第八十六手「逆告白」
世の中には"マインドスポーツ"と呼ばれる分野がある。
高い思考能力を用いて行われる競技全般を指し、将棋もこのマインドスポーツに分類される。
世界的に見ればチェスだろうが、日本では将棋が知能戦としての代表例だろう。
よって、将棋をする人は頭がいいと誤解されがちだ。
実際、その見解自体は間違っていない。将棋をするにはある程度の知識、知能、知略が求められる。
だが、将棋が"できる"ことと、将棋を"極める"ことは全くの別物だ。
"覚えるのは一瞬、極めるのは一生"。ポーカーやオセロでよく言われるこの格言は将棋にも当てはまる。
ただ将棋を始めるだけならば幼稚園児でも可能だが、極めるためには一生をかけても足りない。
だからこのボードゲームに英明の証左は無く、頭が良ければ将棋ができるが、将棋ができる人が頭が良いとは限らないというわけだ。
そして、ここまで理屈をこねくり回した俺が結局何を言いたいのかというと。
世の中には、頭のネジが飛んでしまった将棋指しもいるということだ。
「アンタ、アタシの恋人になりなさい!」
薄ピンク色の色彩を放つ髪と、チャームポイントのアホ毛、高慢さが目立つツンとした瞳に自信満々な態度。背格好から推測するに、麗奈くらいの年齢だろうか。
開幕一番、そんな顔も知らない少女から突然の『アタシの恋人なりやがれ宣言』を受けてしまった俺。
全く理解できないし、したいとも思わない。そもそもこのヤバそうなおてんば娘はどこの誰だ?
取り合えず無視するか。
「ちょ、ちょっと! 今目が合ったわよね? 合ったのになんでスルーするのよ!」
一歩遅かったか。
「あー……多分人違いですー……」
「違わないわよ! アンタ天竜一輝でしょ!」
無情にも俺の名を口にする少女。
だが俺はこの子の名前も顔も知らない。初めて見る顔だ。
「……」
向こうは知っていて俺は知らない。
つまり、この高慢極まるおてんば娘が、先日果たし状という名の手紙を送りつけてきた張本人か。
「……俺に何の用だ?」
「だからさっきから言ってるじゃない。アンタ、アタシの恋人になりなさい」
「お祭りはあっちでやってるよ」
「誰が迷い込んだ子供よ! アタシも今日の大会に出るの!」
おぉ、皮肉は伝わるのか。
しかし傍から見ると凄い絵面だからそんなぎゃんぎゃん吠えないでほしい。
あと麗奈くらいの年齢の子が公衆の面前で告白するな、俺が強要させてるみたいに見えるわ。
「そうか、がんばれ」
「ええ、ありがとう。じゃないわ! アンタ、アタシの恋人に」
「断る」
一刀両断。俺はそのまま少女に背を向けた。
何を考えてるのか知らないが、いや子供っぽさを見るに考えてすらいない可能性もあるが。とにかくここはお遊戯会じゃない、今は一問一答を繰り返している暇はないんだ。
頼むから大会に集中させてくれ。
「~~~っっ!!」
背後から針を刺すような視線が飛んでくるが、俺は気にせず選手用の席に向かう。
そして前方の観戦席からは笑顔の麗奈がずっとこっちを見ている。怖い。告られたのは俺のせいじゃないって知ってるだろ。
それから選手用の席に座ると、いつも通り大会の主催者が軽い挨拶を行って対戦相手の抽選に入った。
今までの大会と違って重荷はない。
俺としては、誰に当たろうがあまり関係がなかった。
抽選の結果は2番、一番前だ。
「師匠ー! 頑張ってー!」
麗奈の声が聞こえる。
静寂の象徴とも言える将棋の大会で、この声援である。アンタは近所のおばあちゃんか。
「はぁ……」
少しばかりの羞恥にさらされながら、それでも俺は落ち着いて指定の席に座り、相手を待つ。
そして僅かに遅れてきた選手の顔を一瞥し、瞬時に棋力を判別した。
──初段、いや二段くらいか。
今までであれば恐れていた棋力にも、不思議と抵抗はない。
ここまで、成長を感じる間もなく駆け抜けてきた。
川内副会長のような強者とも渡り合ってきた。
今の俺に、隙はない──。
「お願いします」
「お願いします」
西地区交流戦、第一試合のゴングが鳴った。




