第六十手「アマチュア黄龍戦」
前回の答え合わせ及び解説。
ep18【空振りホームラン】
正解は▲2二飛成△同角▲2三桂。
今回も邪魔駒を捨てて詰ます手筋でした。2三の飛車がいなければ2三桂と打って詰む、という形を想像することで飛車を捨てて桂馬を打つスペースを作るという事ですね。
穴熊は玉が狭いので桂馬の吊るしが非常に有効です、穴熊側はこうならないために過剰に守る必要もあるので非常に扱いが難しく、有段者向けの囲いと呼ばれる所以でもあります。
二人組が会場に足を踏み入れると、一瞬で会場内の空気がガラッと変わった。
しかし向けられるのはほんのわずかな一瞥のみ。
「見ろよあれ」
「うわー……」
周りからチラチラと視線を向けられることにはあまり慣れていない天竜だったが、戸惑う様子もなく受け付けの場所まで一直線に歩き出す。そして麗奈もその横に並ぶように、対局想定図を思い描きながら歩きだした。
「おいおい、女連れって……」
「緊張感ねぇな」
それは大会場所を間違えたタッグか、大会そのものを舐めている恋人か。県に続く大会ということで参加者は前回の5倍以上、無論麗奈や天竜のことを知っている者はほとんどいなかった。
だからこそ向けられる視線は「落ちるところまで落ちたか」とでも言わんばかりの棋士精神滲み出る哀れみの目。
同然、ここは全国大会に通じる公式大会の会場。泥水啜り、血反吐をはいて、それでも勝ちたいと手を伸ばし続ける猛者達の檻。生半可な覚悟で立っている者など、この場には誰一人として存在しない。
──故に、半数以上からはそんな冷たい視線が二人に注がれていた。
そしてもう半数は違う目でその二人に視線を向ける。かつて一端のアマチュアだった底辺の男が、とある大会で波乱を巻き起こしたこと。それを知る者達は、彼ら二人が今大会最大の強敵になることを悟り、思わず息を呑んだ。
「はい、これが領収書です」
天竜と麗奈は慣れた手つきで受け付けを済ませると、適当な席に座って待機した。
麗奈はいつものように定跡書をカバンから取り出して読み始め、天竜は最近懐が余裕になったのを機に財布を取り出して再び席を立った。
「お茶買ってくるよ」
「ありがとう」
そこへ、丁度良く話しかけてきた特徴的な格好をしたオッサンが一人──。
「おお、久しぶりじゃないか天竜君! どうだい調子は?」
「お久しぶりです鈴木会長。ええ、まぁ。ぼちぼちです」
頭を軽く下げ、挨拶を返す天竜。そのまま外の自動販売機へと駆け足で走っていった。
それをまじまじと見つめる鈴木哲郎。
「以前と同じ声のトーン、目付き、表情。しかし……」
何か、別の者と対峙しているかのような感覚が鈴木哲郎を襲う。彼らがこの数週間のうちにしてきたことを、鈴木哲郎はおおよそ理解していた。
しかし、それでもたった数週間の修行など雀の涙ほどの成長しか見込めない。それを実践で活かせるようになるには、膨大な時間を要する。
だが、鈴木哲郎は天竜の右手の指の位置が僅かにズレていることに気がつく。
「……なるほど」
天竜の指に視線を向けて思案する鈴木哲郎に、麗奈は感嘆の表情を浮かべる。二人の視線の先、天竜の右手の指にその答えは眠っていた。
親指と薬指との間隔がほんの少し短くなっている。人指し指も内側に入るくらいに曲がり、駒を掴む時の指の形に似た状態になっている。
そんな副作用ができてしまうほど、将棋を指していたのだろう。たった数週間で、指の定位置が上書きされるほどに。
「……一体、この期間で何局指したのかね」
「さぁ、私も途中までは数えていたんだけどね」
続く言葉は聞くまでもない。──数えるのをやめてしまうほどに指していた。前回の大会前は、約1ヵ月間の特訓で300局以上を対局してきたと言っていた。そんな麗奈がここ数週間の対局数を覚えていないと言う。
鈴木哲郎はすぐさま悟る、この二人の修行が遥か常人の先をいっていることに。その短い月日の成長が、この二人ならばただの凡夫なものに収まるわけもないと、そう思っていながらそれでもなお、驚嘆を顔に出した。
そして同時に、麗奈の指にも包帯が巻かれている事に気が付く。
「まさか麗奈君、その指も──」
「あ、これはただ料理で怪我しただけよ」
「そ、そうかい……」
◇◇◇
「お茶でいいかな」
自動販売機で適当な飲み物を2つ買い、会場へと戻る。
「……今さら緊張してきたな」
騒然とした空気感が頭上を過ぎ去り、辺りを見渡して息を呑む。何人いるのか一目では分からないほど、大勢の参加者が会場内を埋め尽くしていた。
後方に置かれた観客用の席があり、そこに座っていた麗奈の隣に腰を下ろし飲み物を渡す。
「ありがと。それにしても今日は随分と人が多いわね、新しい大会だからかしら」
「かもな。新規が多いのか、半分以上は知らない顔だ。つまり俺が振り飛車が苦手だって知らない奴がこれだけいることになる。──ほんと、今さら転機が訪れたって遅いのにな」
過去に幾度大会に出ても対戦相手は同じ顔見知りばかり、何度繰り返しても振り飛車を指されて同じ結果を突きつけられた。そしていざ対策を練って来たかと思えば、それが無意味になるくらい大勢の初参加者で埋め尽くされている。
努力の先に実る結果なんていつもこうだ。
「どうせ同じことよ、前に進むって決めたんだから」
「そうだな、同じことだった」
優しく微笑みかける麗奈に顔を上げて応える。前に進むことを決めた以上、もう後ろは振り返らない。
先人達と同じ道を歩むことを否定し、目の前に立ちはだかる幾多もの岐路を悠然と笑って道なき道を進む決意をした。
これはその第一歩になる。
「──選手の皆さんは席についてください」
会場全体に熱がこもる、秋の寒波を寄せ付けない情熱と思想。
係の人が壇上へと上がると、それまで笑い声や陽気な挨拶が交わされていた会場の空気が一変する。
「──始まるわよ」
「ああ」
シーン……と静かになった会場。全員が顔を上げ壇上に視線を向ける。その先にあるのは本大会の名称、県へと続く全国開催の公式大会『アマチュア黄龍戦』と書かれた旗。
この中の誰かがその冠を手にする資格が得られる。生涯に一度きりかもしれないタイトルの証、そして世代の頂点に続く梯子を登れる権利。
ここにいるのはただの参加者じゃない、栄光を目指す挑戦者達。上下格差なんてものは無く、ただその一瞬の勝敗によってのみ決まる明快な戦いが今から始まる。
「──それでは、本大会の説明に移らせていただきます」
アマチュア棋士全ての想いを乗せた大会が、ついに幕を開けた──。
『第三回アマチュア黄龍戦・地区大会』
1.参加資格:指定支部在住者。及び前日規定日までに参加申込を完了した者。
2.参加人数:各クラス150名まで。当日欠席者が出た場合はその枠を不戦勝とする。
3.種 目:子供の部(満12歳未満)/代表戦(無差別)。いずれもトーナメント方式。
4.主 催:連盟支部銀譱委員会、株式会社ラッセル新聞社。その他提携企業3社。
5.経 費:大人3000円、小学生以下1500円。昼食提供無し。
6.日 時:8時30分~9時00分受付。9時30分開会式。10時00分~対局開始。
7.大会規定:子供の部/代表戦いずれも持ち時間は20分の30秒とする。持将棋には入玉宣言法を採用し、27点法に則るものとする。千日手発生の場合は時計を中断、対局者のいずれかが挙手をし、審判を挟んだ上での先後入れ替えを行い新規対局再開となる(持ち時間はそのままとする)。その他のルールは全日本統括将棋連盟及び棋界第十六議会規約に属する。
8.結果規定:代表戦に置ける上位3名は、12月18日及び12月19日にラッセル新聞社にて行われる『アマチュア黄龍戦・県大会』への出場を可とする。当日欠席予定の者が出た場合は繰り上げ順位(以降繰り上げ式に準ずる)の選手に参加資格が移譲される。交通費、旅費は本大会終了時に指定選手上位3名に銀譱委員会より支給。