第五十八手「弱者なりの秘策」
前回の答え合わせ及び解説。
ep16【見える筋】
正解は▲3二と△同玉▲4一銀打△2二玉▲3一馬△1二玉▲2二金打△1三玉▲2一金△2四玉▲3六桂打まで。
3手目の▲4一銀、5手目の▲3一馬と常に頭金を狙いつつ詰めろをかけていくことで問題局面は銀1枚で詰ますことが出来るのですね。
見返せば11手詰めとかなり長い手数の問題、これを初見で解ければ初段クラスはあります。実践向けの問題でもあるので復習しておくと役に立つ場面が多くなると思います!
この形の問題はこれにて閉幕、次回からは難易度を落としてまた新しい問題となります。
また、もっと難しい問題が欲しいという人はTwitterの方にあげているので是非チャレンジしてみてくださいね……!
勝負の世界に生きる者ほど思う、至極当たり前の疑問がある。
それは──"弱者が強者に勝つにはどうすればいいか"、だ。
全ての勝負事においてその考えは必然性を秘めている。勝つ者と負ける者がいる以上、強弱というのは常にはっきりした位置にあるべきだと。
──結論からみていこう。強者に勝つには"強くなればいい"。強くなればおのずと勝ちが見えてくる、弱いままではそもそも勝負の土俵に上がってこれない。
つまり、弱者という立ち位置を捨て、強者になればいいというのが結論だ。
だがそれはおかしい、例外はあれど、勝負の世界は決して強弱に比例するものではない。強き者が勝ち、弱き者が負ける、その発想は古臭いものだ。それに現代では勝った者こそが強者たるべきだと謂われている、何も弱者が勝負の世界において絶対に負けを喫するとは思っていない。
では、弱者のまま強者に勝てる方法はあるのか。
実力では絶対に上回っている相手に、須らく勝利へと導ける神の方程式などあるのか。その答えを求めて、俺達はアマゾンの奥地へと旅立った……わけがない。
「なぁ麗奈、いくらなんでもこのスケジュールはハードすぎないか……」
「何寝ぼけたこといってんのよ、ぬるま湯に浸かる時期は終わったのよ。今から本気でプロを目指すのならこれくらいはこなしなさい、もちろん私もやるから」
そういって麗奈が組んだ修行内容は、どれも常人には堪えるレベルのものばかりだった。
まずは起床。朝目が覚めるのは自宅よりもよっぽど優れたベッドの上、そこから俺の修行は幕を開ける。
目が覚めた後は、寝る前に枕の隣に置いた詰将棋の本を解いていく。3手詰め全100問全て、全部解くのに約1時間近くかかる。
それを解き終わったら朝食、ホテル内にあるバイキングコースでご飯を食べつつ、麗奈と脳内将棋を2局。こちらも大体1時間程度で終わる。
その後車で外出。先日行った貸し切りのビーチへと向かい、浜辺の波際で将棋盤を取り出しまさかの対局。満ち潮で簡単に駒が流される焦燥感と、集中力を削ぐ波音に苛まれながらの対局を行う。こうすることで雑音に対する集中力が上がるらしい。
そして迎える昼食は、飢餓を力に変える単純明快な真剣勝負を1局。負けた方の食事は、異常なまでのマズさを誇るベトナム特性の野菜ジュースへと変わる。集中力的にもこの時間帯が最高位であり、不本意だが互いに本気を出し合える環境だ。
昼食を食べ終えれば今度は『難局指し継ぎ対局』というものを行う。これは片方が「もうここから指したくない」と思えるような難局を麗奈がネットから拾い上げ、盤に並べることでそこから対局再開するというもの。
俺だけではなく麗奈も特訓するため盤が2つ必要になり、この時だけ2面指しという特殊な状況での対局となる。普段から嫌な局面を指すことで、本番で難局になった際に上手い切り口を見つけられる術が身につくそうだ。
そして夜の夕食前は、脳を休めるために詰将棋を解くという全く休めていない工程を挟み、夕食中は再び脳内将棋を2局。
夕食が終わった後は、ソフトを使って今日一日対局した内容の解析と感想戦を行う。そして〆に1局、30分の30秒という長丁場の対局を挟んで1日の修行は終わりだ。
あとはお風呂に入っている間などの余った時間で脳内将棋を幾分か指し、寝る間際に今朝解いた詰将棋本の内容を軽く復習、麗奈から新たな詰将棋の本を貰って枕元に置き就寝となる。
ここまでが基本的な1日の日程だ。説明された当初は続くはずがないと思っていたが、やってみると案外できる。麗奈も根詰めた様子もなく自然とこなしている辺り、俺達はよほどの将棋バカなようだ。
「あ"ぁ"ー"ー"づがれだぁ……」
まさに修行に次ぐ修行、好きなことだからこそできるものだろう。
それに麗奈はこの修業を始めてから数日後、面白いことをひとつ口にしていた。
「いい師匠? 今の私達じゃこのまま基礎を組み上げても高段者には決して届かないわ。だから強さだけで勝とうとする作戦はやめにしましょう」
唐突に放たれたその一言に俺は鼻で笑った。
「賛成だ相棒」
詰将棋を解きながらグッドサインを麗奈に向ける。
確かに強くなるというのは大前提だ、だが強さばかり追い求めても結果が付いてくるとは限らない。明確な強弱関係なら、俺達がどれだけ努力をこなしても天上の彼らに届かないことは分かり切っている。そこまで幻想を見るほど夢想家ではない。現実は現実、不可能は不可能だ。
だが不可能といっても、表面上無理だと分かっているだけで確実性があるものばかりではない。
例えばそう、俺達がプロになれないという不可能の壁もまたそのひとつだ。人という可能性の塊を肯定しておきながら、ラプラスでもない他人に俺達の未来が見通せるはずもないというもの。それはただ、不可能や無理だという文字を刻んだだけの壁に過ぎないのだ。
だから俺達は必ずプロになる。実力では決して敵わないというのなら、実力以外で勝負すればいい。弱いままの立場を強いられるというのなら、弱いままで勝てる方法を見つければいい。
蟷螂の斧を持つことが許されているのは弱者だけの特権だ。そしてそれを振るうのは、常に勝者であるべきだ。
有限が無限に挑む愚かさを笑うがいい、笑った者から即敗者になる。
「その顔、相当自信ありそうだな」
「ええもちろん」
麗奈は俺が絶対に驚くだろうと確信を持った顔をしている。それを感じ取った俺も、少しばかり期待の表情を浮かべる。
「──私達だけの戦法を作り上げましょう」
「天才だ相棒、その発想に腰が抜けそうだ」
想定外の答えすぎて、ベッドで寝ているはずなのに腰が抜けそうになった。読んでいた詰将棋の本が顔に落ちてくる。
新たな戦法を作り上げるということはつまり、オリジナルの戦法ということ。
そしてそれは将棋界において禁忌とされる行為である。
禁忌と言ってもルール違反やマナー違反に当たるわけではない。ただそれをすることは『歴代の全棋士に対する挑戦状』だ。過去に偉大な将棋指し達が積み上げてきた歴史に対する新たな一手、つまりは神の一手を作り上げるという行為そのものに他ならない。
新たな戦法の確立というのは、それほどまでに重大な事柄。
無論、初心者のアマチュア同士でオリジナルの戦法を使うというのはよくあること。ただしそれは、言い換えればただの悪手である。
既に将棋における序盤の最善手はほぼ確立されており、今どき新たな戦法なんてものは早々に誕生するものではない。仮にしたとしても大半が悪手、もしくはハメ手のような奇襲戦法の類だろう。
だが麗奈のこの発言は悪手じゃないオリジナルの戦法、つまりは将棋史が認める新たな一手の生誕を意味している。
まさか、そんなもの一介のアマチュア棋士に作れるはずがない。なんて愚問は問いかけた瞬間に一蹴されそうだ。
既に入った狂気の沼、どうせ無理難題をやっているのだから、今更難題が増えたところで背負う荷は同じということか。
「だがそんなものこの短期間で出来るのか?」
「どう考えても無理ね、でも必ず完成させましょう」
そう言って麗奈は自分のスマホを俺に見せてきた。
そこに載ってあった棋譜を見て、俺は少しばかり驚きを示す。
「……こんなものいつの間に」
そこにあったのは既存の戦法の次善手一覧。一番良いとされている最善手ではなく、次に良いとされる次善手だらけだった。
最近では当然のように流行している角換わりや相雁木の派生系、定跡からほんのわずかにズレた攻防手順、そこには横歩取りに関する派生もくまなく載っていた。
なるほど、麗奈の言っている新たな戦法というのは既存の定跡から派生した形態か。いよいよもってプロの考え方だ。
「私ってこう見えて、結構無駄なことにも時間を費やすタイプなのよ」
「でもそれを今活用しようとしている時点で無駄じゃないってことだ」
「そうね、後付けで言うのなら全部計算通りってやつかしら」
ふふっと自信気に笑う麗奈に横腹を軽く突いてKOさせる。
こうして俺達は秘策の特訓をしつつ、僅か数週間という短い滞在期間で地獄のような特訓を継続していくのだった。
──そして、時は満ちた。
『全国将棋大会・アマチュア"黄龍戦"開催のお知らせ』




