第五十三手「正しい成長」
本作がネット小説大賞の二次選考通過してしまいました…。
まさかの最終選考入り…。驚きを通り越して固まってます…。
前回の答え合わせ及び解説。
ep11【当たらずの叩き】
正解は
▲2三桂打△2一玉▲3一金打。または▲2三桂打△同飛▲1二金打です!
▲2三桂打△2一玉の時に▲1一金打だと詰まないので注意。
この詰み形は頭金と呼ばれる有名なもので、玉の頭に金を打って詰む形となります。他にも横から詰ます腹金や下から詰ます尻金など金には詰みに置いて重要な役割を担うことが多いです。
将棋の最終盤になったら金を駒台に残しておくことを意識しましょう。
なぁ、聞いてくれるか。
俺は今、ワイルドブラスターっていうゴムボートに乗って、海の上を引きずり回される地獄を体験中だ。
俺の醜態は既にご存知だろう。今にも食べたものを吐き出しそうなくらいに恐怖を抱いている、体がガックガクに震えている、だが麗奈はどうだろうか。
俺と同じように恐怖に慄いているか、それともスリル好きの子供のようにはしゃいでいるか。残念ながらそのどちらでもない。
「……ふむふむ」
麗奈は今、詰将棋を解いている。……つまり、本を読んでいる最中だ。
嘘みたいだろ。今は家にいるわけでも足が地面についているわけでもない、半ジェットコースターに乗ってるようなものなんだぞこれ。
それなのに麗奈はまるで街の中で風を浴びながら本を読む美少女のように、ゴムボートで海の上を引きずり回されながら優雅に風を浴びて本を読んでいるのだ。
龍牙以上の恐怖を感じる。
「……麗奈」
「あら、意外と冷静じゃない」
防水対応のブックカバーをつけながら本を読む麗奈に、俺も負けじと片手で髪をかきあげ爽やかな青少年の瞳を輝かせて見つめる。
「……おろしてkるぇなゥぶっ」
「そうでもないみたいね」
水しぶきが顔に当たる、まともに言葉も発することができない。
先導しているグエンさんはよく旋回するため、俺はその度に水しぶきを喰らう。少なからず麗奈にも当たっているのだが、全く動じる様子はない。
「じゃあそんな冷静な師匠に問題よ」
「はっ?」
「後手番、2一玉、2三歩、3一歩、6二飛。先手番、2五桂、3二飛、4二金。持ち駒、歩。どうぞ」
突然問題を読み上げる麗奈。
しかも言われたのは符号のみで、盤面を構築する目隠し脳内詰将棋。そんな高度なテクニック級位者の俺にできるわけもなく。
「出来るかぁぁああああっ!」
と絶叫しながら顔を上げる。
しかし体を反らしたせいで腕の力が少しだけ抜けてしまい、そのまま水の滑りでツルッと手を離してしまった。
「「──あ」」
目が合う二人。片方は片手でハンドルを握りつつ本を読む麗奈、片方は両手でハンドルを握り続けられなかった俺。麗奈は両腕が塞がっていたので俺に伸ばす腕がない。
「さよなら……」
麗奈の悲しい別れ声が響いた。
そして、こうなるのである──。
「ぶっぉぶっブッ;krl@a!? ごぼぉッ!?」
俺は大車輪のように水面を転がり、息をする間もなく水の中へと足を引きずり込まれる。
何が青春だ、何が海だ。俺が海だ! 助けて!
「げほっ、ちょまっ……ごぼっぶっぼっ!?」
足掻けば足掻くほど海底に招き入れられる、咄嗟のことで俺の頭は錯乱状態だった。
「ぶぼぼぼぼ……」
どうやらここまでのようだ。
今までありがとう、俺は将棋が織りなす広大な知識の海じゃなくリアルの海に沈むよ……。
そういって体から力を抜くとあら不思議、まるでヘリウムを含んだ風船のように上へ上へと舞い戻っていくではありませんか。
俺の体は水底から離れそのまま太陽に近づいていき、やがて押し上げられるように水面にポンっと体が浮いた。
「あら、落ちちゃったわね」
麗奈の呼びかけにより俺が落ちたことに気づいたグエンさんは、まるで慣れたことのように転回してこちらへゆっくりと戻ってきた。
「俺、生きてる?」
「ちゃんとライフジャケット着てるんだから沈まないわよ。はい」
差し出された小さな手、太陽の光が逆光して表情の可愛さが際立つ。
一人で上がれるのに優しいな麗奈は──。
「ああ、ありがとう麗奈──」
「じゃ、二回戦いきましょ」
「……はっ?」
しかし、その目に笑みこそあれど慈悲などなかった。
「イノチ、ホショウハデキマセン、ケド? タノシミマショウ!」
「ぎぃぃいいやぁぁああああああああっっ!!」
早々に第二回戦が始まったのだった。
◇◇◇
成田聖夜にとって、その時間は苦痛に含まれない。
積み上げられた大量の本、静まり返る部屋に永遠と鳴り続けるクリック音。パタンと本を閉じると音と共に、積み上げられた大量の本にまた一冊本が重なる。
「……あー疲れた」
長時間無言の末、ようやく発した言葉は疲労の一言だった。真面目に勉強したのはいつ以来か、酷使した頭がズキンズキンと悲鳴を上げる。
10時間、黙々と本を漁った。古来の定跡から近年の最新定石まで読み進め、将棋ソフトでその違いを確かめる。
集中とは時間を忘れるもので、ここまで何も食わずに永遠と勉強していた。しかしその長時間の学習の上で分かったことは、努力が報われるなどという近道ではなく、努力を嘲笑うような勤勉者からの鉄槌だった。
──知を得る者、そこで立ち止まればすなわち傲慢。
知識とは己の弱さを知るためのもの、それを知ることで強くなるための活路が生まれる。知識を得ることそのものが強さに結びつくわけではない。
かつて自分が指したエルモ囲いもそうだった。その囲いの強みだけを知って実践に行使していた、その囲いがどういう局面で強さを発揮するのか、それを自ら工夫し、作り上げる努力を怠っていた。だから天竜に負けた。
知識がなければ勝てない世界は、知識だけでは勝てない世界へと続いていた。
「本当に嫌になるぜ、狂人のゲームかよ」
腰を伸ばして椅子に寄りかかり、部屋の天井を見つめる。
「はぁ……」
本当に気の狂った競技だ、時が経ち時代が進むにつれてプレイヤーも進化し続ける。昔なら通用していた戦法も、今ではハッタリの役にしか立たない。それほど今の将棋指しというのはレベルがおかしい。
真実を知れば知るほど希望が遠のいていく、まるで学ぶことをやめ足を止めた瞬間に突き落とされるような感覚だ。
だから俺は今、落とされた洞穴から這い上がる。ようやく自分が落とされていたことに気づけたから。
気づけない弱さより、気づく弱さの方が断然良い。知識だけでは勝てない世界だと気づけただけでも十分な収穫だ。
「さーて、軽くパンでも食べて懲りずに続けるか」
身近に置いてあった軽食を取り出し、まだ読んでいない本を一瞥する。そこで見慣れた名前が思わず目に入り、口に運ぼうとしていたパンを机に置く。
「お、これ鈴木哲郎の本じゃん。あのオッサン自分の本まで出してるのか」
県の会長とはいえ、本を出すほどの大物だとは思わなかった。大会でも常にメガネを光らせてるだけで何考えてるか分からない。
役員時の挨拶も短いし、面倒事は嫌いそうな性格をしているように見えるが、将棋だけは熱心な男。だが戦っているところすら見たことないから、棋力も実力も分からない。
そんな謎に包まれた男の書いた本を手に取り、表紙を見る。
「どれどれ。──『正しい成長とは、ひとつのことを磨くのではなく様々な体験をすることである。』か……」
そこには、自分が今行っていることと正反対の文面が書かれていた。
「つっても、体験ってなんだよ、海にでも遊びに行けってか?」
あまりにも抽象的な言い方に、俺は中身を見る前にその本をすぐに閉じた。
「そういえばあいつら今頃何やってるんだろうなぁ……」
ふと夕日が浮かぶ窓を見つめ、二人の顔を思い浮かべる。かつて自分を打ち負かした相手──。
きっとあの二人のことだ、今も死ぬ気で将棋と向き合っているに違いない。
◇◇◇
俺は今、死ぬ気で向き合っている。──ゴムボートと。
「ぎぃぃいいやぁぁああああああああっっ!!」
この手を離したら死ぬ、この手を離したら死ぬ、この手を離したら死ぬっ!!
「風が気持ちいいわね~」
「風が気持ちいいのはお前だけじゃあああ!!」
片手のみでゴムボートの取っ手を握り、優雅に本を読む麗奈。俺の悲鳴をBGM代わりにして楽しんでいる。
グエンさんもテンションが上がって止める様子がない。
「こんのぉ……!」
しかしかれこれ10分も走行していればさすがに恐怖にも慣れが生じるもので、俺は迫真の顔のまま息を整えるほどに落ち着きを取り戻していた。
そして15分後。ついにワイルドブラスターを克服した、つまりパーフェクト天竜。
「……ふーッ」
ゆっくりと深呼吸し、重心を前に起こす。
そして左腕に全力を込めて右腕を外す──。
「ふんぬうううっ! よし、麗奈」
「んぇ?」
俺は離した右手を麗奈の肩にポンッと手を置き、そして──
「えっ、ちょっ、……ふっ!? ふっあはははっ! あはははははっ!」
脇腹を思いっきりくすぐった。
「ははははっ、んっ、ちょっ……それ卑怯よ!」
「知らん、戦場に卑怯もクソもあるか!」
勝手にこの場を戦場認定し、無防備な麗奈の横っ腹をプニプニする。
「あははははっ、た、たすけてーーっ!」
麗奈は片手で本を持っており、現状両手が塞がっているため俺の攻撃を受ける術がない。
バカめ、本を持ってきたその欲深かさが敗因を呼んだな。
「んっ、やめ、っあはははははっ、ひぐぅっ!」
情けない声を出して笑い転げる麗奈。
勝ったぜ、この勝負!
「あははははっ、こ、このぉ~っ」
しかし昨晩からくすぐりすぎて耐性ができたのか、麗奈はほんのわずかな隙を突いて反撃を繰り出し、その鉄拳が俺の頭を直撃した。
「あいたーっ!?」
「あははははっ、はっはっ、フー、フー……ど、どうだっ」
「どうだもこうだもない! 俺の腕がもう限界だからな、道連れだ」
「えっ!」
俺は麗奈の腕をガッチリと掴み、そのままもう片方の腕を離して後方の海へと体を向ける。
ハッとした麗奈が顔を上げてこちらを二度見するが、もう遅い、なんせ俺はとっくに手を離しているのだからな!
人間とは己がピンチに陥ったとき、周りの足を引っ張る生き物なり!
「ダーーイブッ!」
「ひゃあぁぁぁぁ~~~」
今度は二人同時に海へとダイブ。
コツを掴んだ俺は全身の力を抜いたまま海へ大車輪。麗奈の方はペンギンのように腹で滑りつつ、海の世界へと吸い込まれていった。
僅かな沈没の後、頼りになるライフジャケット先輩をお供に水面へ浮上する。
「ぷはぁ! ……ん?」
そこにはフグのように頬を膨らませて浮いている麗奈がいた。
「む~」
可愛い、頬の膨らみだけで浮いてるんじゃないかこれ。
「むー」
「むー!」
俺も真似して頬で球体を作ると、からかわれたと感じた麗奈が更に頬を膨らませた。
見つめ合う二人、最初に我慢の限界を迎えたのは俺の方だった。
「……ぷっ、あっはっはっはっはは!」
「もー、ふふふっ、あはははっ」
インドア派の将棋民には愉快な体験。箸が転んでもおかしい年頃がとうに過ぎても、こうした何気ない出来事で笑い合える、青春とは本来こういうものだったのだろう。
その遠方で俺達がまた落っこちてしまったことに気づいたグエンさんだったが、海の上で向かい合って笑い合う二人を見て「イノチ!」と歯を光らせグッドサインを出していた。