


 週20ドルじゃ暮らしていくのに精一杯。計算以上に家計はかさむもの。そんなことは分かってはいるのだけれど。だけど、最愛の伴侶へのプレゼント予算が1ドルと87セントなんてあり得ない。大好きなジムへのプレゼントなのに。


 だけど、私はずっと彼に何を送ろかとワクワクしながら妄想していた。何か素敵でレアなものを。最愛に人の所有物となる栄に浴す何かを。


 私の部屋の窓と窓の間には姿見がある。安アパートにはよくあるヤツね。そう。超細身じゃないと、上手く全身を映すことなんてできない代物ってこと。でもね。自慢じゃないけど私スタイルいいのよ。それでも、全身を映すにはちょっとしたテクがいるわ。


 私は窓辺を離れて鏡の前に立った。鏡に映る私の瞳はキラキラ輝いていた。でも、顔色は少し悪いように見える。私は手早く髪を下ろした。


 ところで、私の家族。ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、誇るべきものが二つだけある。一つはジムが祖父、父から受け継いだ金の懐中時計。もう一つは私の髪の毛。


 もしも、シバの女王が隣のアパートに住んでいたとしたら。私が窓の外に濡髪を垂らして、ドライヤーをかける。そう、それだけで。彼女の世界に二つとない宝石も宝物も色褪せた紛い物と化すに違いない。


 もしも、ソロモン王がビルの管理人で、アパートの地下室が巨万の富を蓄えた宝物庫だったとして。 ジムが通りがかりに時計を出せば、王は嫉妬に狂い、自らの髭を引き毟ることになるだろう。


 宝物である私の髪は、香染の滝のように波打ち輝きながら流れ落ちて行った。髪は私の膝まで届き、さながら豪奢なイブニングドレスよう。私はちょっとナーバスになり、髪をそそくさとまとめ直した。鏡に写るその髪を見ていたら、不覚にも涙が溢れ、擦り切れた緋色の絨毯に黒い染みができてしまった。


 私は駱駝色の古いジャケットを羽織り、くたびれた帽子を被った。目はまだ潤んではいたけれど、意を決してスカートを翻し、ドアを開けると、表通りへ続く階段を降りた。


 しばらく表通りを歩いて「マダム・ソフロニー。ヘア用品」と書かれた看板を見上げ、店の階段をかけ登った。胸の高鳴りを禁じ得ない。だけど、落ち着け、自分。 女店主は大柄で、色白、どこか冷ややかな感じだった。「聡明(ソフロニー)」は名前負けじゃないかしら。


「私、髪を売りたいのですが?」


「いいわよ。帽子を脱いでくれるかしら」


 香染の髪が帽子の中から滑り落ちた。


「よい髪だわ。20ドルで」

 女店主は手慣れた風に髪を持ち上げて、そう言った。


「今すぐ、お金がほしいの」


 それから、2時間、私は薔薇の羽に乗ったような時間を過ごした。というのは陳腐な喩え話。ああ、恥ずいから今の台詞は忘れて。そう。私はお店を巡ってジムへのプレゼントを物色していたわ。


 そして、ついに、ついに。見つけたの。ジムのための、彼のためだけにある運命の一品を。私は目を皿のようにしてプレゼントを探した。どんなお店でも、これほど彼に相応しい物はなかったと思うの。


 それはプラチナ製の懐中時計に付けるチェーン。決して華美ではなく、シンプルで、上品で、美しい輝きを放っている。素材自身がそのレゾンデートルを主張していた。


 そう。この世にある祝福されし万物がそうであるように、彼の時計に繋がれるためにだけ生まれてきたようなチェーン。私はそれを見た瞬間、全てを理解した。これこそがジムが所有すべき物だと。


 そして、そのチェーンは、どこかジムに似ていた。彼は無口だけれど、世界中のどんな宝石よりも価値がある。お洒落だけれど華美に流れないデザインは、彼そのものと言ってもいいくらい。


 チェーンはちょうど21ドルだった。私は残りの87セントを握り締めて家路を急いだ。このチェーンがあれば、ジムはどんなところに行ったって、堂々と時間を気にすることができるわ。彼の時計はとても素晴らしい物だけど、古びた革紐が結ばれている。彼はコソコソと時間を見ることも多かった。


 家について少しクールダウンした。あっ! そうだ。そうだ。私はヘアーカーラーを温め、愛のために支払った対価を、修復する作業に取り掛かった。そういう仕事はいつも、いつだって、とっても大変なものなのよ。ねえ。そうでしょ?


 40分ほど奮闘すると、私の頭は可愛いカールで覆われた。まぁ、なんて素晴らしい! 小学校をサボった男の子みたい。ずいぶんと長い時間、私は鏡に映る自分を見つめていた。そして口を横に開いて「イー」をしてみた。


「ジムに殺されるってことは、ないだろうけれど」

 思わず独り言を呟いていた。


「彼は一目見るなり、私のことを『コニーアイランドのコーラスガール』みたいって言うわ。でも、どうすればよかったの?」

 ああ、1ドル87セントという現実を、私は見つめるしかなかった。


 午後7時。コーヒーが芳しい香りを漂わせ、フライパンはコンロの上。お肉を焼く準備はカンペキ。


 ジムはいつだって時間に正確なの。私は愛する夫へのプレゼントを手の中で二重に巻いて、彼がいつも入ってくる玄関側のテーブルの隅に座った。


 そうしていると、ジムが階段の一段目を上ってくる足音が聞こえた。一瞬血の気が引く気がした。私は、毎日の些事にも、静かにお祈りすることにしているの。


「神様。どうかジムがこんな髪型の私でも、可愛い! と言ってくれますように」と囁いた。


 ジムが帰って来て、ドアを閉めた。彼は痩せ形で生真面目な顔をしたイケメンよ。でも。まだ22歳。そんな若さで家計を支えている。彼には新しいコートが必要だし、この寒空の下、手袋もしていない。


 ジムはドアの前で、凍りついたように立ち止まった。まるで鶉の臭いに釘付けになった猟犬のよう。彼の視線が私に刺さっているのがよく分かる。彼の瞳の中にある感情を、どうしても読み取ることができなかった。


 どす黒い恐怖が胸に湧き上がって来る気がした。でも、彼の想いを想像することができなかったわ。そう。怒り、驚き、失望、恐怖、そのどれとも違う。ジムはその不思議な表情のまま、ジッと私を見つめていた。


 私はテーブルを回ってジムに近づいた。


「ジム。愛しい人」


 彼の表情に動転してしまったのだろう、少し大きな声が出た。


「そんな顔で私を見ないで。髪の毛は切って売っちゃったの。だって、あなたにプレゼントの一つもできず、聖夜を 迎えるなんて無理。髪はまた伸びるわ。気にしないで。気にしないでしょ? どうしてもこうしたかったの」


「ほら、わたしの髪って超高速で伸びるんだから。だから、お願い『メリー・クリスマス』って言って。ジム。そして楽しく過ごしましょう。私がどんなに素晴らしいプレゼントを貴方に用意したのか? きっと貴方は想像もできないわ」


「髪を切ったんだよね」

 彼はおずおずと質問した。まるで、頭をフル回転しても真実に辿り着けない、おバカな探偵のようだ。


「見れば分かるでしょ? 髪を切って売っちゃったの」


「短い髪でも私は、私。貴方の愛は変わらないわよね?」


 ジムは探し物でもするかのように、キョロキョロ部屋を見まわした。


「君は、髪がなくなったって言ったよね」


 彼はなんだか、バカになったみたいに呟いた。


「探したって意味ないわ」


 私はちょっと強い口調で言ってしまった。


「言ったでしょ。売っちゃったのよ。だから。売っちゃったから、なくなったのよ。ねえ、クリスマス・イブでしょ? お願い。いつもの貴方でいて。髪を売ったのは貴方のため。多分、わたしの髪の毛は、神様なら数えられるでしょう」


 私は真顔になり優しく続けた。


「でも、私が貴方をどれだけ愛しているかは、世界の誰一人として、たとえ神様だって計測不能よ。いいこと。このお肉に賭けるんだから。ねぇ、ジム」


 彼は忘我の状態からハッと我に返った。そして私を優しく抱きしめる。ここで10秒。私は少し冷静になり、別の角度で、今起こったことを考えることができた。


 週8ドルと年100万ドル。その違いは何? 数学者、知恵者と呼ばれる人に尋ねたのなら、きっと答えを誤るでしょう。聖書に記された東方の賢者は高価な贈り物を持ってきた。でも、その中に答えはなかったの。何だか暗いことを言っちゃったけど、このことは、後で光り輝く宝石になるわ。


 ジムはコートのポケットからリボンで飾られた包みを取り出すと、投げ出すようにテーブルに置いた。


「お願いだ。デラ。君は勘違いしている。髪型とか、エステとか、シャンプーとか。そんなもので、僕が愛しい妻を嫌いになる訳ないだろ? でも、君がその包みを開けのたら。さっき、どうして僕があんな風だったか、理解できると思うよ」


 私は急いで紐を千切りラッピングを破った。そして。思わず、歓喜の余り、叫んでしまった。それから。


 ああ。女の子らしいなんて言わないで。ちょっとだけ。ちょっとだけなんだからね。ヒステリックな嘆きを漏らし、泣いてしまったのだけれど。


 私の最愛の伴侶はいつでも紳士的。彼は優しく私の肩を抱き、慰めてくれた。


 なぜなら、包みの中には(くし)が入っていたのだから。髪を後ろで纏めて刺すようにする髪留めの櫛。それは、私がブロードウェイの宝飾店で、長い時間、食い入るように見つめていたものだった。鼈甲を加工して作られた髪飾りで、宝石の縁取りも美しい。


 売ってなくなった私の髪にぴったりだったと思う。もちろん、その櫛はとても高価だった。だから、欲しくて欲しくて、たまらなかったけれど、自分の手にそれがある未来が来るなんて、考えもしなかったわ。そして、今、あり得ないことが現実となった。けれども、この髪飾りによって飾られるべき私の髪は、雲散霧消していた。


 でも。私はその櫛を強く胸に抱きしめる。そして涙で濡れた瞳を上げ、何とか微笑みを作ることができた。私はジムにこう言った。


「あのね。ジム。私の髪はね。とっても早く伸びるんだから」


「ああ、そうだった!!」


 暖炉に近づき過ぎて毛が焦げた子猫のよう。私は飛び上がらんばかりの大声を上げた。


 そうだ! ジムはまだ私のプレゼントを見ていないわ。私は手に贈り物を乗せ彼に差し出した。私の心は輝くばかりの気持ちで溢れていた。チェーンはその想いを見透かすようなキラキラを放っていた。


「愛しい人。これ、とっても素敵でしょ? 町中を探し回ってやっと見つけたの。貴方が時計にこのチェーンをつけたら、一日に百回は時間を調べたくなると思うわ。時計、貸してよ。チェーンをつけたら、どんな風になるのか見たいから」


 ところが、ジムは時計を出してくれず、どかん、と椅子に座り込んだ。そして、私に向かって微笑んだ。アレ?


「ねえ。僕達のクリスマスプレゼント。しばらく、どこかにしまっておくことにしよう。すぐに使うのはもったいないからさ。あのね。櫛を買うお金を作るため、僕は時計を売っちゃったんだ。さあ、クリスマスの晩餐としよう。肉を火にかけてくれよ。僕の愛しいデラ」


 東方の賢者は、その名のように「賢い人」だったのだろう。とても博識で、星を見てイエスの生誕を知り、贈り物を運んできたのだから。彼らこそが「クリスマスプレゼントを贈る」という習慣を発案した人たちなのだろう。彼らは賢明だったのだから、もちろん贈り物も賢明だった。おそらく贈り物が被ったら、別の品と交換をすることができるような考慮もあったはずだ。


 私はこれまで、ボロアパートに住む二人の愚かな子供たちに起きた、取るに足らない物語を語った。私たちは愚かにも、家にある最も価値のある宝物を互いのために台無しにしてしまった。でもね。今日の最後の言葉として、こう言うわ。


 贈り物をする全ての人の中で、私たちは最も賢明だったのだ。二人のような人たちが、一番賢い人たちなのだ。「私たちこそが最高の賢者だ!」って胸を張ろう。ホントの東方の賢者。そう。それは私たち。

オー・ヘンリー原作の「賢者の贈り物」(著作権切れ:オー・ヘンリーは1910年没)を翻訳した作品です。


オー・ヘンリーが生きた時代の米国文化については不案内ですが、自身、大好きな名作ですし、思い切った意訳をしてみました。あの漱石が「I love you」は「月が綺麗ですね」と訳せばいいと言ったのだから。いいわよね!


主人公のデラの年齢は原作には記されていませんが、夫のジムが22歳とありますので、20歳、もしかしたら、十代と考え、可愛いデラ(ツンデレ風味)としてみましした。それを強調する意味で、デラの一人称です。


古めかし過ぎたり、現代日本人に馴染みの薄い言い方は現代用語としています。乾物屋→スーパー、curling irons→ヘアーカーラー、ストーブ→コンロ、shave→エステ、chops→お肉などなど。


singedは、焼け焦げるという意味で使われていると思いますが、子猫が大慌てする様子だろうと思います。英語にはよくある気もしますが、日本語的には少し言葉を補う方がいいかなと判断して「暖炉に近づき過ぎて」を入れています。同様に考えたところが他にもあります。


combsを「櫛」と訳すと、私的には「髪を梳くもの」というイメージが強いです。Wikiにも「髪飾りの意でも使う」とありますし、広く流布しているこの物語のあらすじからも「櫛」とした方がよいかなと判断しました。でも、何箇所かは敢えて髪飾りに変えています。鎖の方は、今風にチェーンです。


全体としては訳文っぽいバタ臭さというか、私的にはカッコ良さを心がけたつもりです。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  すごい。場面も心情もはっきりとイメージできる。(元の文章がすごいってのもあるかもだけど)  とりあえず、違和感はなかった。 [気になる点]  段落のはじめに、全角スペースを入れるんだ!…
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