第七手「それぞれの才能」
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さて前回の問題の答え合わせです。
この局面で後手がどう指すかでしたね!
正解は──
──4五桂です!
この一手が好手! 先手の角筋を避けながら5七の地点を睨んでいる素晴らしい一手です。
しかしここで注意、もし先手が5七の地点を受けなかった場合は桂馬を"成"ってはいけません!成らずです!
5七桂不成が後手の最善手、次の6九飛打が非常に厳しく先手は4九の金を見捨てるほかありません。
これが5七桂成だと手が空ぶってしまい後続手がありません。
横歩取りの乱戦長は"中盤が無い"のでとにかく早い攻めを見せる事が大事です!
では本編どうぞ!
対局は予想外の結果を迎えた。
先程までとは打って変わって、圧勝したのは私が1級以下と馬鹿にした男──天竜一輝。
30分以上あった持ち時間を全て使いきり、秒読みに入った私に対してこの男の持ち時間は……わずか40秒しか減っていなかった。
全ての手がノータイム指し。一切無駄のないコンピュータの様な手筋。
横歩取りの戦型指定からたったの46手で私の玉は詰まされた。25手詰みを省けば、始まってからたったの21手で決着が着いたことになる。
私はそんなありえない状況に、投了の挨拶も忘れて声を震わせながら男を見上げる。
「じ、実戦で25手詰みを読み切るなんてありえない……普通じゃありえないわ! アンタさっきは手を抜いてたの!?」
「そんなわけないだろ。実践でそんな長い詰みを読み切れるほど俺は強くない」
「じゃあどうして!」
男の発言に目を見開かせ問い詰める。
するとあり得ない回答が返ってきた。
「──覚えてるからだ」
「……っ!?」
人って驚きが過ぎると、半ば放心状態になるんだとこの時初めて実感した。
「横歩取りを、一つの戦法を完全にマスターしたっていうの……?」
「完全じゃない、4割くらいだ」
「4割って……あんた自分が何を言ってるか分かってるの……?」
常軌を逸した言葉に首を振って否定する。それができれば世の中の将棋指しはこんなに苦労していない、頭を抱えたりしていない。
いくつもある戦法のひとつとは言え、それを4割も把握するなんて普通じゃありえない。かの伝説を築いたプロ棋士でさえ、自分は将棋の1%も理解できていないと答えるほどなのに。
「それは1000や2000じゃ済まない手数の暗記量よ……局面数だけで見れば数万手は越えててもおかしくない、人間のできる範疇を越えてるわ!」
それが普通じゃないと突きつけても、男の目付きは死んだような目のままだった。
「プロ棋士はそれ以上の世界にいるだろ」
「でもっ──!!」
その言葉を言いかけて、私はふと男の後ろにある本棚に目がいった。
「あ……」
大量に並べられた本、手垢が付いているのが遠目からでも分かるほど汚れた表紙。その表紙にはすべて同じようなタイトルが書かれいた。
──『振り飛車対策』。
「うそ……」
私は思わず立ち上がり、唇を震わせて男の背後を見渡す。ずらりと並ぶ大量の本、端から端まで色鮮やかに並ぶ将棋の本。
その全てが、振り飛車対策に関する定跡書だった。
合点がいった、辻褄があった。どうして1回目はあんなにもあっさり勝てたのか、2回目との棋力差は何が理由だったのか。
そして、自分がやってしまったことへの罪悪感が押し寄せてきた。
「わた、わたしは……」
「なんだ、知っていて指してきたものだと思ってたよ」
死んだ目で見上げる男に、感じたこともない冷や汗が流れてくる。
「……なぜだろうな、自分でも原因が分からない。横歩取りを覚え過ぎたせいで脳がそれ以上の情報を受け入れられないのか、相居飛車という形だけは覚えやすいと体が認識しているのか。……いずれにしても、俺は振り飛車が苦手だ。これだけの本を読んでも君との勝負はあのザマだったんだ、わかるだろ?」
落ち着きを取り戻した男の表情は、悔しさというよりも諦めの色だった。
「天竜君……」
鈴木会長の声掛けにも溜め息で返した男は、そのまま静かに席を立つ。
「……もう帰ってくれ。鈴木会長も、悪いけど今日は気分が優れないんだ」
「分かった。今日は急にお邪魔して悪かったね、後日どこかでお礼しよう。ほらいくよ麗奈君」
「あ……」
促されるがまま私も立ち上がる。
今の自分と同じ躓きだ。それが重なっているのが分かっていたのに、彼に掛ける言葉が見当たらなかった。
25手という長手数を暗記できる力があるのに、振り飛車の対抗型だけは覚えられない? そんなはずがない、そんなはずがないのに……私は鈴木会長の手にひかれてそのまま彼の自宅を後にしてしまった。
◇◇◇
麗奈たちが帰った翌日。
俺は今日もひとり、ベッドの上で将棋アプリの入ったスマホを触っている。
「……」
虚しさだけが残る空間だ。
あれだけ練習を重ね、大会を終えた後という最も集中力が持続している状態ですら、あの麗奈という少女には勝てなかった。
2局目の勝利も、横歩取りという戦局指定をしてこちらの土俵で戦ってもらったに過ぎない。
そして、その横歩取りだってただの暗記で得たかりそめの力、長い年月をかけて得た力にしてはあまりにも局所的な武器だ。昨日の麗奈との戦いのように戦型指定をさせてもらわない限り、実戦で活かせる場は訪れない。
結局のところ求められるのは、どんな局面でも対応できる感性と読みの力。数多ある戦法の中でたった一つを磨いても意味なんて無い。
ましてや暗記で得た力なんて論外だ。
「……きっと、あの頃の報いなんだろうな」
今でも脳裏に焼き付いてる記憶。
忘れたくても忘れられない、初めて勝利に震えた感情、倒してはならない相手を倒してしまった喜び。あれを知ってしまった罪が、今の俺に降りかかっているのだろう。
「将棋なんて、やらなきゃよかった」
感情無く呟く声が本当の気持ちを暴いている。
だって、俺はそう言いながら今も将棋を指しているのだから。
──ピーンポーン。
「……ピーンポーン?」
普段聞き慣れてないチャイム音が突然鳴らされ、俺は無意識に復唱する。
今度は誰だ? 友達すらいない俺にこうも立て続けにチャイム鳴るとせわしないな、今度こそ郵便物か何かか?
「はいよ~、どちらさまですかっとうぉ!?」
玄関の扉を開けた先にあったのをみて、思わず昨日と同じ反応をしてしまった。
その扉の先に居たのは、見たことのある華奢な美少女──麗奈だった。
「……あの」
「……何の用だ? 悪いが対局はもうしないぞ」
一瞬驚きはしたものの、俺は冷めた声で言う。またボコボコにされるのはもう勘弁願いたい。
「ごめんなさい!」
しかし麗奈は正面から俺を見つめると、そのまま深々と頭を下げたのだった。