第六手「神の一手」
日間ランキング1位……。もう驚きません(震え)
さて前回の問題の答え合わせです。
前回の話で天竜一輝が指した3三飛成(同飛成)→7七角と指した手順。
この手には戦法名があって、次のうちどれか。という問題でしたね。
・青野流
・竹部流
・7七角戦法
まず"青野流"ですが、これは3四飛車と横歩を取った局面で飛車を浮かせたまま2九の桂を活用していく戦法です。
また場合によっては8九の桂も使って7七桂、3七桂と桂馬をぴょんぴょんさせて相手の5三の地点を殺到する恐ろしい作戦もあるのです。
なので残念ながら不正解ですね。
では"7七角戦法"はどうでしょう、名前からして天竜一輝が指した7七角打と一致しています。
実はこの7七角戦法というのは"振り飛車"の戦法なのです。
初手▲7六歩、△3四歩に3手目で▲7七角と上がり向かい飛車をみせるこの指し方。後手△7七角成には同桂として次の▲6五桂→▲5五角を見せるハメ手順もあり非常に魅力的な戦法です。
ですが問題の答えとは違いますね!
ということで正解は……本編をどうぞ!
鈴木会長はこれを待っていたと言わんばかりに腕を組む。
『竹部流』と呼ばれるこの戦法。▲3三同飛成は少し考えればすぐに思いつきそうな手だが、後手良しの変化が後々多いためマイナーな戦法の一種として姿を消した。
だが、この手は奇襲戦法とは違う。勝つか負けるかはその戦型の局面を全て暗記した者だけが言える言葉であり、僅かな差を悪型と判断していいのはその道のプロだけだ。
我々アマチュアにその判断材料は存在しない。
彼は常に弱気な姿勢だ、故に相手をよく見る。
先程の試合で麗奈君が定跡を好む進行をしていたため、今回は敢えて外してきたのだろう。
将棋は自分の強さをぶつける競技じゃない。──相手が嫌がる手をひたすら指し続ける競技だ。
甘さを捨て相手の油断を誘い、例え悪手だろうと妙手にしてみせる。その先にある芸術的な勝利とはそういうものだ。
対する麗奈君の方は先ほどまでの覇気が消えている、彼の本質に気づき始めている証拠だろう。
これできっと、彼女が目指したかった本当の高みを知ることになる。
私も将棋に人生を捧げてきた一人、最後くらいその先の頂きを見てみたいものだよ。
◇◇◇
私は1分ほど考え、盤上の飛車を切った。
△8八飛成。
飛車取りと▲3三角成からの三枚替えを防ぐにはこの一手しかない。
だけど気づけばただの飛車角交換、この男は定跡書に載っていない▲3三飛成という手を指したはずなのになぜか形勢は互角に見える。
▲同銀。
男はノータイム指しを崩さない。
私は飛車角二枚を手持ちに加えられたけど、この男の角筋が絶妙過ぎて全く手出しが出来ない。
違う、▲3三同飛成は本に書いてなかった。書いてなかったのは悪手だからよ。
定跡書は基本次善手や最善手しか書かれていない、つまりこの手は悪手のはず。
どこか、どこかにに攻め入る隙があるはず……!
「……!」
あった、△2七飛! ここ! ここなら▲2八飛と受けられても△2六歩の継ぎ歩がある!
△2七飛打。これならどう? 先手受け無しで困ってるでしょ?
「……」
しかし男は俄然表情を崩さないまま飛車を持ち、▲2八の地点へと打ち込んだ。
──▲2八飛打、△2六歩、▲2七飛、△同歩成。互いに一歩も譲らぬまま、局面は着々と進行していった。
これで一方的に"と金"が出来て優勢ね。ふん、見たか負け犬。これが実力の差よ。
自分の優勢を確信し、士気を取り戻してきた私の後ろで鈴木会長はほんの僅かに顔を歪めた。
恐らくこの男の悪手に気が付いたのだろう。自分が自信満々に指定してきた横歩取りで実力が発揮出来なくて納得がいかないのね。
私はそう解釈し高々と駒を捌き切る。
▲2一飛打、△2八歩打、▲3三角成、△同金、▲3一飛成、△6二玉。
既に局面はこちらが圧倒的に優勢。
私は余裕のある笑みを取り戻して思考を再度回転させた。
「──楽勝ね」
確かにこっちはずっと受けているけど、持っている駒が段違い。
銀と桂馬の2枚しかないこの男と違って、私は飛車角合わせて3枚ある。これは私の手番になった瞬間一気に寄せ切って勝ちね。
それにこの男の次の手は既に見えている。
それは▲3三龍と金を取る手。目の前に金が落ちているのだから取って持ち駒にするのが普通よね。だけどその手は緩手、甘い手ね。王手でも無いから手番が私に回ってくる。
そしてそこで△2九歩成とすれば攻守が逆転するわ。
「へえ、まだそんな顔できるんだ」
一切表情を変えない男を私は鼻で笑う。
この局面、既に私の勝ちは揺ぎなかった──。
「……」
しかし、男はここでとんでもない手を指した。
まるで竜の化身を宿したかのような瞳、それが見つめる先は軟弱な離れ駒達ではない。私の首元、ボロボロの籠城へ逃げ込もうとする私の王様一筋──。
竜はその隙を絶対に見逃さない。
その手は▲2二龍。ただの王手だった。
「……は?」
私はこの手の意味が全く分からなかった。
だってこの▲2二龍には当然受ける、でも受けた後に▲2三龍と金を取るのなら、さっきの順に合流してしまう。
そればかりか、私が一手受けるのだからその分守りも固くなる。どうみたって無駄な手としか思えなかった。
だから私は、当然といった手つきで△5二金と指した。
それが大悪手とも知らずに。
▲8三桂打。
私の△5二金に男は見切ったように指し返した。
全く注視していなかった反対側から攻めてきて驚きを見せるも、私はこの手に疑問を持った。
何この手? 銀取りだけどそれが王手になるわけじゃない、かといって直接攻めているような手でもない。
この男は銀が欲しいの?
確かにここで私が8二や7二に銀を躱すと7一銀と打たれて厳しくなるのは分かる。
でもこれは緩手、放っておいても特に問題になるような手ではない。それに相手は金を持たない限り▲7一桂成は詰めろにならない。
つまりこれは……。
「勝った……!」
小声でそう呟いた。
私は目の前の男を力でねじ伏せた証明と共に勝者の顔で見下したまま切り返した。
「これで終わりよ!」
私は力強い手つきで△2九歩成と指した。
勝った、この手は防げない。かといってこの男に攻める手も無い。間違いなく勝ちを確信した瞬間だった。
▲7一桂成、△3九と。
決まった──。この"と金"が破壊的な力を持ってる。
▲同金なら俗手で一気に寄せが入る。かといって受ける手も無い。攻める手もない。
所詮は一級。序盤で少し驚かされたけど、あんな▲2二龍みたいなおかしな手を指してるようじゃまだまだ私には届かないわね。
すると男は盤面から目を離し、私の方を見た。
これは投了する合図かしら、まぁ悔しくて涙もでないでしょうけど。雰囲気だけはそれっぽかったけれど、私には小細工が利かなかったみたいね──。
「詰みだね。それ」
高鳴りしていた心臓の鼓動が、一瞬止まった気がした。
「……え?」
詰み──それは将棋に置いて"死"を意味する言葉。
勝った気でいた私はその言葉の意味を理解するまで数秒を要し、ハッとなって笑い飛ばした。
「は、はぁ? ど、どう見たって私が優勢じゃない! 局面だってまだ始まって20手くらいの中盤なのよ。詰みなんてあるわけが」
「"横歩取りに中盤はない"。覚えておくといいよ──この25手詰みとともに」
度肝を抜かれる言葉が目の前の人間から放たれた。
「今、なんて……? 25手詰み、ですって……?」
「ああ」
男は全てを読み切った表情で▲7二成桂と指す。
△同玉、▲5二龍。
この手を読んでいなかったわけではない。銀2枚では詰まないと思ったし、それにこの男が指してくるとは思わなかった。
目の前の男は本気で詰みを読み切っていると確信した表情で指す。
25手、25手先を全て読み切るなんて人間じゃない。一体何百、何千種類の手を紐解けば25手先なんて見えるのか。
いや、そんなことプロでもないこの男に出来るわけが……!
△6二桂打、▲6一銀打。
8二玉は詰みの鉄則"一間龍"が決まってしまうので8三へ逃げる一手。
△8三玉、▲8四歩打。
△9四玉、▲9五銀打。
この手を境に私の目から光が失われていく。
△同玉、▲9六歩。
△8四玉、▲7五金打。
全身から飛び散る程の冷や汗が出てくる。
この段階でようやく私も気づき始めた。──この男の言う通り自玉に詰みがあるのだと。
先程とは一転。手が震えているのは私の方だった。
△8三玉、▲8四歩打。
△9二玉、▲6二龍。
今私はこの男に喉元を食いちぎられている。食いちぎられながら一手一手、確定された死の墓標へ向けて逃亡しているんだ。
ああ、そうか。鈴木会長が顔を歪ませたのはこの男の劣勢を悟ったからじゃない。私が悪手を指したからだったのね……。
あの不可解だった▲2二龍も詰めろを掛けるための前準備。この男の言う通りこの対局の横歩取りに中盤は無かった、3三の金を取っている暇なんてなかったというわけね。
△8二歩打、▲8三歩成。
これが手筋、歩は将棋の中で最も価値が低い。だからこそ使い道が一番多い駒でもある。
△同玉、▲7二龍。
そして△9二玉に──……。
▲8四桂打。これでピッタリ詰み、この男の宣言通り長手数の25手詰みになった。
一見合計すれば23手、しかし13手目の7五金打に△9六玉と逃げれば▲9五歩、△8三玉で本譜と見事に合流する。
この手はただの手数稼ぎなので省略したけど、この男はこんな細かいところまで全て見抜いた上で25手と発言したことを私は理解した。
しかもこの投了図、持ち駒が歩しか残らない完璧な詰み上がり。それは将棋に置いて芸術的な勝ち方とも呼べる詰み筋で私の首は見事に打ち取られた。
生まれて初めて、将棋の頂を垣間見た気がした。
「……」
私は硬直したまま動かない、動けない。
負けましたの一言どころか手を動かす事すら出来ないまま、目の前の投了図をひたすら見つめることしかできなかった。
「……天才」
ただ一言漏れた言葉は、そんな呆気ない単語だった。