第四十八手「成田聖夜の覚醒」
前回の答え合わせ及び解説。
ep6【全ての常識を覆す角】
正解は▲7二角不成、△9一玉、▲9二歩打、△8二玉、▲8三銀成!
そう、これは『打ち歩詰め回避問題』と呼ばれる特殊な問題です!普通なら7二角成と角を成って勝ちだと思う局面ですがこの手順で△9一玉に▲9二歩と打ってしまうと打ち歩詰めで"反則"となります!
なのでこの問題はあえて角を成らずに打ち歩詰めを回避することで詰ます事ができるという問題でした。
なお▲7二角不成、△8二玉、▲8三銀成、△9一玉、▲9二成銀(9二桂成)の手順は歩の余り駒が出来てしまうため不正解となります。
この問題が解けた方は初心者卒業です!
「聖夜、お前また将棋の大会で優勝したんだって? 新聞で見たぞ!」
「マジかよ! お前ん家賞状ばっかなのにまた増えんのかよ、やべぇな」
「……まぁな」
大学の帰り道、講義を終えた俺は、いつものサークルメンバー達と駅で合流して電車の中で駄弁っていた。
大会で優勝すれば当然、新聞やネットの記事なんかに取り上げられることも多い。有名になることは本望だし、それで少しでも女子ウケするなら都合もいい。
だが俺はあの大会以来、どうにも鬱憤が溜まっていた。
「なんだ? いつもよりテンション低いじゃねぇか」
「てかこの後カラオケいかね? 隣の大学で結構なカワイ子ちゃん見つけてさぁ、今呼んだら暇だから来るって」
「お前どうせ振られるんだから無駄だって」
「んだよ、お前だって顔だけじゃねぇか」
隣で和気あいあいと話す友達を外目に、俺は興味無さそうにスマホをいじる。そしてとある記事に辿り着いた。
「──悪い、気が変わった」
「あ、おい聖夜!」
友達の制止を振り切って電車から降り、俺は即座に自宅へと走って向かった。
「……」
このままくだらない大学生活を続けて、将棋の方も趣味でそれなりにやっていけば、それなりに無難な人生の線路をなぞれるだろう。
だが、このどうしようもない性分がそれを否定した。
別にスマホでたまたま見た記事に影響されたわけじゃない、ただやらなきゃいけないことを思い付いただけだ。
『期待の○○四段。17歳でついにプロ入り! 出遅れを実力でカバー』
17歳という若さでプロになったのに、その記事には"出遅れ"と言う単語が載せられている。それはあまりに若く、このありふれた社会では早熟とまで言える年齢。
実際、将棋の実力層は若手に多く、年を取るごとにその勝率は落ちていく。また200人にも満たないプロの世界へ足を踏み入れるには、その若さという武器が全てと言ってもいい。
記事の彼は9歳というあまりに早い若さで奨励会に入会。その後最年少でのプロ入りが期待されていたが、結果的に8年もの月日を費やしてようやくプロ入りを果たした。
まだ17歳、まだ未成年だ。学業だって残っているような年頃。
だがそれでも8年もの月日を要したのだ、子供の頃から神童と期待されていた天才児が8年。それは凡人が物心つく前からプロを目指しても、もう間に合わないと暗に証明しているようなものだった。
──プロ棋士になる。
二人のアマチュア棋士が言った言葉が頭を過ぎる、内心笑って一蹴したはずの言葉がやけに引っ付いて離れない。
二人とも年齢的な面で見ればどう見てもプロになる事は出来ない、不可能だ。だがその指摘は既に自覚しているように思えた、知っていながら突き進んでいるのだと気づかされた。
一度しかない人生を棒に振るような選択で、愚行で無謀でありきたりじゃない。妥当に生き順当に歩む現代では笑われるような決意、だけど何かを成し遂げようとする目をしていた。
凡人が天才に敵う日は来ないだろう、凡人が天才と同じスペックを持つことはあり得ないだろう。
「……だが、勝てないと決まったわけじゃない」
自宅に着いた俺は、背負っていたバッグを乱雑に放り投げ自室に向かった。
卑怯で、狡賢く、相手を出し抜き翻弄する小さな町のガキ大将。成果のある負けよりも、無意味な勝ちを欲する結果主義者。
決して目標があるわけではなく、確固たる信念を持っているわけでもない。
ダラダラと大会に参加していればまるで湯水のように湧いてくる勝利、歳を重ねるごとに手に入る盾やトロフィーの実績、そんなものにひたすら酔いしれる日々。
今まではそれで満足だった、それで十分だった。
「……」
本棚に差し込まれた古い定跡本を手に取って埃を払う。かつては勉強するために買ったはずのその本は、1ページも開かれることなく置き去りにしたままになっていた。
それが無くても勝利していたから、それを読まなくても勝てていたから。必要な情報だけ詰め込んでいればそれなりの勝ちは捥ぎ取れる。
もちろんここまで来るのに使った勉強時間は学業よりも多かった。だがそれに見合った成果もしっかりと得られていたし、今まではそれで満足していた。
所詮は趣味でやっているだけのプレイング。プロを目指すわけでもない、全国優勝するわけでもない。ただ狭い場所で勝ち続けて、もてはやされて、天狗の気分を味わっていたかった。
だけど、その鼻は呆気なく折られた。──二度もだ。
一切眼中になかった男が、僅かな期間で急激な成長を遂げた。まるで人が変わったかのように強くなり、手付きに迷いが無くなっていた。
窮鼠猫を嚙むとはまさにこのこと、追い詰められた弱者が大人しく身を引いてくれる時代はとうの昔に終わっていた。
アイツの成長は恐らく鈴木哲郎の入れ知恵だろう、前大会地区代表の麗奈が関わっているのを見ると、今後も大きな動きがあるのは目に見えて分かる。
実際、彼との戦いには感服した部分も多かった。ただの似非戦法を使い続けていた自分との明確な差を感じることもできた。
相手の指し手を見れば、そこに積み重ねられてきた努力と必死な勝利への渇望がすぐに分かる、アイツの場合は特に顕著だった。才能がない自分を理解して才能を持つ者だけの集団に挑もうとしている。凡人が、たった一つの武器を手に強者を屠ろうと必死に足掻いていた。
……終わって落ち着いた今でこそ、あれは納得の敗北だった。
だが、龍牙は違った。才能を持っていながらその地位に甘んじていた。
相手地区の敵情視察とかいう適当な理由をこじつけて、ただ痛めつけたいだけの愉快犯。噂では聞いていたが、いざ目の前にしてみると想像を絶する性格をしている。社会では通用しない横暴な態度だ。
だが将棋ではそんなことは関係ない。実力で負ければ大人だろうが頭を下げ、子供だろうが勝てば上から見下ろせる、完全な結果に基づいた実力主義の世界だ。
だからこそ、舐められっぱなしでいられるわけがない。
仮にもその後その日の王者となった男に、龍牙は目を合わせることすらなかった。宣戦布告すらもせず、戦いの誘いすら口にせず、満足したから煽って帰る。そんな戦わずに勝った気でいる相手を周りは勝手に評価する。
戦ってすらいないのに自分より劣っているだと? 戦うまでもないだと?
天才達はいつもそうだ。有り余る実力を勝利に使わない、己が欲望の為に使う。こっちは搦め手を必死に考え、相手の嫌がる手を指し続けることでようやく勝利を得られるというのに、向こうは好き勝手指して相手を叩きのめした挙句、いとも簡単に掴み取った勝利を喜ぶことすらしていない。
──ふざけた不条理だ、納得できるわけがない。
パソコンを立ち上げ、デスクトップ画面に貼られている将棋ソフトのフォルダを開く。ソフトの横には2年も前の日付が書かれた最終更新日、これまで必要としてこなかった証拠だろう。
次いでウェブサイトから序盤の定跡棋譜を洗いざらいダウンロードし、その全てをソフトに読み込ませる。視界内に置かれた定跡本を開きつつ、ネットと著書の齟齬を見極めソフトに解析させる。
後は流れ出るように出てくる最善手を頭に叩き込み、その形を網羅する。間食には簡単な詰将棋も解いて、地力も身につける。
「余裕ぶって笑うようなクソ野郎は二人もいらねぇ。俺の視界に入ったこと、お前の視界に入らなかったこと、その全てを後悔させてやる」
抑えきれない笑みは確信した自分の成長と、そんな自分を敵として見なしていなかった男を叩きのめした時の想像、そのための苦痛なら嬉々として学び入れようじゃないか。眼中に入っていなかった相手の成長は、驚愕の一言じゃ済まされないんだからな。
ああ、そうか。天竜はこんな気分だったのか──。
腐っていた頭は水で洗い落とされるかのように花開き、慢心していた目の色は燃え滾るように満ち溢れる。かつて強さを追い求めた子供の頃の自分を彷彿とさせながら、人生二度目の挑戦に活路を見出し──。
成田聖夜の将棋は、この時初めて『趣味』の枠から飛び出した。




