第八十二手「新生世代との会敵」
西地区交流戦の当日。
想像よりも大きな賑わいを見せる会場に足を運んだ凪咲は、目を輝かせながら会場内を一望した。
「わぁ……凄い人集り、お祭りみたい……!」
「将棋の大会と言っても色々あるからな。連盟が主軸となる公式大会の他にも、祭りや普及を目的とした小さな大会が山ほどある」
「これはどんな大会なんですか?」
「恐らく地区内における道場同士が関係を良くするために行う大会だ。まぁその本質は祭りに乗じた小銭稼ぎみたいなものだろうけどな。ほら、あれ見てみろ」
そう言って魁人が指さした方を見ると、そこには入賞用の景品が並んでいた。
公式大会であれば、メダルや盾といったものが置かれているはずの景品棚。しかしそこには、コスパを重視したかのように大量のお菓子が置いてあった。
「えっ、優勝したらお菓子がもらえるんですか!?」
「何故嬉しそうなんだ? 普通盾とかトロフィーを想像するだろう」
「だってトロフィーって食べれないじゃないですか!」
「お、おう」
普段見せない凪咲の天然気質に魁人は若干引き気味で眺める。
辺りを見渡せば既に大会は始まっており、予選の第三回戦を迎えているようだった。
「凪咲、誰が優勝するか当ててみろ」
「うぇっ!? まだ予選ですよ?」
「だからだ。終盤になってから相手の強さを知ったところでなんの意味もない。如何に早く相手の棋力を理解し、その棋力に合った手を応対出来るかが勝利へのカギだ。序盤から相手の強さを見極める癖を付けてこい」
「なるほど、分かりました……!」
凪咲は元気よく返事をすると、静かな足取りで対局中のスペースへと入って行く。大会と言えど、邪魔にならない範囲であれば選手の対局を眺めることが出来る。
魁人も凪咲に倣って対局中の選手達を一瞥していき、まだ数手しか進んでいない盤面を見て一瞬のうちにその棋力を判別していった。
(この程度なら今の凪咲でも十分太刀打ちできる範囲だな。ひとつ不穏なのは、他グループの開催であるにも関わらず鈴木哲郎どころか川内正信もいないことか)
会場の外で楽し気に屋台やイベントで盛り上がっているのとは裏腹に、会場内では一言も会話が交わされない。
祭りとは言え大会は大会、公式戦と変わらない緊張感が会場内には生まれている。
魁人は一通り見終わった辺りで観客席に戻ると、凪咲も悩んだ表情を浮かべながら戻ってきた。
「分かったか」
「うーん……」
まだ予選の序盤。ここから決着、そして優勝までの流れを読むのは未来予想と何ら変わらない。それが出来れば超能力者も良いところだろう。
指をさすのは失礼だと思ったのか、凪咲は目線だけ移して自分の予想を口にした。
「あの黄色いパーカーを着た人、ですかね。指し手に迷いがありませんし、雰囲気からして強そうです」
凪咲が指定した人物は、派手な服装をした40代ほどの渋いオジサンだった。
戦型は対振り持久戦、恐らく硬派な将棋を好むと魁人も読んでいた。
「良い勘だ。『渡辺吉雄』……あの男は西地区でも強豪として知られている。そしてあの成田聖夜をシニア組の中で唯一破った男だ」
「成田聖夜さん……って、確か西地区で一番強い男性の方でしたよね?」
「ああ。最近では何人かの強豪に敗れることもあったそうだが、基本的に西側の地区大会では一位を独占している男だ」
「そんな人に勝ったことあるなんて……。ということは私の予想は当たったのでしょうか?」
誰が見ても玄人が透けて見える指し回しに、彼を弱いと感じる者は少ない。
だがそれ故に凪咲の予想は鉄板過ぎていた。
「──俺の予想は別だ」
そう言って魁人が指さした先にいたのは一人の青年。
特に特徴があるわけでもなく、よく見れば見るほど凡夫を漂わせる風格だと分かる。
「確かあの人は……居飛車を指していましたよね」
「ああ、相手は振り飛車でよくある対抗型だ」
「定跡通りに進んでいて、何か特徴があったようには思えませんでしたが……」
凪咲の言う通り、青年の対局はまだ始まったばかりで定跡型。特徴が見られるような場面はまだ訪れていない。
だが魁人は確信を得たような目で口を開く。
「指し手に迷いがなく、1手ごとに思考する秒数が一定。相手の手に対して眉一つ動かさない。目線が盤上全てに行き渡っている。それに親指と中指の皮が剥けていたな、あれは短期間で何十時間も駒を触り続けないとできないものだ」
その人間の性質を全て看破するかのごとく、魁人は青年の情報をこの短時間で見抜いていた。
「強いぞ、あれは」
「そんなにですか……」
普段相手を褒めることが一切ない魁人から零れた純粋な賞賛。
それは凪咲の額から冷や汗が滲み出るほど、あり得ないことだった。
「見てきてもいいですか?」
「ああ、今のお前なら一局で見えてくるものがあるだろう」
凪咲は小さくお辞儀をすると、再び対局スペースへと戻って行った。
対局の内容に興味があった魁人も少しの間をあけ、凪咲のあとをつけようと足を進める。
しかし、その歩みは途中で止まった。
「──!」
僅か一瞬、青年の視線が魁人の方へと向かれた。
凍るような鋭い一瞥──。まるで針で刺されたかのような感覚が魁人の全身を襲った。
すると青年は手付きを変え、今までとは違うズレた将棋を指し始めた。
たった二度。ほんの少し観察しようと意識を向けた僅かな時間。
青年はその視線を見逃すことなく、大勢いる観戦者の中から魁人という異質な存在を炙り出した。
──視ている。だがそれは逆に視られているということでもある──。
「あれが『第三世代』の片鱗か。親父のやつ、随分と大きな荷物を課せやがったな」
舌打ちをしてポケットに手を入れる魁人。
その額からは、僅かな冷や汗が滲み出ていた。
そして数十分後──。
何やら芳しくない顔色をした凪咲が対局スペースから戻ってきた。
「どうだった」
問いかける魁人の言葉に、凪咲は悩んだような表情を見せながら答える。
「いや、なんというか……すごく普通に勝ってて、何が凄いのかよく分からなくて……」
「そうだろうな」
「え?」
予想外にもあっさりと肯定され、凪咲は拍子抜けした表情を浮かべてしまう。
そんな凪咲に対し背を向けた魁人は、まるで一本取られたかのような表情で会場の外へと足を進めた。
「帰るぞ」
「えっ、帰るって……まだ始まったばかりですよ? 敵情視察? しなくていいんですか?」
「敵に見つかったら視察もクソもねぇからな」
「え? それって……」
凪咲は疑問に思いながらも、そそくさと帰る魁人の後ろを付けていくのだった。
そして会場内では、そんな魁人に視線を向けながらもお茶を飲む青年の姿があった。
「お疲れさま、視られてたわよ?」
そんな青年の前に一人の少女が顔を見せ、会場のステージを見ながら問いかける。
対する青年は静かに頷いた。
「ああ、だから手の内は隠した」
虎視眈々と窺う視線はどの観戦者からでも向けられる。実力が露になる大会の場、それは情報収集にもうってつけの場所ということ。
しかし向けられる視線の度合いには限度がある。
限りなく熟達した視線が二度、何かを盗み取るような目を向けられた。
そして青年は自らに向けられたその視線を自らの不利益にならない程度に回避した。
だが相手もその意図を察して退いたことを鑑みるに、青年は自身の対処が完璧ではなかったと不満そうな顔を浮かべる。
「見ない顔だったな」
「私も詳しくは知らないけど、恐らく南地区の連中ね」
「また南地区か……どこもかしこも強敵だらけだな」
「そうね。でも勝てるわ、そうでしょう?」
「ああ、当然だ。そのための前哨戦だからな」
青年はそう言って指定された次の席へと向かって行った。
そしてこの日、その青年は西地区交流戦を圧勝で優勝。直近で行われた西地区の大会を二連覇という驚異的な戦績を収めて激闘となる冬を迎えるのだった。




