第四十五手「本性に気づけなかった男」
前回の答え合わせ及び解説。
ep3【最強のタッグ】
飛車と角だけで強固な相手陣を掻い潜れるのか?
正解はこちらです…!
▲5六角、△3五玉、▲3四飛!
『鬼より怖い両王手』という格言があるように1手目の▲5六角が角と飛車の両王手になります!両王手は受ける手が存在せず、逃げるしかありません。そこで▲3四飛とすることでピッタリ詰むというわけです。
今回のような手を見逃さずに指せるようになると形勢が一気に逆転することもあるので覚えておきましょう!
ホテルについてから荷物整理などを済まし、ようやく一休みを得ることができた。そして気づけば、外の背景は夜へと切り替わっていた。
「今日はもう遅いし、先にシャワー浴びてくるわね」
「おう」
普段から同棲していたせいか、自分より遥かに年下の少女がシャワーを浴びるという状況に違和感を覚えることはもうない。
因みに、ここに来るまでに持っていた荷物やバッグも無くすと大変だからという理由で全部没収され、スマホや財布などの貴重品までも取り上げられてしまった。麗奈は俺の母親か。
まぁ現地の馴染みというか、経験値が違うから全部任せたほうが安全っちゃ安全だろうけど、こうも一から十まで任せっきりだとなんか本当に母親に思えてきた。
「っとっと……」
思い耽って考えていると、足元はよく疎かになる。振り返り様に近くにあった麗奈のバッグにつまづいて、その中身が露呈する。
そのとき思わず視界に入ってきた箱型の存在に、俺は眉を顰めた。
「っ……」
既視感のある薄茶色の箱の横には、綺麗に畳まれた正四角形のゴム板。元来から茶色や木色というのは大々的な将棋のトレードマークとして認識されている。つまりその中に入っていたのは、簡易的な将棋盤と駒箱だった。
穏やかに鼓動していた心臓が勝手に音を大きくする。頭で違うと否定しても、反射的にその存在を嫌悪する。
将棋盤や駒箱を持ち歩く人は珍しくはない。だがそれはあくまで対人を目的とした所持であって、一人で指すためのものじゃない。
麗奈がわざわざこんな場所にまで将棋盤を持ってきたということは、つまりはそういうことなんだろう。
あれからなるべく考えないようにしていた、考えたって意味がないと思っていたから。将棋を指したくないと思ったわけじゃない、嫌いになったわけでもない。
ただ、現実を見せられてほんの少し長いため息をついただけ。希望の詰まった箱の中身は実際は空っぽで、その空っぽの箱に今まで夢見ていた自分にほんの少しだけ呆れただけだ。
だから、世界は何も変わってなんていない。
「はぁ、考えるのもつらい」
今はこの大きなベッドに身を任せて寝れる幸せを感じよう。
「──ん? ベッドが、大きい……?」
ふと感じた違和感に伸びた手が硬直し、思考が逆流するかのような悪寒に襲われる。そして、そのふわふわな羽毛布団を撫でながら俺は驚愕の事実に全身を凍らせた。
……あれ。ベッド、ひとつしかなくね……?
「ふぅ~、久々の大きなお風呂は最高ね~」
浴場からお風呂上がりの麗奈が気持ちよさそうに向かってくる。
対する俺は青ざめた表情で麗奈の方を見つめた。
「れ、麗奈……?」
「なに?」
「なんでベッドが一つしかないんだ……?」
──殺気。そう、それは殺気といえるものかもしれない。
俺がその言葉を放ったとき、辺りの空気が一瞬で凍りついた。麗奈の体からぽわぽわと上がっている湯気が一瞬で色を変え、禍々しい紫色へと変色する。
「……師匠」
麗奈の首がガクンと下がる、まるで生きていない人形のように力なく。
そして再び顔を上げたその目は──猛獣に似た本能を表していた。
「…… 勘 の い い 師 匠 は 嫌 い よ 」
そう言って麗奈は玄関口の手前側にある扉をゆっくりと閉めた。
「──え? う、嘘だろ麗奈?」
後退する足、迫る影。ジリジリと詰められる二人の距離。
両手を広げてゆっくりと迫ってくる麗奈は普段の何倍も大きく見えた。
「ま、ま、ままままてまて落ち着け! 落ち着くんだ!!」
酔ってるのか? 変なものでも口にしたのか!?
しかし特段外見に変わった様子はなく、ついさっきまでは確かに普通の状態だった。つまり、俺の発言が仕掛けてあった地雷の引き金を引いたのだ。
「バレたなら仕方ないわ……もう少しじっくり煮込もうと思ったのだけどね」
「な、何言ってるんだ麗奈。お、大人をからかうのはよくないぞ?」
ずるずると下がる俺に対し、麗奈は包囲するように俺を部屋の角へと追い詰める。麗奈のオールラウンダーとしての実力は、何故か将棋以外でも発揮されていた。
「おいまて、挟撃するな!」
豹変する麗奈の意図を全然理解できて無いわけではない。だが、だからこそ俺は今この状況における打開策を一切持ち合わせていないのだ。
「な、何するつもりなんだ? 俺をからかってるんだよな!?」
ほんのわずかの希望をもって、何かの勘違いかもしれないと麗奈を見上げる。その顔はからかってるような表情ではない、獲物を仕留める顔である。
「フフフ、ここはもう日本じゃない。邪魔者はもういないのよ」
「な、何を考えてるんだ。あはは……冗談だろ?」
「冗談? 冗談ってなにかしら。いいえ、問答はいらないわ……♪」
怖い怖い怖いなんだこの中学生……!?
麗奈の本気度が伝わって、いよいよ自身の貞操の危機を感じた俺は思わず声を上げる。
「うわぁあああーー誰かああああーーーっ!?」
「無駄よ師匠、このホテルは完全防音なのよ」
「なんでそんなホテルにしたんだよ!?」
膝をつき倒れる俺に麗奈も四つん這いになり、風呂上がりの扇情的な香りを漂わせながら妖艶な表情を浮かべた。
「分かってる癖に」
「どうした、いつもの真面目な麗奈はどこ行ったんだ!?」
それもまた本性だと言わんばかりに麗奈は笑う。
勝ちを悟った表情で一歩一歩と近づいてくる、その距離はもうお互いの肌が触れるところまで迫っていた。
「いい師匠? 戦術に長けたプロは自分の攻め手を最後まで相手に悟らせないのよ。今回の棒銀もカモフラージュが足りないばかりに、その作戦の意図を龍牙に察知されて逆襲されたんでしょう?」
「た、確かに……」
いや感心してる場合か。
「準備は念入りに、仕留める時は一瞬よ」
「確かに、確かにその通りなんだがぁぁぁあっ!」
俺は両手を突き出してガードするも、麗奈はその手を絡めとるようにして外しにかかる。
「とりゃっ!」
「ぐおおお……!」
滑るように暖かい手が肘まで伸びていき、ゾクッとした感覚が身を襲う。女性の肌をろくに触ったこともない俺には強すぎる刺激だった。
しかし、こと力勝負なら男の俺が負けるハズが──。
「てか力強っ!?」
「師匠が非力なのよ。ちゃんと野菜食べて運動しないから、ほらこんなに腕細くて私と大して変わらないじゃない」
くぅ……男の沽券に関わるような発言を易々と……!
でも本当に麗奈との力関係がほとんど変わらない、麗奈の方は何か特別なスポーツをやっていたわけでもなく筋肉の量もそこまであるようには見えない。
つまり、俺がただひ弱なだけなのかぁッ──!!
「い、今は麗奈が作ってくれるから栄養は十分あるよ……ッ!」
「ええ、ええ……毎日作ってあげるわ……!!」
ダメだこの中学生レスバが強すぎる、何言っても100倍で返される。まずいまずいまずい……! なんでこんなことになってるんだ!
てかこんなに麗奈の好感度を稼いだ覚えはない! というかむしろ俺が稼ぎに行くところだろ、そんな場面あったか? 俺の男らしいところあったか!? ないわッ!!
「麗奈、まずは落ちつこう。お互い話せばわかる」
「話し合いなんかしなくても分かり合えるから大丈夫よ」
ダメだ何言ってもダメだ! もうどうしようもない──!
「ほら、もうダメみたいよ?」
「ぐあぁぁぁぁあ……っ」
持久力も無い俺は次第に麗奈との張り合いに負け、両腕を壁に貼り付けられる。
完全に為すすべが無くなりせめて足で反撃しようと視界を下に移すと、俺の足は既に麗奈の足が圧し掛かっている事に気づく。
完全に抵抗手段を失った。もうダメである。
しかし、俺は最後の反撃に出ようと記憶の中から麗奈の発言を振り絞りだし、自信満々に反論を口にした。
「そ、そうだ! 言ってたじゃないか! 前に将棋と恋愛は分けるって──」
「そんな昔のこと覚えてないわっ!」
「横暴だぁぁーーっ!!!」
これが人生初の海外遠征の"1日目"である。
この先どうなってしまうんだ……。
 




