第四十七手「本懐させた男」
前回の答え合わせ及び解説。
ep5【切り捨てられる一兵】
正解は▲7一歩成、△9一玉、▲8一と、△同玉、▲7二と、△9一玉、▲8二と(▲8二と寄、▲8二と上)です!
最後の一手が複数ある場合はどちらでも正解です。
歩だけでもこれだけ攻め手があるなんて驚きですよね。この問題は7二の歩が邪魔駒だったため、王手しながら成って捨てることで7二にスペースができ、と金で詰ますことが出来るというわけです。
今回は7手詰と長かったですが、皆さんは解けましたか?解けた方には歩マスターの称号を与えます!
湯船に浸かりながら俺は今世一番の誉め言葉を口にする。
「ここが天国か」
なんという極楽、なんという幸せ。海外の浴場とはここまで大きい物なのか。いや、このホテルがどうみても高級すぎるのが原因か。ともかく、足を伸ばせるほどの湯船なんて人生で経験したこともなかった。
それに質素な家庭では体験できない泡風呂、レモンの甘い香りが漂うバスタブも入っている。ここまで優雅な入浴のひとときを俺は知らない、まさに極楽浄土そのものだ。
「そういえば、この海外旅行って何日くらい泊まるつもりなんだろう」
湯船に浮かんだ泡でシャボン玉を作りながら、ふとこの海外遠征的なものの本質が気になっていた。
麗奈は特に何か用があると言ったわけでもなく、俺も単なる気分転換だと思っていたから適当な観光をして帰るのかと考えていた。
しかし麗奈の荷物はかなり大掛かりなもので、少なくともここ数日で帰ろうとしている様子もない。それにわざわざこんなホテルを取るくらいだ、何かしらの意図があるのだろう。
──だが少なくとも、俺にはもう関係のないことだ。
息を吹きかけて出来上がったシャボン玉を、俺は両手で無慈悲に潰す。まるで夢を乗せたものを消すように、自分が浮かべる楽観視を否定する。
俺はそのまま風呂を上がり髪を乾かしてバスルームを出た。
麗奈がどんな顔をして待っているのかと思いきや、室内はもぬけの殻といった感じで麗奈の姿はどこにも見当たらない。
「……外か?」
自動販売機にジュースでも買いに行ったのだろうか。どのみち部屋のカードキーは麗奈が持っている、彼女はこの国の言葉も堪能だろうし、俺が一人で外に出るよりよっぽど安全だ。
ともかく、今日は疲れたしもう寝るか──。
暇つぶしに使うスマホを取られた今、麗奈の帰りを待つのも退屈だ。今日は歩きっぱなしで疲れたし、早めに寝て明日に備えた方がよさそうだ。
そう思いベッド上部の毛布をどけてベッドに入る。若干の温もりが感じられるのは、この寒い季節に備えた電気毛布か何かだろうか。
若干のスペースを麗奈の方に預けて、枕も麗奈の方へと移す。
そしていざ寝ようと部屋の電気を常夜灯にすると、何やら奥の方からもぞもぞと蠢いた。
「うおわぁっ!?」
ホラー展開ばりの驚きをしてしまったが、その正体に俺は二度驚く。
「麗奈!?」
なんということでしょう、麗奈が毛布の中に隠れていたのだ。しかもお風呂上りなのに息を荒げて暑苦しそうに汗をかいている。
何だこの子、アホか!?
「ふふっ、今度こそ捕まえたわ!」
「お前も懲りない奴だな……! ──このっ!」
麗奈に飛び掛かられる寸前、俺は寝た体勢になりながらも素早く麗奈の横っ腹に手を突っ込み、全力でくすぐった。
「あっはははっはっはははっ! ちょっ、やめっししょ……っははははっ!!」
「これが天竜家の殺法、笑い殺しだ! 眠れなくなるほど笑わせてやる!」
「ちょっ……うははははっ! 負け、まけたっ! 参りましたぁ~っ!」
悶えるように笑い続ける麗奈はすぐさま降参の意を示すが、それが罠だと分かっている俺はくすぐりをやめない。
「その降参がブラフなことくらい分かってるわ!」
「あははははっ、んっくっ、ちょっそこ敏感だからっ……にゃはははははっ!」
ふっ、将棋では勝てなくともくすぐりでは一枚上手のようだな、見たか。──いやなんの自慢にもなりはしねぇわ!!
麗奈に絶対攻勢をキープし続けて気分が高揚した俺は容赦なく攻め立てる。そしてとうとう限界を迎えた麗奈は、我が身を捨てるようにこちらへと飛び掛かってきた。
「もうやめっあははははっ、こ、このぉ……とりゃぁっ!」
「うおぁっ!?」
覆いかぶさるように抱き着いてきた麗奈。柔らかい肌が触れ、その全身からお風呂上がりの良い香りが鼻腔を擽る。
搦め手よりも先読みよりも、結局は強引な一手が強かったりする。麗奈の無理矢理な抱き着きに、俺は抵抗も出来ずに溜め息をついた。
「……あの~、麗奈さん。離れてくれませんかね?」
「やだ」
即答、麗奈は俺に抱き着いたまま離れようとしない。そして隣にうつ伏せになるように顔を埋めているため、その表情も見る事は出来ない。
ここにきて中学生らしい反応を見せてくれたのは嬉しいが、なんとも言えない気持ちである。もしかして悩みとかあるのだろうか、家庭の事情とか?
「全く甘えんぼさんだなぁ、いつもの強気な麗奈はどこへ行ったんだよ。……なんか辛いことでもあったのか?」
その言葉を境に、麗奈はまるで分かってないのは俺の方だと言わんばかりに声を荒げた。
「違う私じゃないっ。師匠が、……師匠がすごく辛そうだったから」
「……俺?」
「ここに来てから。……ううん、ここに来る前からずっと暗い顔してた」
笑いあってた先程までとは違い、神妙な雰囲気が漂う。
「……」
暗い顔、か……。自分の顔なんて鏡を見なければ知る由もない。俺自身は楽しんでると思っていた、笑っていたはずだ、だがその顔は本当に満ち足りていたのだろうか。
少なくとも麗奈にはそうは見えていなかったってことになる。
「──分かってる、分かってるのよ。でも……」
麗奈はその小さな手のひらをぎゅっと握って、こちらと顔を合わせようとしない。
分からない、麗奈が何を分かっているのか俺には皆目見当もつかない。ただ、必死に考えて行動に移しているのは言わずもがな、伝わっている。
「そういえば続き、話してなかったな」
俺はここに来る前の話がまだ途中だったことを、今になって思い出した。勝手に諦めた気になっていたが、まだ本当に折れたのか自分でもよく分かっていない。
ただ考えないようにしていたら、いつの間にか切り離して考えるようになってしまっていた。
「心配かけてごめんな。でも今日は遅いから、明日話すよ」
「ほんと?」
「ああ、約束だ」
「……ん、わかった」
そう言って麗奈は俺から離れ、自分のベッドへと戻っていった。まぁベッド同じなんだが。
曲がりなりにも僅かな答えを知れて満足そうに横になる麗奈に、今度は俺の方から迫っていった。
「──だがまぁ、それはそれとしてだな」
「ふぇ?」
そう、それはそれとしてである。
「えっ?」
これだけ迫られた挙句、実は心配してました、あれは元気づける為でしたで通されてはたまったもんじゃない。そもそも同じ部屋同じベッドでそう簡単に寝られると思うか? 思わないな、自制心が死ぬ。
ついでに俺の人権無く強引にここまで連れてきたことも含めて、少しばかりのお返しだ。
「し、師匠……!?」
慌てる麗奈の肩を掴み、パーソナルスペースを一瞬で突き破り顔を近づける。
「俺の名前は師匠じゃないぞ? ちゃんと名前で呼んでくれないと」
「て、天竜……?」
「下の名前で」
「か、かかか。かず、き……」
一瞬で真っ赤になった頬を人差し指で軽く触れる。すると魚のように飛び跳ねて反応した、可愛い。
何度も思うが麗奈のこれは性的というよりも可愛いに分類される可愛さだな、つまり可愛い。
「ふ、ふぇっ、ぁ、ぁ……っ!」
何が起きてるのかも分からず目をぐるぐるさせながら困惑する麗奈に、俺はすかさず肩を引き寄せる。そして限界が来たのか、麗奈は空気が抜けるような声を出した。
「ふぁああぁぁ~…………」
そのまま事途切れたようにパタリと意識を失う麗奈。
どうせあのまま寝てもまた何か仕掛けてきそうだし、勝負を決めてから安全に寝るこの方法の方が確実な安眠に繋がるだろう、天才だな俺。
スヤスヤと眠る麗奈に毛布を掛け、優しく髪を撫でる。
そういえば麗奈の寝顔を見るのはこれが初めてかもしれない。いつもは俺の方が先に寝ることが多く、麗奈は蹲るようにして寝るからそもそも顔が見えないからな。
兎にも角にも、今日はなんやかんやあって長く感じる一日だった。麗奈が俺を心配していることも分かったし、可愛い顔も見れたし、眼福な思いを何度も体験できた。
眠る麗奈を外目に俺も毛布を被り、そして満足した表情で決意を示した。
よし、もう思い残すことはない。明日自首しよう──。