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竜の横歩  作者: 依依恋恋
急襲・昇竜編

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第六十五手「研ぎ澄ました者達の証左」

 

「あ、ああ……終わった……」


 Bグループのある一人の選手が、その言葉を発して膝を着く。

 彼はこの大会の優勝を求めてはおらず、次回から本格的に玉座を狙おうとしていた晩成型の選手。勿論麗奈の存在も注視しており、対策も様々講じてきた。


 だがこの状況、この結果──。その選手は麗奈の急成長にただ涙するのみ。

 何故なら、これからの大会もこの状態の麗奈が参戦するということだからである。それは、今まで緻密に練ってきた作戦という名の未来の切符を白紙にされたようなもの。


 拮抗していたバランスは崩れ去り、この地区における優勝の座は麗奈によって完全に消し去られたのだ。

 少しくらい打開策はないのか? ──ない。


 元来より、あらゆる戦術を使いこなすオールラウンダーは相手にとって最悪なまでの存在である。常に相手の弱点を突き続け、自分は最適な状態で駒組を行える。それは手が進めば進むほどに形勢が傾き、相手がそれに焦って無理矢理攻めてしまうと、張られていた罠に嵌って一網打尽にやられてしまう。


 かといって、まともな棋力勝負で戦えば前々大会優勝者の麗奈に敵う者はいない。いたところで圧倒的不利な状況からの棋力勝負、それはもう勝負にすらなってはいないだろう。常に背水の陣で戦わされているような状況である。


 そして麗奈ほど大量の戦法を覚えていない彼らには、二重の意味で対策の施しようがない。ただただ自分の弱点を抉り取られ続ける麗奈の悪魔的なまでの所業、Bグループの選手たちは完全に頓挫していた。


「ふふふふふ……あーはっはっはっは!!」


 大会開始からたったの2時間40分、お昼休憩を迎える前に優勝カップを手にする麗奈。

 先程までのクールな表情から一転、女王様顔負けの高笑いをしている。

 影から見ていた俺と鈴木会長もこれにはドン引きだった。


「麗奈、お前もう悪役だぞ……」

「麗奈君の実力はよくわかったよ、だからその高笑いはやめなさい……」


 Bグループの選手達がこの世の終わりみたいな顔してる……。さすがの鈴木会長も、麗奈のこの成長っぷりには眼鏡を曇らせるしかなかった。

 だがこの結果も想定の範囲内、当然の結果とすら言える。


 麗奈は俺の何倍も勉強に時間を費やしており、寝る間も惜しんで暗記と実戦を繰り返していた。

 ただでさえオールラウンダーという異質な才を持っているのに、唯一の弱点であった咎めるべき弱さを克服してしまったら、それはもう手の付けられない本物のオールラウンダーである。


「あら、師匠じゃない。調子はどう?」

「順調だよ。麗奈は……聞くまでもないな」

「言ったじゃない、余裕で優勝するって」

「はいはい。勝者の言葉は全て正しいさ、麗奈さまの仰せのままに」


 現在時刻は12時40分。大会は夕方ごろに終わるのを想定して組まれているはずだが、麗奈は13時のお昼休憩前に大会を終わらせてしまった。

 Bグループの運営側も、困惑した表情で後片付けをしている。

 今までずっと傍でその力を見てきたはずなのに、いざこうして結果を残されると──全く、呆れた強さとしかいえない。


「……私は夢でも見ているのかね? 麗奈君の指し手が驚くほど鋭くなっている。咎めるべきタイミングを全く逃していない、これは一体……」


 記録された決勝の棋譜を拝見していた鈴木会長が驚きの声を漏らした。

 麗奈は新聞社の撮影で、上位3名との写真を撮られながら答える。


「"次の一手問題"を解きまくったのよ。3週間、ずっとね」

「だがそれだけでこの成長速度はいくらなんでも──」


 中々見せない営業スマイルで写真を撮り終わった麗奈は、鈴木会長の言葉に軽い溜め息をついた。そして端に置いてある大きめのバッグを引っ張ってくると、蓋を開けて逆さまに向ける。

 すると雪崩のように次々と将棋の本が落ちてきた。

 その数は一目見ても30冊を越えており、どれも"次の一手"と書かれた問題集の本だった。


「合わせて5000問、全部解いたわ。今は4()()()ね」


 それをみた鈴木会長の目の色が変わった。


「……」


 そう、麗奈はずっと問題を解いていた。ベトナムに行っていた時からずっと。

 海で遊んでいた時も、食事をしている時も、俺が砂遊びで豊胸している時も、ワイルドブラスターで大車輪している時も、ずっと、ずっと欠かさず本を読み続けていた。

 新品と思われる本の表紙とは裏腹に、そのページの切れ端には手垢が付くほど汚れている。


「……すまない、私が間違っていたようだ。君のプロになるという覚悟を甘く見ていたよ」

「何を今さら。言ったはずよ、絶対プロになるって」


 その目の輝きはあの時から一切失われていない、必ずものにするという強い意志がその目からは感じられる。

 これが努力の結果──彼女なりの証左だ。


「取り合えず麗奈、優勝おめで──」


 その言葉は寸でのところで止められる。思わず口走りそうになった単語は、唇に当てられた麗奈の指先によって思わず塞がれる。

 なんだこの抑止力、現代の沈黙魔法か何かか? 口が開かねぇ。


「それは家に帰ってから、ね?」


 何ともまぁ勘違いされそうな言動を取る麗奈。先程まで死んだ目で机に突っ伏していたBグループの連中が、こぞってこちらを睨みつけている。


「……そうだな、人を祝う前に自分のことに集中しなきゃいけないな」

「ふふっ、今の師匠ならいけるわ。自分を信じて、先に進みなさい」

「分かった」


 麗奈はこの後表彰式やら取材やらで忙しくなるだろう、俺もそろそろ気合を入れなおして自分の大会に注力しなければ。

 ……などと思っていたタイミングで、係の人が誰かを探すように階段を降りてくる。


「天竜さーん? いますかー?」

「はーい」

「対戦相手が決まりましたので、会場にお戻りくださーい」


 どうやら2回戦の相手が決まったらしい。

 俺は麗奈と鈴木会長に軽く手を振って、Aグループの会場へと向かった。

 その時僅かに頭ではなく眼鏡を光らせていた鈴木会長が見えたのだが、気のせいだろうか。


 ◇◇◇


 大会会場の1階、普段使われる事のない部屋の中からその不気味さは漂う。

 執拗なまでのニヤケ顔と自信満々の選手達で溢れかえるその会場は"Cグループ"。

 麗奈のいたBグループは堅実で合理的な指し方を好む選手が多かったが、Cグループはそれと真逆の雰囲気が漂っていた。


 何か策を秘めた顔つきで揃う選手達、しかしその本質は相手を貶めることで成り立つ嫌味な戦術。

 その部屋からは、どこからともなく聞こえる笑みと悪寒だけが漂っていた。

 そんな彼らの戦う盤面を見れば、その本質は一目瞭然と分かる。


 絶妙な囲いのバランスを活かして時間攻めを狙う『アヒル戦法』、わざと隙を見せ相手を嵌め倒す『パックマン』、奇襲の代表戦法である『鬼殺し』など、Cグループはトリッキーな戦法を好む選手達が集っていた。

 だが奇襲とはどこまで行っても奇襲、正道の定跡には敵わない悪手である。


 しかし彼らの理念は正しい手を指す事ではない、結果的に勝つことだ。たとえ悪手だとしても、相手がその手を咎めきることができなければ、その手は最強の最善手になる。

 ここはプロの世界ではない、アマチュアの世界。舞台が舞台なら、出現する戦法も自ずとそれに合ったものが正しい。

 彼らの使う奇襲戦法こそ、この場においては正着手なのかもしれない。


(──フッ、成田聖夜。前回大会の優勝者で得意戦法は振り飛車、しかも古典的なノーマル四間飛車使い。……甘い、甘すぎますねェ?)


 そんな中、一人の選手がタブレットを片手に眼鏡を指先で軽く持ち上げる。


(あなたの情報は全てインプット済み。以前取得した過去のデータから、戦法は古いものを使い囲いは最新型を好むというのは既に分かっているんです。ならばそれに特攻した戦法を組み上げれば良い)


 将棋は他の競技と違い、一つの局面に数百を越える戦術や戦法が存在する。そのため同じ戦法を使用しても、駒組や攻め方などは中々被ることはない。


 唯一性、それが将棋における真の定跡──。


 ならば簡単、その唯一性を咎める駒組をすればいいだけの話。相手が使う戦法の弱点、ただそれだけを学習すれば読みの力も無駄な駆け引きも関係なく勝利できる。


(ああなんと簡単な作業か……! これでボクの優勝も間違いなしですねェ?)


 眼鏡をかけた男は目前の選手──今回の優勝候補、成田聖夜を前に座る。無類の地区王者として君臨するその男を破るのは至難の業。しかし男は、自身の完璧な策を疑うことはない。


「お願いします」

「お願いしますねェ」


 クククと隠し切れない笑いを零し、余裕の笑みで聖夜の手を待つ。

 振り飛車の序盤は霧のように窺いづらく、相手の戦法は数手先までいかないと明確にならない。



挿絵(By みてみん)


 対局開始から数手──。眼鏡をかけた男が四間飛車の対抗策として繰り出したのは『三間飛車』。

 相振り飛車は玉をより右へ、相手から見るとより左へ囲うのが定跡。そのため、攻めである飛車はより左へ、相手から見ると右へ持っていくのが定説とされている。


 飛車は玉を攻撃するための要の駒、相手の王様が左へ逃げるなら、こちらも飛車を左へと持っていく必要がある。

 よって、中飛車より四間飛車、四間飛車より三間飛車、三間飛車より向かい飛車と、相振り飛車は飛車をより左側へ持っていくのが優位性を高める結果へと繋がる。


 つまり、そうつまりだ──必ず『四間飛車』を指す聖夜を相手にするのなら、『三間飛車』を指せばその優位性は序盤から確実に取れるのだ。

 そしてその優位性を保ちつつ駒組を進め、先んじて仕掛ければおのずと勝利へ繋がる──。


(これこそがボクのパーフェクトプラン……! 何が優勝候補ですか、ボクにかかればただの砂上の楼閣だということを見せて上げましょう!)


 男の考えなど知る由もない聖夜は、いつも通り2筋にいる飛車を持ち上げる。宙に浮いた飛車は隣の3筋を通過し、4筋、5筋と横に移動していく。


(さぁ指すのです、その飛車を6筋に置いてブザマな四間飛車を晒すのですよ……!)


 手に持たれ線路を渡る列車の如く横に移動する飛車。

 それは四間飛車を意味する6筋へと止まる──ことはなかった。


「は……?」


 その飛車は7筋、8筋を通り過ぎ──9筋で止まる。

 固まった男の表情を嘲笑うかのように、聖夜から笑みが零れた。

 余裕という名の皮は剥がれ、男の額からは大量の汗が滲み出る。



挿絵(By みてみん)


 ▲9八飛。


九間飛車(きゅうけんびしゃ)……!?」


 満を持して放たれたその振り飛車の名は『九間飛車(きゅうけんびしゃ)』。上手(うわて)香落ちの裏定跡として知られるマイナー戦法の一種。

 平手の実践ではまず指されることのない一手が、聖夜から飛び出す。


「バカなッ、奇襲戦法だと……! きっ君がそんな手を指すデータなんて載っていない、一度も指したことがなかったはずだ!」

「はぁ? 過去のデータ? ここにいるのは今の俺だ、過去の俺を調べて何が分かるってんだ?」

「……ッ!」

「あーでもごめんなぁ? 九間飛車なんて指しちゃってさぁ……確かお前は()()()()()()だったのになぁ?」

「まっまさか……」


 その男の得意戦法は、相振り穴熊による飛車交換の殴り合いだった。

 横から強い穴熊は飛車交換した際に絶対的な優位性を誇る。故に穴熊は、居飛車だろうが振り飛車だろうがトップクラスの堅さを誇る囲いとして君臨している。


 だからこそ、一度相振り飛車の形を取り駒組を終わらせた後に飛車浮きからの飛車交換を狙う。三間飛車と四間飛車の差で得た手得を活かして交換を間に合わせ、囲いの暴力で勝つ──それが男の狙いだった。

 だが穴熊にはいくつかの弱点がある。その一つとして有名なのが──端だ。


「相手の過去の棋譜を調べて実践に活かすなんざ誰もが考える手法だ。だが大半の連中はそれをしない、何故だか分かるか? 効率が悪すぎるからだよ。大会参加者全員分の棋譜を参照するなんて膨大な時間が掛かるし、それをする暇があったら自分の弱点を補う方へ時間を費やした方が遥かに効果的。お前のやってる行為は相手の足元をすくって自分が強くなった気でいるだけだ」


 かつての自分に向けた言葉を、聖夜はものともせずに言い放つ。

 そう、将棋は相手の嫌がる手を指すことが勝負の肝だが、そればかりに注力していては己の力がついていかない。自身の弱点を極限まで削り落としてからこそ、初めてその策は効力を発揮する。


 そして将棋における本物の策略とは相手の先を読むことではなく、相手がいかなる手を講じても防ぎようがない必至の策のこと。

 聖夜の手を躱す方法は至って簡単、穴熊を組まなければいい。


 しかし男にそれはできない。生涯穴熊以外の囲いを作ったことがないこの男に他の囲いを指すことなどできなかった。

 よって敷かれた策は泥沼と化して相手を飲み込む、逃げられない咎の楔と共に。

 網にかかった餌の如く、男の策は聖夜の一手によっていとも簡単に灰燼と化した。


「このボクが、逆手に取られたっていうのか……?」


 男は汗を垂らし俯く。

 全てを見通せると勘違いしていたその眼鏡からは、歪んだ盤上だけが映り込んでいた。


「……クソ、クソクソクソがあああッ──!!」


 ひとつの戦法ですら完全解析されていないこの時代に、複数の指し方を好むものは少ない。そうなればおのずと戦法を一つに絞った相手が多くなる。

 聖夜にとってはそれを嵌めるなど造作もないこと。


 人はどこかに必ず欠点がある、絡め手が全く効かない相手などいない。いるとすれば、それこそ全ての戦法を指せるような──オールラウンダーくらいだ。

 聖夜はそれが可能なただ一人の少女を思い浮かべる。


「……あんなのがアマチュア界にそういてたまるかよ」


 過去に戦った天敵の存在を鼻で笑い、自身の盤面に集中する。

 その試合、聖夜は完勝とも言える棋譜を残して勝負を制した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 聖夜やりますね! そして哀れな相手! あの手の人間は負けるのがお約束ではありますよね! 計算が甘すぎましたね!
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