第三手「蝶に挑む竜」
日間ランキング5位…ありがとうございます…涙が出そうです。
では前回の後書きで出した問題の答え合わせをしましょう。
この手が"居飛車"なのか"振り飛車"なのか、でしたね。
正解は──なんと"居飛車"です!
え?おかしいじゃん!だって飛車動いてるよ。と思うかもしれませんが、これは"右四間飛車"と言って居飛車に分類される戦型なのです。4筋に飛車がいるので四間飛車、それが中央から見て右側なので右四間飛車といいます。
振り飛車は基本的に、真ん中より左に飛車を動かした場合に振り飛車となります。
そのため、真ん中より右側ならどれだけ飛車を動かしても居飛車という分類になってしまいます。3筋に飛車を振る"袖飛車"や1筋の端に飛車を動かす"一間飛車"なども居飛車の分類です。
それでは本編、どうぞ。
「……」
謎の美少女、見た目は中学生くらいの女の子が玄関前に立っていた。
俺は女性どころか他人とすらあまり関わりのないのに、そんな自分の家にこんな小さな少女が押しかけてくるなんて、何かの間違いでは? 訪問場所を間違えた?
いやでもこの子さっきからずっと俺の顔を見て……。
すると背後からもう一人、眼鏡をかけた頭ピカピカの老人が顔を見せた。そしてその老人の顔を知っていた俺は、思わず驚きの声を上げる。
「す、鈴木会長じゃないですか!」
「やぁ天竜君、久しぶりだね」
老人の名前は鈴木哲郎。俺がさっき参加した大会の主催者で、地区全体を取り締まる県支部の会長でもある。
俺は毎回将棋の大会に参加するため、鈴木会長とは結構喋る機会も多い。でも自宅まで訪問されるのは流石に初めてだ。
「わざわざ俺の家まで来るなんて、一体どんなご用件でしょうか……?」
「ちょっと頼みがあってね、よければお邪魔してもいいかな?」
「え、ええ。まぁ汚いですけど、はい……」
しどろもどろになりながらも珍しいこの状況を断る理由もなく、そのまま謎の美少女と鈴木会長を家の中へ招く。
「あの……」
「唐突にごめんね。盤はあるかい?」
「え、まぁ。ありますけど」
そう言って後ろに置いてあるはずの盤へ目を移すと、倒れた盤と散らばった駒とで色々散乱していた。
ああ、そういえばさっきついカッとなって盤を蹴ったんだっけ。
「難儀してそうだね」
「お見苦しい所を見せてすみません」
一瞬で察した鈴木会長と、そんな俺を鼻で笑う謎の少女。一瞬だが、嘲笑するような瞳が映った。
うわぁ、この子すごい毒舌っぽそう……。
駒を盤に乗せ準備が整った事を目線で鈴木会長に送ると、深く頷いて隣にいた謎の少女の紹介をついに始めた。
「実は天竜君にこの子、舞蝶麗奈と対局……いや"指導対局"をしてほしいんだ。彼女も今年から将棋の大会に出始めることになってね、出来れば年長者に教えてもらおうかと思った次第さ」
"指導対局"──それは格上が格下のために行う、指導を目的とした対局だ。しかし勝負の内容自体は普通の対局と変わらない。
実際の対局と違うところは、ハンデを付けたり要点を喋りながら対局したりできる点だろう。
ハンデは主に指導する上手側が駒を抜いて戦う駒落ちや、教えを乞う下手側が相手の戦法を指定したりすることで成立する。
下手側は胸を借りるつもりで気楽に戦えるが、指導する上手側は教師になったつもりで指さなければならない。
「はぁ、指導対局ですか。指定の戦型などはありますか?」
「いいや、好きに指して良いよ。彼女は『オールラウンダー』だからね」
俺はその言葉を聞いて眉をひそめる。
オールラウンダー、それは恐怖の代名詞。その名の通りどんな戦法でも使える"万能型"だ。
オールラウンダーの最も強い点は、相手の戦法に合わせて自分は好きな戦法を決めることができるということ。
戦法も、戦型も、囲いも、そのすべてが自由自在。相手のどんな戦法に対しても弱点を付く形を組める。それは相手からしたらこの上ないほど厄介で、恐怖を煽られる存在だ。
だがその反面、オールラウンダーは覚える量も尋常じゃない。
居飛車、振り飛車、相居飛車、相振り飛車、対抗型。それぞれ全ての戦法と戦型を満遍なく覚えなければならないのだから、それはまさに茨の道、常人にできることじゃない。
そんな才能が直結すると言ってもいいその特性は、まさに全ての将棋指しの天敵といってもいいだろう。
ひとつの戦法しか扱えない俺にとって、オールラウンダーほど嫉妬の的になる言葉はない。
「えっと、準備はできましたけど……」
駒を並べ終わった俺は、鈴木会長に向けてそう言う。
すると、その鈴木会長の横から麗奈と呼ばれた少女が顔を出し、嘲笑するような目つきで俺を見た。
「はぁ……鈴木さんは指導対局なんて言ったけど、これじゃただの対局じゃない」
「麗奈君」
「いやだってそうでしょう? それともこの人はそんなに強いの?」
制止させる鈴木会長の言葉を躱して、俺を見下す発言をする麗奈。
震える右手を落ち着かせながら、俺は無言でその言葉を受け止める。
あぁ、あってるよ。その感情は正しい。なぜなら、俺は本当に弱いからな。
相手は子供で女の子、だが相当強いだろう。駒を並べる手つきだけで分かる。
何百回も何千回も駒を並べた事がある手つきだ。恐らく俺より強い。
恐らく、彼女は級ではなく段を持つ者──『有段者』だろう。級位者の俺とは別次元に住んでいる存在だ。
「あんた、棋力は?」
「い、一級くらいだけど……」
麗奈に初めて喋りかけられた俺はびっくりして、おろおろしながら答えてしまう。
すると、麗奈はまるでやる気を無くしたかのように深いため息を吐き、俺から目を離して盤面を見つめた。
「はぁ、やっぱりその程度よね。まぁいいわ、さっさとやりましょう」
やめろよその目……より強い強者を探そうとする目、弱い者を見ていない目。
俺は目の前の小さな女の子ですら自分を勝負の対象として見てくれないことに腹が立ち、それでも震える手に悔しさを噛み締めた。
「じゃ、さっさと始めましょ。振り駒でいいわ」
「麗奈君、いい加減に──」
「あはは……」
将棋における勝負の先攻後攻は『振り駒』と呼ばれるもので決まる。
振り駒とは目上もしくは棋力が格上である側が自陣にある歩を5枚取って、両手の中で混ぜながら盤上へ落とす。
表である『歩』の数が多い方が振った人の先手、逆に歩が裏返って『と金』となっている数が多い方が振ってない人の先手となる。
振る側が歩を過半数出せば先手を取れることから『振り歩先』と略されたりもする。
そして先ほど鈴木会長が麗奈に怒った理由は簡単。
振り駒は本来、大会を除けば同じ棋力の持ち主が先手後手を決められない時に使うものだ。いわばじゃんけんみたいなものだと思っていい。
俺が麗奈に指導対局をするのであれば、最低限俺は"後手"になり麗奈は"先手"になるべきはずなのだ。
なのに麗奈は振り駒でいいと言った。もし俺が本当に強かったのなら、その言葉を挑発と捉えても無理はないだろう。
だが悲しいことに、その挑発の内容は事実だ。俺は麗奈に指導対局を出来るほどの棋力を持ち合わせてはいない。
いや、むしろ振り駒をさせられるだけまだマシと思った方がいいだろう。
「……君がそれでよければ」
「ふん」
麗奈は俺の言葉を払いのけて歩を5枚掴む、どうやら振り駒も彼女がやるようだ。
これには鈴木会長も少しばかり頭を抱えていた。
「ごめんね、天竜君」
「いえ、別に……」
麗奈が両手を開けると、駒が盤上に散らばった。
結果は表の歩が2枚と、裏のと金が3枚で俺が先手となった。
「お願いします」
「……お願いします」
こうして俺と麗奈の、何のハンデもつけない指導対局が始まった。