第五手「竜の横歩」
日間総合ランキング入りまで…夢でしょうか…。
さて前回の問題の答え合わせです。
この局面で先手どうするかでしたね。
正解は──3二銀!
これが好手の一手。
同飛と取ってしまうと6五角打で詰めろ飛車取り!
普段完成してる美濃囲いを目にすることが多いとこういった隙に気づきにくい。美濃囲いの3八銀、7二銀は非常に重要な一手だ。これが欠けていると今回の問題のように玉頭を猛攻されてしまうので注意!
では後手は同飛と取らずに5一飛車と躱せばどうでしょう、ここで前回のヒントが生きてくると思います。
正解は4四歩打! これが痺れる一手。
後手は4二歩と受ける"歩"を持っていない、4三歩成を受ける手がないのです!
『歩のない将棋は負け将棋』。この機会にぜひ覚えておこう。
この問題を頭の中で4四歩打まで読めたら二段以上の実力があります!
私──舞蝶麗奈の父親は将棋のプロ棋士だった。
八大将棋タイトルのひとつである『棋聖』を獲得し、その身が朽ちるまでA級在住を成し遂げた舞蝶家の誇り。
好調の兆しが現れたその年は次々と相手を打ち破り、将棋タイトルの頂点のひとつとされる『竜王』への挑戦権を獲得する強さ。
誰しもが皆、彼の二冠を予想していた。
しかし、その試合が行われる事は無かった。
竜王戦直前の公式対局中、父は脳卒中で亡くなったのだ。
一瞬何が起きたか分からなかった。父の指し手が震えたかと思えば。数秒硬直した後、そのまま横に寝るように倒れてしまったのだ。
私はその姿をただテレビ越しに見ている事しか出来なかった。
遠い県外で対局している父に伸ばす手は届かない。液晶から放たれる熱さをこの手は今でも覚えている。
ただの一言も声をかけることは出来ず、顔を見ることすら叶わないまま私の父はいなくなった。
父はあの時、竜王のタイトルを誰よりも欲しがっていた。
挑戦権を獲得したときも子供のように私へ何度も自慢しにきていた。そしてそれを聞いてる私も凄く楽しくて、父親同様に嬉しかった。
でも、その時の幸せはもう訪れない。過ぎ去った過去は変えられない。
あの時見せた笑顔をもう一度見たかったと、そんな叶わぬ願いを何度も祈った。
家族三人で日進月歩していたあの日々が、私にとって一番の思い出だったから。
だから、私は将棋を始めた。
泣くまで泣いて、散々悔やんで、覆らない現実の厳しさを体験して。そしてようやく泣き止んだ私は、将棋界の頂点『竜王』のタイトルを取ることを決めた。
女流じゃない、プロだ。
父親の夢を継いで、といえば聞こえはいいかもしれないがそんな理由じゃない。
父はあのとき既に、自分の状態に気が付いていたのかもしれない。かなり深刻な状態だったと医者の先生も言っていた。
だから私は、父がそれでも指した最後のあの一手の意味を……知りたかった。
◇◇◇
今日も負けた。
「ありがとうございました」
「……っ」
負けました。口はそう動いても言葉が出てこない、片手を下げて投了の合図を出し相手も挨拶を返す。
アマチュア県大会の一般の部で私は戦績をくすぶっていた。予選はギリギリ通るものの、入賞へは手が届かずいつも8位だ。
予選通過後の決勝リーグに並の選手は出てこない。将棋の定跡本を常に持参し、大会の日ですら勉強に打ち込んでいる大人達ばかり。
今まで学校の勉強すらまともにしてこなかった自分に、そんな大人の様な忍耐力はない。
それでも好きなもののためならと、私は毎日勉強に打ち込んだ。
それから数ヶ月間、私は本屋で詰将棋や定跡書の本を買い漁り毎日読破する日々を送った。途中で母にも心配されながら、それでも勉強に打ち込んだ。これでもかというほど学んでいった。
そして再び訪れた県大会、準備万端で挑んだ私は心を打ち砕かれた。
──予選で落ちたのだ。
強くなるどころか、力が落ちていた。去年勝った相手にすら負けてしまった。
その結果に私は愕然とした。強くなっていると錯覚したまま、いつの間にか弱くなってしまっていたのだから。
このままじゃ奨励会どころか研修会にすら手が届かない、父の隣を歩けない。
どうして? なんで勝てないの? どこが悪いの? 何がいけなかったの? 一体何が不足してるっていうの?
「分からないっ……!」
「なかなか苦戦してそうだね」
自分の敗戦棋譜を並べていると、頭を光らせた老人が声を掛けてきた。
確か、大会主催者の鈴木会長とか言ってたっけ。
「ふむ、悪くない棋風だ、読み抜けも少ない。確かにこれで負けたら理不尽だ、どこが悪いのか突き止められないのも無理はないね」
鈴木会長は棋譜を流れるように読み終え、指を顎に添える。
「だが決定的に足りてないものがある」
「え?」
「君は確かオールラウンダーだろう? 常に相手の戦法に対し有効的な戦法をぶつけ、優位に駒組を進める。だけどそれは表面上に現れている優位にすぎない」
「どういうことよ?」
机を叩き顔を上げる私に、鈴木会長は神妙な顔つきをしてこう答えた。
「麗奈君といったか、君は指しまわしが素直過ぎるのさ。咎めるべきタイミングで咎めていない、勝てるタイミングで普通の手を指してしまう。だから押し切られて負けてしまうんだ」
その言葉に一瞬真意を突かれたような感じがした。右に進めばいいと感じたらその通りに進む、そんな今までの自分を見破られたような感覚がした。
だけどすぐに間違いだと否定する。
「指しまわしが素直ですって? 冗談じゃない、私は常に勝ちに行ってる! 自ら進んで負ける手を指した覚えなんてないわ!」
「ふむ……じゃあとっておきの人を紹介しよう」
そう言って大会の帰りに鈴木会長に連れられ、ある男の家へと向かった。
「到着だ」
「私の家からそんなに遠くないわね」
「ま、これも何かの縁だ。私も彼の様子が気になっていたところだったし──」
車から降りると、目の前を今にも死にそうな表情で歩いている男がいた。
「あれはかなり落ち込んでいそうだ」
「……なんで後をつけてるわけ?」
その男をそのままストーキングし始める鈴木会長に趣味を疑う。このおっさん、まさかソッチ系の人なんじゃ……。
そんな風に思っていると、鈴木会長は目の前の男を知っていそうな顔ぶりで私に問いかけてきた。
「麗奈君、君は天竜一輝。というアマチュアを知っているかね?」
「知らないわよそんな人」
プロ棋士すら眼中に入れてなかった私に、アマチュアの名前なんて覚えてるわけが無かった。
そもそもそんな名前の人は聞いたことがない。
私は鈴木会長に連れられてその男の後をついて行く。そしてつけた先で着いたのはボロボロの一軒家、老人夫婦が住んでそうな家があった。
「なら君は今日、絶対に忘れられない出来事を体験することになるかもしれないね」
そうして私とこの男は出会い、対局する事となった。
◇◇◇
何か様子がおかしい。
目の前の男は棋力1級にも満たない雑魚棋士、実際さっきの試合では全く相手にならなかった。
なのに何よ……? この背後を突き刺されるような感覚は──。
「ふん。扇子なんか取り出して調子に乗ってるつもり? 横歩取りなんて立派な戦法指定しちゃって、横歩取りを横歩を取るだけとしか思って無さそうな雑魚の癖に」
「……確かに、君みたいな子供を相手に戦法指定するなんて、俺は将棋指し失格だ。だからせめて先手番後手番は好きに決めていいよ、時計も」
「ふざけるな、浅学非才が! あんたが先手に決まってるでしょ!」
そう言って、こちらが不利になるよう時計を左に置く。
さっきまで利き腕が震えるくらい悔しがってたくせに、急に冷静になっちゃって。一体何なの? なぜか無性にイライラする。
それに、私もこんな男相手に何をムキになっているんだろう。普通に勝てる実力なんだから普通に指せばいいじゃない、そう、普通に。
こうして、私の一言で振り駒をしないまま対局の火蓋が切られた。
横歩を取ることになったのは先手のこの負け犬だ。
横歩取りは相居飛車の戦法。互いが居飛車のまま飛車先の歩を交換し、先手番が2四の飛車で3四の歩を取ることで成立する。
飛車からしてみれば"横の歩を取る"こと、だから横歩取りと言われている。
序盤で3四の歩を飛車で取るならどのタイミングでも横歩取り、と思われがちだが実際にはこの手順以外は横歩取りという言葉を基本使わない。
それは他にも縦歩取りや角換わりなどで3四の歩を取る展開が多々ある為だ。
そして、横歩取りは『浮き駒』が多く、大局観を多大に要する。
『浮き駒』というのは盤上の駒が単独で離れてしまっていることで、別名『離れ駒』とも言われている。
今のこの場面なら私の飛車とこの男の飛車は浮いている状態になる。
浮き駒は駒同士の連結が取れていないため、仮にその駒が取られてしまった時に味方の駒で取り返せない状態に陥ってしまう。
横歩取りはこの浮き駒が常に生じてしまっているため、局面全体をよく見ないと一気に形勢が傾くことがある。つまり本格的な実力勝負になりやすい。
だから私がコイツに負けることは絶対にあり得ない。実力差はさっきの勝負ではっきりしたんだから。
この鈴木会長ってオッサンの狙いもよく分からないけど、今回も勝って私の方が何倍も強いんだって証明してやる。
そう意気込んで私は定跡通りに△3三角と上がった。
「……え?」
私が指した瞬間、この男はノータイムで切り返した。
しかもその手が今までに見たことない手で、私は思わず声を漏らしてしまう。
▲3三同飛成。序盤から飛車を切って来たのだ。
なにこれ、何この手……?
知らない、知らない。私の読んだ定跡書に載ってない……!
私は戸惑い何度も盤面を凝視する、すると男は冷たい目で扇子を勢いよく閉じた。
「ひっ……」
男の扇子を閉じる音が静寂の中響き渡った。
目の前の男は瞬きすらせずじっと盤面を見つめている。その見つめ方は私とは全く違う、完全に自分の世界に入り込んで、現在の局面とは違うもっと先の盤面をひたすら読み切ろうとしている目だ。
「……ッ」
それでも私は強気の姿勢を崩さず同桂と取る、同金は形が悪く桂馬が使えないためこの一手だ。
すると男は再びノータイムで指し返してきた。
▲7七角。
なによ、なによこれ。なにこれ、なにこれ、全然分からない……!!
まだ始まって4手、たった4手よ? もう形勢が悪くなってるっていうの……?
あり得ない、△3三角は定跡。間違っているはずがない。
じゃあ△同桂が悪手? 違う、△同金も▲7七角がある。じゃあどうして、どうして私は『飛車』と『金』『桂』『香』の3枚替えの手を喰らっているのよ!!
「……」
その傍ら、鈴木会長はその光景を真後ろからじっと見つめる。
先程の試合は一切ペースを落とさず早指しをしていた麗奈が、ここで一気に長考へと入った。
対して天竜一輝は盤面から一切視線を外していない、完全に集中しきっている。
二人の激闘が始まろうとしているこの時、鈴木会長は誰よりも胸を躍らせていた。
ついに見れるのだと。
彼の──竜の横歩が。
では問題です!
今回の話で天竜一輝が指した▲3三飛成(▲同飛成)△同桂▲7七角と指した手順。
麗奈は「知らない!」と思ってますがこの戦法には名前があります。
さて、なんという名前でしょう? 次の3つの中から選んでみてください。
・青野流
・竹部流
・7七角戦法