第九十二手「神童衝突」
師匠の次の対戦相手はさきほどの高慢な少女、蛯名萌香。あんな身なりでも県大会ベスト4まで上り詰めた超強豪だ。
その実力は未知数……。いや、ハッキリ言ってこの大会に出ている意味が分からないくらい強いはず。周りの選手が初段や二段クラスなのに対し、彼女は四段以上あると思った方がいい。
私としては当然師匠の勝利に確信を持っているけど、それとは別に蛯名萌香との衝突で生まれる棋譜にも興味がある。
県大会でぶつかった際の対策にもなるし、私と同じ棋力を持つ師匠がどのくらいまで差を付けられるのかも知る必要があるからね。
そしてそれは、相対的にあの青峰龍牙との実力差を確認する材料にもなる。
「……はぁ」
隣で深い溜め息が聞こえる。
どうやら息まいているのは私だけのようで、肝心の師匠は落胆した表情を浮かべていた。
「何よ、私以外の女の子相手だなんて珍しいじゃない。良かったわね」
「煽ってるのか? 俺はこれでも陰キャの部類なんだよ。同性はともかく、あんな気の強い子を相手にすると調子が狂いかねない」
あくまでも対局の結果にしか興味無さそうな師匠。告白のことなんて既に忘れてそうだ。
それにしても陰キャって……将棋は元々マイナーな趣味のひとつだし、別に陰キャなのは悪いことじゃない。女付き合いも私で慣れているはずだしね。
「そんなんじゃダメよ。ほら、龍牙相手には殴りかかろうとしてたじゃない」
「人の黒歴史を掘り返さないでくれますかねぇ……。あれだけ馬鹿にされたら沸点も低くなるだろ」
「そうね。師匠が言い返さなかったら私が飛び込んでたかも」
「麗奈がか? 想像できないな」
「それはもうガブッと行くわ。虎よ虎」
「猫だろ」
「あぁん?」
「冗談だって」
隣で笑いだす師匠。どうやら肩の力が少しだけ抜けたみたいだ。
程よい緊張感は残っていそうだし、この調子なら問題なさそうね。
私は少し真剣な面持ちになり、彼女についての出来る限りの情報を教えようと思った。
「……蛯名萌香。師匠が対局してる時に少しだけ話したけど、どうやら私の出てた県大会でベスト4になった実績があるみたい。そしてさっき戦ってるところを見たけど、彼女の使う戦法は──」
「いいや、必要ない」
私の助言をきっぱりと断る師匠。
「俺はこの大会に自分の成長もかけてる。情報ってのは知った瞬間に拡散され、それまでの思考が書き換えられる気がするんだ。だから俺には必要ない」
師匠の言葉に、私は鼻で笑い飛ばす。
「……傲慢ね。成長とは練習でするもの、大会はあらゆる情報を利用して勝ちに行くところよ」
「ははっ、俺達はつくづく正反対だな」
「だからこそぶつかり合って成長できるのかもね」
「ああ」
師匠は両手首をほぐしながら首を鳴らし、余計な雑念をクリアにしていく。
そんな師匠の前に、一回戦を勝ち抜いた蛯名萌香が座った。
「あら、勝ったんだ? てっきり負けたと思ったのに」
「……まぁな」
「運がよかったのね」
萌香は下から見上げるようにして師匠を嘲笑した。
そして前の対局者が抜けていった後の散らばった盤面を整理しつつ、対局の準備へと入る。
その時、萌香は師匠の陣地に置いてあった"王将"を奪い取ってこれ見よがしに師匠へと向けた。
「……!」
その行為に私はカチンときた。
王将は目上の者、つまり上位者が持ち、玉将は下位者が持つ。これは将棋においてのマナーのひとつだ。
プロでは段位やタイトル持ちが上位者とされているが、アマチュアでは年齢の高い者が基本的に上位者とされている。
蛯名萌香は確かに強い。実績は師匠より上だ。
だが、二人は今回初めて戦う相手同士。まだ白黒はっきりさせていないのにも関わらず片方が王将を奪い取るだなんて、相手が自分より格下だと挑発しているに等しい。
「……これはアンタに相応しい駒なのかしら? アタシの方が似合ってると思うけど?」
師匠に王将を見せびらかしながらそう言い放つ萌香。
しかし、師匠は平常心を崩さずに答えた。
「お好きに」
「……あっそ。つまらない男」
そう言って萌香は奪い取った王将を元の場所へと戻す。
挑発を仕掛けた萌香に対して一切の感情が揺らがない。あれだけの訓練と修羅場を潜り抜けてきたせいもあってか、師匠の冷静さは多少焚きつけた程度では崩れなかった。
……しかし、私はそうではない。
「師匠」
私は師匠の背後から腕を組むようにして立つ。
師匠は振り返りこそしなかったものの、目線だけこちらに向けた。
「──全力で潰しなさい」
その言葉に師匠は一瞥を返し、その目で首肯した。
「なによアンタら、まさか本気でアタシに勝つつもりでいるの?」
冗談でしょ? と両手を広げて呆れたポーズを取る萌香
そんな萌香に師匠は真顔で返した。
「ああ、勝つつもりでいる」
「……ぷっ! あっははははっ! 本気? 地区大会で燻っていたような男が県大会ベスト4のアタシに勝つですって? 無謀な夢を豪語しすぎじゃない? あははははっ!」
師匠の啖呵を笑い飛ばす萌香。
しかしその笑い声は徐々に収まっていき、終わる頃にはその頬をヒクつかせていた。
どうやら、師匠の言葉が嘘ではないと感じ取ったらしい。
「……アタシが子供だからって舐めてんの?」
真面目なトーンでそう聞き返す萌香。
自らが高慢故に、相手の高慢を絶対に許さない信念が感じ取れた。
だが、今度は師匠の方が笑みを零して萌香を見下ろす。
「生憎と無謀な夢には既に挑んでいてね。その夢に比べたら、君に勝つのはさほど無謀じゃない」
珍しく反撃の言葉を放った師匠に、萌香は青筋を立てて最後の駒を叩きつけた。
「……潰す」
「やってみろ」
西地区交流戦第二回戦。
二人の間に熾烈な火花が飛び散った。
◇◇◇
決戦の場──『黄龍戦』県大会の会場にて、一人の男がその会場を見上げていた。
「……」
普段の荒々しい形相からは一転して物静かな雰囲気を醸し出すその男は、北地区でも無類の強さを誇る強豪──青峰龍牙。
彼は会場を睨むように見上げた後、中に入ろうと足を進めた。
「……!」
しかし、その足はピタリと止まる。
睥睨していた視線がそこへ向き、同時に吹き荒ぶ風が強くなって龍牙の服を靡かせた。
会場のドアから外へ出てきたのは小柄な体をした褐色の少女。その少女は誰が見ても圧倒されるほどの強者感を解き放って階段を降りてくる。
そして龍牙の前を通り過ぎようとした。
「ようやく老人共が腰を上げたか? 随分と悠長だな」
二人がすれ違う瞬間、龍牙は嘲笑するようにその言葉を吐き捨てる。
すると少女は足を止め、振り向かずに答えた。
「おー、龍牙か。久しぶりだなー。最近の活躍は聞いているぞー」
見た目相応の子供っぽい喋り方をする少女。
しかし、その声色に含まれる真意は欠片もない。風に乗ってとんでいくような薄っぺらい声色だった。
「……テメェ、一体何のつもりだ?」
「はにゃ?」
龍牙は苛立ちを含めた表情で首だけ少女へと振り返る。
「上北の管轄下にある道場が3つも潰れた。聞けば銀譱と凱旋が茶番を繰り広げてるらしいじゃねぇか。おかげで俺の積み上げてきた遊び場が台無しだ。……なぁテメェら、もしかしてこの俺に喧嘩売ってんのか?」
龍牙の鋭い眼光が少女を射貫く。
すると少女は一度間を置いて、再び言葉を紡いだ。
「……赤利まだこどもだから龍牙がなにいってるのかわかんないのだー」
その言葉を放った瞬間、龍牙は少女の肩を掴んで思いっきり引きずり出し、少女を地面に転ばせた。
背中から打ち付けられた少女はケホッと咳を漏らして為すがままに押し倒される。
「この県は俺の玩具箱なんだよ。テメェら中央の遊び駒じゃねぇ。……これ以上邪魔すんなら消すぞ?」
低い声で龍牙は告げる。
首元に足を置いていつでも蹴り飛ばせる準備を整え、脅しをかけた。
しかし、少女は顔色一つ変えず恐ろしいまでの笑みを零す。
「……些事だな」
「んだと?」
これまで子供らしい陽気な性格を宿していた少女は、目の色を変えて龍牙に赤い眼光を飛ばした。
「敷かれたレールを走るだけの泥犬が『凱旋』に威を向けられると思ったか? 身の程を弁えろ」
「純潔気取ってんじゃねぇぞクソガキ。無敗がそんなに偉いのか?」
「隘路無き世界に上下などない。お前のような底辺が赤利に口答えしたいのなら、まずは全国でも取ってみたらどうだ?」
龍牙の足に力が入る。
しかし、少女は一向に嘲笑の姿勢を崩そうとはしない。
「……そんなことしなくてもこの黄龍戦でテメェを潰せばいいだけだ」
「赤利を潰す? お前程度の実力でか?」
「あぁ、その頑丈そうな面子を粉々に粉砕してやるよ。こんな風になァ……ッ!」
そう言って龍牙は少女の顔面に思いっきり足を踏み下ろした。
しかしその瞬間、少女は体を捻って素早く立ち上がり龍牙顔面へ前蹴りを入れる。
龍牙はそれを片手で防ぎきると、少女へ回し蹴りを放った。
「チッ」
少女は龍牙の回し蹴りを受け身を取りつつ敢えて喰らい、吹っ飛ぶのを利用して龍牙との距離を取る。
そして後ろに手を組み、いつもの表情へと戻った。
「ま、挨拶はこの辺にしておくのだー」
そう言って龍牙に背を向け歩き去っていく少女。
彼女の背には死屍累々を築き上げてきた風格が宿っており、その体には傷ひとつ付いていなかった。
誰も敵わない、誰も勝てない。その圧倒的な棋風は紛れもなく第三世代の片鱗。
凱旋道場の神童。中央地区が誇る最大の切り札。
──『青薔薇赤利』。
ありとあらゆる天才たちが渦巻くこの県にて、ただの一度も敗北を喫さなかった将棋指しの名である。
「……チッ」
そんな彼女が戦場に立つことは稀で、自らが属する凱旋道場以外の目的で戦うことはない。故にその存在を知る者は少なく、また彼女が戦った結果に黒星が付いたことは一度もなかった。
完全な無敗。それが青薔薇赤利という少女である。
「……図に乗るなよ贋作。銀譱を、そして凱旋をぶっ潰すのはこの俺だ」
その背を眺めていた龍牙は、拳を強く握ってそう言うのだった。
次回更新日→9月29日




