第八手「弟子入り」
さて、前回の問題の答え合わせです。
この局面でどう指すかの必至問題でしたね。
正解は──2一飛成!!
この一手が必然! 同玉に2三銀打!!
これで必至になります。
以下金や飛車で受けても3四桂打から詰み。三手一組の必至手順でした。
今回の問題の様に、級位者が有段者になる為にはとにかく飛車や角を切る勇気を身に着けることです。
飛車を取られた後が心配、寄せきれないと反撃が来る。
最初はそんな怖さがあると思います。しかし踏み込むことは悪い事じゃありません、終盤は思い切って飛車や角を切ってみましょう。慣れれば飛車や角の価値観が変わってくるはずです。
それでは本編どうぞ!
取り合えず外は暑いので麗奈を家の中へと入れた。
「……」
「……」
俺達は昨日と同じく向かい合った形になった。
すると、正座していた麗奈は再び俺に向かって頭を深々と下げてきた。
「ごめんなさい!」
唐突の謝罪に俺は困惑する。
「えと……?」
「昨日あんたを馬鹿にしたこと、その……本当に悪かったわ。あのときの私は弱い自分を認めたくなかったの、自分より弱い人を見下して今の自分の棋力を正当化したかったのよ。だから、焦って気が立って……」
昨日とはまるで違う態度で、麗奈は頭を下げたまま謝り続ける。
「本当にごめんなさい……! 気が済むまで謝るわ! あんたも、いえ、あなたも必死に将棋を指していたのに、私はその指し手すら無下にしちゃって……!」
何をしに来たかと思えば、まさか謝りにきたのかこの子。
わざわざそんなことしなくても良かったのに。
「いや、いいんだ、謝る必要はないよ。俺みたいな将棋を舐めてる落ちこぼれを馬鹿にする権利は、あの時の君にはあったんだ。実際棋力だって一級にも満たないし、指導対局なんて言われれば腹が立って当然だ」
「いいえ! あなたは決して将棋を舐めたりしてない、むしろ誰よりも真剣に向き合ってるわ!」
自分で自分を貶めてた俺に、麗奈は真っ向からその言葉を否定した。
「昨日私を負かした対局、あの時のあなたは勝負師の目をしていた。お父さんと同じ、本気で将棋を指そうとしている目だった」
「麗奈の、お父さん……?」
「……私の父は舞蝶遠矢棋聖、4年前の棋聖保持者よ」
「なっ……!? 君の父親はプロ棋士だったのか!」
舞蝶遠矢、そういえばそんな名前いつだったかテレビで見たことがある。
「私の父は竜王戦目前にして、対局中に脳卒中で倒れて死んだのよ。私はその時父が指そうとしていた一手が知りたくて将棋を始めたの、父と同じ強さになればその手が分かるんじゃないかって思って。馬鹿げた夢かもしれないけど、私は本気で父の隣に並ぼうとしていたのよ」
「そうだったのか……」
自分の夢を語った麗奈は、憂いた表情で俺を見つめていた。多分、内心バカにされると思っていたのだろう。
でも俺はそんなことは思わなかった、その夢は決して馬鹿げてなどいない。
将棋は単純なゲームかもしれないが、彼らが指す一手一手にはその人の全てが詰め込まれている。だから麗奈のいう、自分の父親が指そうとしていた"たった一手"に人生を掛ける気持ちは全然不思議じゃない。
その"たった一手"に自分の想いを乗せることができるのも、将棋の魅力のひとつなのだから。
「……でも、全然上手くいかなかった。県大会では全然勝てなくて、どれだけ勉強しても勝率が上がらなかった。そんな時に鈴木会長に声をかけられたのよ、ある男と戦ってみないかって」
ああ、なるほど。そういう経緯だったのか。
鈴木会長が自ら動くなんてよほどのことだ、この子はこの地区にとっても優秀な選手の一人なのだろう。実際、県大会で負けるということは裏を返せばこの地区の代表だ、地区最強の選手でもある。
どうりで強いわけだ。
「正直、先日の敗北は身に染みたわ。あのあと帰ってからそれはもう猛省した、いかに自分が周りを見れていなかったのかを痛感せざるを得なかったわね。でもあの敗北のおかげで冷静になれた。……本当に、ごめんなさい」
真っすぐと前だけを見て話す麗奈に、俺は深く感心した。
なんだ、いい子じゃないか。
「いや、いいんだ。気にしてないよ。だけどそうか、君も自分の限界に行き詰ってたんだな」
「まぁね、でもあなたの振り飛車に対するトラウマほどじゃないわ」
「それはもう勘弁してくれ」
「ふふっ」
俺達は和やかな雰囲気で笑いあう。あれだけ険悪だった昨日とは全く違う雰囲気だ。
俺はお茶でも汲もうと立ち上がり、ふと窓の外を見た。すると、顔のバランスが崩れたオヤジが家のガラスに顔をくっつけていた。
「どうやら仲直り出来たみたいだね」
「「鈴木会長!?」」
俺と麗奈の表情が真っ青になる。
「な、なななにやってるんですか!」
ホラー映画は好きな方だったが、これは流石に恐怖を感じた。
「ふぃみはひが、ひゃんひょなはなおひへひるはなほほほっへ」
窓の外からくぐもった声で言い放つ鈴木会長。
「怖い怖い怖い! 軽いホラーですって!」
「害虫駆除のスプレーは持ってきてたかしら……」
麗奈が持ってきた荷物の中を漁ろうとする。やめてあげて、これでも会長だから、すごい偉い人だから!
それから被告人の言い訳を聞くため、俺はとりあえず鈴木会長を家の中に入れた。
「いやーごめんねぇ、二人が仲直りできるかどうしても心配で……」
「だとしても怖いですし近所迷惑だからやめてください!」
「虫よけスプレーしかなかったわね、効くかしら」
まだ探してたのかよ……。
「取り合えず鈴木会長はそこでじっとしていてください、俺はお茶汲んできますから」
取り合えず鈴木会長を部屋に案内した俺は、そのままお茶を汲みに行く。昨日は急に来られて急に対局始めたからお茶も出せなかったけど、今日こそは俺特製自慢の麦茶を出そう。
冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶を取り出し、氷を軽く加えてコップに注ぐ。
その間にも奥の方では何やら二人で話し合っているようだ、今後の大会への方針とかだろうか。俺は気にすることなくコップに組んだ麦茶をトレイに乗せると、そのまま二人のいる部屋に入った。
「天竜君、麗奈君を弟子に取りなさい」
俺は転んだ、唐突に転んだ──。
自分の家で転んだことなんて人生で一回も無かった。
多分科学では言い表せない不思議な現象が発動したんだろう。運んでいたお茶が宙を舞い、そのまま麗奈の頭へぶっかかる。
ビチャリ──。
麗奈の頭から肩は、俺の自慢のお茶で染められた。
「……本当に余計なタイミングで余計な事しかしないわね」
しかし麗奈は微動だにせず、なぜか目の前の鈴木会長を罵倒した。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
夏だから冷たい方のお茶を用意したのだが、逆にそれが功を奏した。もし熱々のお茶だったら火傷していたところだろう。
普段しない失態を目の前に慌てふためく俺に、麗奈は正座したまま頭を下げた。
「いえ、このくらい大丈夫よ。あなたにしてしまった仕打ちに比べれば毛ほどもないでしょう。なんなら熱々のお茶をぶっかけてもいいわ」
「いやそんなことしないよ!? 本当に昨日と同じ子!? というか本当にごめん! 今拭く物持ってくるから!」
「お構いなく」
慌ててバスタオルを取りに行く。脳内で秒読みが始まっていたので、持ってくるのに3秒もかからなかった。
そして麗奈にバスタオルを渡すと、後ろからピカピカおじさんの凄い視線を感じ取った。
「天竜君」
「はい……」
「麗奈君を弟子に取りなさい」
「さっき聞きました……。冗談ですよね?」
「本気だ」
「えぇ……」
そもそも師弟って言うのは強い者が弱い者に力を付けさせることだ。俺が麗奈に力を付けさせる? 逆ならまだしも、俺が師匠になる意味が分からない。
「というか、アマチュアが弟子を取るなんて聞いたことがないんですけど」
「道場などで教える先生は山ほどいるだろう」
「彼らは五段六段の高段者じゃないですか、俺は有段者ですらないんですよ? そもそも棋力認定書だって貰ってないのに……」
棋力認定書──一般的に"免状"と呼ばれるものがある。これは将棋連盟から正式に棋力が認められたという証明書のようなもので、特定の大会で優勝したり実績を上げることで貰うことができる。
なら一級の俺は一級の免状を持っているのかと問われれば、残念ながら持ってない。あくまでそのクラスの人達と競えるレベルというだけで、自称の域をでない。
そんな免状ひとつ持っていない俺に弟子を取れだなんて、鈴木会長は一体何を考えているのか……。
「大丈夫さ。何か特別な手続きが必要なわけでも無い、麗奈君も母親から許可を貰ったそうだ。会を代表して私からもいくらか援助をしようと思ってる」
「いやそんな勝手に話を進められても……」
突然の話に快諾できず悩んでいると、鈴木会長が俺の肩を掴んで顔を近づける。
「生活に困っているそうじゃないか天竜君……? これを引き受ければ連日のつらーいバイトをしなくて良いくらい豊かになるぞ~?」
「悪徳企業でももう少しマシな言い方しますよ……」
「ふむ、だが麗奈君の方は既に弟子入りすると言ってしまったそうだよ。ここで断れば泣いてしまうやもしれぬな」
チラリ、と隣を一瞥すると麗奈はハッと気づいて泣き真似をし始める。
おいまて、さっきまでぼーっとしてたぞこの子。
「う、うぅ……うぇ」
「下手っ!!」
しかも相当下手な演技だった、普段血気盛んな分演技は苦手なタイプなのかな。
「ほら麗奈君、天竜先生に言質を取りに行きなさい」
なんつう言い方してんだこのツルピカオヤジ。
怒涛の無理攻めで俺の承諾を捥ぎ取ろうとしている鈴木会長。すると麗奈は人が変わったように元気な声で俺に向き合う。
「今日からよろしくお願いします天竜先生! いや師匠!」
「師匠って、お前性格変わりすぎじゃないか? あれか、ツンデレなのか?」
「つん……!?」
麗奈が顔を真っ赤に染める。
はぁ、まるで端攻めを全部受けきったような気怠さだ。しかし金欠なのも事実、もう大会に出なくてもいいと思っていたのも単純な資金不足が原因でもある。
多少強引な進行に裏を勘ぐらずにはいられないが、それでも鈴木会長は信頼できる人物だ。
「はぁ、分かりました。生活に困っているのも事実ですし、現金な答え方ですけど引き受けましょう。ただ俺から教えることなんて何もないですよ。時間だけは山ほどあるんで別にいいですけど」
こうして俺は、渋々ながらも鈴木会長の手に乗ったのだった。
「はっはっは! 何を言ってるんだ天竜君、君に時間なんてあるはずないだろう。フハハ!」
フハハって、なんだこの魔王。
活気付いた鈴木会長は勢いよく立ち上がると、眼鏡を外して俺を名指しした。
「天竜君、君は麗奈君と一緒に──プロを目指しなさい」