第八十五手「西地区交流戦」
俺の県は全部で5つの地区に分かれている。
西地区、南地区、東地区、北地区、そして中央地区。後ろに行くほど強豪地区と言われている。
さて、ここで問題だ。俺の地区は一体どこでしょう?
うん、そうだね。西地区だね。
「ぬわああああっ!」
「うわっなに!?」
西地区交流戦当日。会場に向かって歩いている俺は唐突に奇声を張り上げた。
ビクッとなって驚く麗奈に、俺は落胆した表情で告げる。
「ごめん麗奈、自分のいる地区に絶望してた」
「意味がわからなすぎて怖いんだけど」
隣を歩く麗奈を一瞥して、俺は更に落胆する。
そう、あの聖夜や麗奈がいるここ西地区ですら県の中では最弱地区なのだ。
どれだけ地区最強を名乗ろうが、県最強とは天と地の差がある。ましてや最弱地区出身では勝ち目なんてゼロに等しい、県の連中にとっては絶好のカモだ。
今まで地区大会ですら負けてきた俺は、その先にある県大会なんて考えたこともなかった。
強豪ひしめく猛者の地区大会で優勝したのならまだいい、そのレベルならまだ県大会も安心して挑める。だが、俺が優勝した地区は県の中で最弱。最弱の争いを制した地区代表者だ。
対して他の地区の連中は、俺より遥かに険しい環境で勝ちを捥ぎ取った者達。まさに住んでいる世界が違うわけだ、この差はあまりにも大きい。
まさかあれだけの激戦を繰り広げて勝ち上がった地区大会が、実は県で最弱の地区でした~ってか。クソが。こんな絶望を知ってしまえば、奇声のひとつもあげたくなるものだ。
「はぁ……俺、県大会で醜態晒すのかなぁ」
「ちょっと、師匠」
肩を落として落ち込む俺に、麗奈は少しムッとした様子で俺の背中に手を当てた。
「今日は西地区交流戦でしょう? 確かに県大会のことも大事だけど、考える順序が違うわ。過去より未来、未来より今よ」
「……そうだな、悪い」
麗奈の一言で俺は気持ちを切り替える。
こうしてネガティブなことばかり考えてしまう癖を、麗奈はいつも正してくれる。
彼女の言う通り、今は目の前のことに集中すべきだ。じゃないと手紙を送ってきてくれた相手に失礼じゃないか。
……いや失礼か? 本当に失礼か? どうみても向こうの方が失礼だったよな?
めっちゃ果たし状だったし、これ大会に集中する意味本当にあるのか……?
「着いたわね」
俺がまた思考の渦に入り込んでいる間に、俺達は既に会場に到着していた。
見上げた先にあったのは、屋台やらビンゴ大会やらで盛り上がりを見せている公園と、その横でぞろぞろと人が入っていく公民館。
会場があるのは後者だ。
「はえー、すっごいな。こんな時期に祭りか」
「西地区交流戦はこのお祭りとは無関係みたいだけど、かなり賑わっているわね。少しくらいやってく?」
「いいのか!?」
「大会が終わったらね」
嬉々として食いついた俺に釘をさす麗奈。
俺がこういった行事に参加したことないのを察して言ってくれたのだろう。
そんな麗奈の優しさに感謝しつつ、俺達は会場へと入った。
「ここか」
「かなり人が多いわね」
会場の中に入ると、それまでの空気は一瞬で変わる。
外で聞こえてくる祭りの騒音が場違いに思えるほど、会場内はピリついた雰囲気で満たされていた。
そして一斉に向けられる「なんだコイツ恋人連れてお遊び気分かよ」と言わんばかりの視線。
「この視線にもいい加減慣れてきたな」
「そうね」
最初こそ戸惑っていたこの視線も、今では特に気にならない。どうせ対局すれば全てが伝わる、それまでの情報なんて誤解されたままで十分だ。
俺はそのまま受け付けの列に並ぶと、麗奈が最後のメンタルチェックをしてきた。
「師匠、体調は万全でしょうね?」
「もちろんだとも、どっかの誰かさんに無理やりトマト漬けにされたからな」
皮肉混じりの言葉にも、麗奈はフッとドヤ顔を浮かべる。
「でもなんだかいつものやる気が感じられませんけど?」
「だってこの大会って県には続いてないんだろ? 再来週には県大会があるし、あんまり力使うのもなぁって」
「帰ったら焼肉」
「全員叩き潰してくる」
今までふわっと勝とうとしていた情緒が爆発し、俺は今までにないほど凄まじい気迫を生み出す。
舐めた眼で見ていた周りもその気迫に一斉に驚き、もしかしてコイツただ者じゃないのかという謎の勘違いをさせた。
人間、食欲には勝てないのだ。
「はい、こちら昼食の食事券と領収書になります。無くさないようにしてくださいね」
「ありがとうございます」
無事に受け付けを済ませ、観客席の方に戻りながら時計を確認する。
「まだ少し時間あるな」
「なら商品でも確認しにいかない? 一応私の目から見れば優勝候補なんだし」
「ははっ、優勝候補なんて言われる日が来るとはな。少し前の俺には考えられなかったよ」
「当然よ。私が育てたんだもの」
「誰目線だよ」
相変わらず自信満々なドヤ顔を見せる麗奈。
まぁ、実際ここまで強くなれたのは紛れもなく彼女のおかげだ。色々あったが、その色々な出来事のおかげで今ここに立っている。
だから今日も勝つ。勝って二つ目の優勝カップを家に飾るんだ──!
◇◇◇
「……優勝、カップ?」
「──ぷっ、あーははははっ!」
突如、ツボを突かれたかのように笑いだす麗奈。
その横でポカンと口を開けて本日の大会の商品を凝視する俺。
俺と麗奈の視線の先には、お菓子やお酒が並んでおり、その中央に"王将"と書かれた優勝カップが置かれていた。
材質は木材で、光っているというより茶色の光沢だ。完全に子供向け将棋グッズのそれである。
「え? お祭りの商品と間違えた?」
「経済的な事情もあるんでしょう。ふふっ、今回の大会は非公式戦だからね、ぷっくくく……っ」
「なんでそんなツボってんだ……」
確かに冷静に考えれば、普通はこんな大会に高価なトロフィーや賞状なんか用意しない。
だがそれにしてもこれは、これはあまりにも……子供向けすぎないか?
「誰得なんだよこの商品。参加者ほとんどオッサンなのにどこの層に狙い定めてんだ……」
「あーおっかし、お菓子だけにね? ……ごめんなさい。まぁ、鈴木会長が主催者だったらもっと違っていたんでしょうね。私もここの大会には出たことないし、大会名からしても交流を目的とした気軽な大会なのかもしれないわね」
腹を抱えながら笑う麗奈。
普段公式戦しか出ない彼女から見ても、今回の大会の商品はよっぽどおかしかったみたいだ、お菓子だけに。
「はぁ、この調子だと賞状も無さそうだな。勝っても実績として残らなきゃちょっと損した気分だ……」
「落ち込まない落ち込まない。私以外の人と指すだけでも棋力の向上には繋がるはずよ。逆に考えましょ? 楽しんで指せる、負けてもいいって」
「さっきと言ってること違うぞ」
「臨機応変よ」
まぁ、確かに変なプレッシャーが無くなったのはいいことだ。いつも切羽詰まった緊張感の中で指してきたから、どうもピリピリした雰囲気に流されやすい。
でも実際は、こうやって初心者でも参加できるような気軽な大会の方が多いんだ。視野が狭かったあの頃の俺に教えてあげたかったな。
「ん、そろそろ時間みたいね。じゃあ私は後ろで見てるから、がんばってね」
「ああ、いい将棋を指してくる」
微笑みながら去っていく麗奈を一瞥して、俺は今一度気合を入れ直そうと会場全体を見渡す。
参加者のほとんどは俺より年上、子供は数名で若い層より高齢者の方が多めだ。
となると、研究より構想勝負の硬派な将棋になりやすい。年季の入った奇襲戦法にも注意が必要だろう。
組み立てる戦術に幅を利かせるのはもちろん、どんな戦法にも対応できる完璧な戦略を構築していかなければならない。
県大会への前哨戦として、例の戦法の経験値も積んでおかないとな──。
「さて、ここからは煩悩要らずだ。集中しよう」
並べられた将棋盤を脳内に転換して、軽いイメージトレーニングを済ます。
段々とざわつきだす選手達の空気に身を浸透させ、よし、と気合を入れた直後だった。
「あーー!! みつけたーーーーっ!!」
 




