第五十二手「命は保証できませんけど楽しみましょう」
前回の答え合わせ及び解説。
ep10【七色の試練】
正解は
▲2三桂打△同金▲1ニ歩打△2一玉▲1一飛打△3ニ玉▲4一飛成△3三玉▲4三龍まで。
今回の問題は9手詰めの中では簡単な部類ですが、それでも9手とかなり長い手数です。頭の中で解けた方は間違いなく有段者クラスはあるでしょう。全種駒マスターの称号を与えます!
棋士は時として残酷な人生を歩まなければならない。
自らの考えを以てその信念を貫くには、己の思考を投じる覚悟が必要になる。しかし、将棋という広大な世界はあまりにも広すぎた。
策士策に溺れる、それは考えすぎることで生じる己自身の罠でもある。
こと将棋においても、思考の海に全身を浸かるなど当たり前の光景だ。考えすぎても足りないと言われるくらいに考え続けなければならない。
だからこそ、たった一つのミスで足をすくわれ溺れてしまうことも多々ある。思考の海とは想像よりも広く、一度溺れてしまえば陸へ這い上がることは難しいのだ。
そしてこの男、天竜一輝もその一人だった。
考えすぎることで目の前に迫りくる問いへの回答を間違え、たった一つのミスというものを犯してしまい広大な海に溺れていた。──物理的に。
「ぶっぉぶっブッ;krl@a!? ごぼぉッ!?」
大車輪のように水面を転がり、息をする間もなく水の中へと足を引きずり込まれていく。
思考の海? 策士策に溺れる? そんなものクソくらえである。考えてる暇などない、溺れているのは頭の中ではなく体だ。
「げほっ、ちょまっ……ごぼっぶっぼっ!?」
水を掻こうと手を振り足掻くが既に手遅れ、空を切るより滑稽で虚しい。余計に体が沈んでいく。
引きこもりとはこうも体を鈍らせるのかと痛感する。学生の頃は一般的なくらいには泳げていたはずの体も、いざ足が着かないとなると焦るもので、抵抗すればするほど全身はあっという間に沈んでいくのであった。
◇◇◇
なぜこんなことになったのか、それは遡ること数時間前──。
「師匠には私と一緒にワイルドブラスターをやってもらうわ」
自らの胸を削ぎ落とし、砂の棺桶から飛び出した麗奈は謎の決めポーズをしながらそういった。
対して『ワイルドブラスター』なる単語を聞いた俺は目を光らせる。
「なにそれ、めっちゃカッコよさそう、うんうんやるやる」
即答。
実はこの男、現在進行形で青春を全力満喫中なのである。そのため知力皆無、考える力を放棄しているのである。
俺の了承を得られたことで麗奈は喜んでくれたため、特に悪い気分はしない。それどころか、そのワイルドブラスターとかいう代物に興味すら湧いてくる。
これが学生の頃に置き去りにしていた青春の好奇心というものか。
「それじゃあ少し待ってね、今呼んでくるから」
麗奈は後ろに振り向き腕を振って何かの合図を送る。すると先程まで遠方の砂浜で準備をしていた謎の一団がこちらへ向かってきた、しかも小道具のような荷物を持参して。
どうやら謎の一団もこれまた麗奈の知り合いらしく、麗奈の呼びかけに応じて持参した荷物を開封し、巨大な何かを膨らませ始めた。
「?」
最初は何をやっているのかと指をくわえながら見ていたが、段々と膨らんでいく物体に俺の表情は凍りつき始める。
ニッコニコで完成を待つ麗奈、隣で小型のボートを砂浜から海へ引っ張り出す男性。その光景を見て、俺はワイルドブラスターなるものの正体に気づく。
「あーーこれかぁーー!!」
目の前に用意されたのは二人乗りのゴムボート。
隣で麗奈が両手を合わせ、遊園地に来た子供のように目を輝かせている。
「一度やってみたかったのよ、ワイルドブラスター!」
うん知ってるよこれ、ゴムボートに乗って先導する人に思いっきり引きずり回されるやつ。……冗談だよね? まさかこれに乗るとか言わないよね?
なんかさっきから準備万端と言わんばかりに、筋肉モリモリマッチョマンのおっさんがグッドサインをずっとこっちに向けたまま固まってるんだけど、もしかして先導役の人ですか……。
「彼はグエン。見た目の通り頭の中まで筋肉だけど優しい人よ」
「イノチ、ホショウハデキマセン、ケド? タノシミマショウ!」
「なんかめっちゃ不穏なこと言ってるんだが!?」
「あー、彼日本語あんまり得意じゃないから、多分間違って言ってるだけよ」
「間違って言う単語じゃなくないか!?」
グエンさんとかいう柑橘類に含まれてる成分みたいな甘い名前をしているが、見た目は上半身むき出しの半裸で焦げ茶色で筋肉モリモリマッチョマンのおっさんだ。
しかも言ってる単語が怖すぎる。知らない言葉ならまだいいものの、なまじ日本語なのが恐怖心を煽る。
これだけ太陽がぎらついているというのに、今の俺は非常に青ざめている。流れ出ているのも汗ではなく冷や汗だ。
因みに俺、ジェットコースターとか乗ったら吐くタイプの人間でして──。
「麗奈、今更言うのもあれだけどさ、俺こういうのあんまり得意じゃないし、さっきは適当言って返事しちゃったけど、やっぱりやめておこうかなーっておも──」
「じゃ、本人の許可も取ったことだし早速行きましょ」
さすが麗奈さん、言質取ったら容赦ないですね。
「いぃィィいいやぁぁァァァッ!!?」
女性並みの絶叫をしつつ、作業をしていた男達に丁寧にライフジャケットを着せられ、女性並みの絶叫をしつつ、気づけばゴムボートに乗車させられていた。
「タノシミマショウ!」
おいそれタノシミマショウの前文に命は保証できないって付いてるだろおい!
助けて、誰か助けて!
「ゆけっ! グエン!」
「VÂNG!!」
「そんなポケモンみたいなノリで言うなぁあぁぁひいィいいい!?」
エンジン全開にハンドルを回すグエンさん。麗奈の紹介通り脳みそまで筋肉らしく、初速からいきなり全力疾走で加速していった。
「引きこもりの身体が真っ二つにさけるううううううっ!!」
多分人生で一番腕に力込めた瞬間だった。




