第二十七手「最後の休息と各自の決意」
食事が終わり、時間が余ったので俺と麗奈は予選1回戦目の聖夜との戦いを見返していた。
麗奈のおかげで棋譜もばっちり取ってあり、感想戦ならぬ反省会が始まった。
「どう? 振り飛車は慣れた?」
「まだ完璧とは言い難いけど、少しだけコツを掴み始めた感じかな」
意味もなく駒を空打ちして場面を並び替える。
将棋を指している者は皆、対局以外でも癖で意味もなく駒音を立てようとするのだ。
「少なくとも振り飛車を指せば絶対に勝てる相手、なんて汚名は払拭されたでしょうし、周りにはむしろ居飛車より強くなっているのかと混乱を招いているようね」
麗奈が俺の背後の方に視線を移す。
振り返ると、そこには俺達と同じく予選1回戦、俺と聖夜の戦いを掘り返してなんとか俺の弱点を見つけようと探している選手が集っていた。
「クソッ!」
選手の一人が机を叩いて呻く。
先程からお昼ご飯も食べずに、ずっと盤面と睨めっこしている。
彼らは聖夜に次ぐ第二の優勝候補と呼ばれている者達。そして、今まで俺をカモにしていた人達でもある。
恐らく聖夜の対策は練ってきていたのだろう彼らは、俺というイレギュラーの存在に対し怒りを募らせていた。
そんな様子を見て、麗奈は見下すように鼻で笑う。
「今この地区大会で一番脅威となっているのは間違いなく師匠よ。みんな冷や汗かきながら必死に対策を練ってる。今まで弱者だと舐めきって成長を怠っていたツケね、ざまぁないわ」
強気な姿勢で彼らを挑発する麗奈に俺は取り乱す。
「おいおいやめてくれ、お前わざと聞こえるように言ってるだろ……」
「当たり前よ、今まで散々馬鹿にされてきたんでしょう? 師匠の代わりに私が愚弄してあげるわ」
今大会の部外者である麗奈に舐められた選手たちは悔しそうに拳を握るが、その相手は前回の地区大会優勝者。棋力で劣れば反論の口実もできはしない。
チッと軽い舌打ちをし、彼らはその場を切り上げて食事をしに去って行った。
「必死だなぁアイツらも」
その様子を呆れるように見ていた選手がもう一人。
俺はその声の行方を確認し、眉をひそめた。
「聖夜……!」
声の主は俺の予選一回戦の相手で今大会優勝候補と言われていた選手、成田聖夜だった。
「よっ」
聖夜は俺に負けた後、続く2回戦で勝利を収めていた。そして1勝1敗となった彼は今行われている3回戦を戦っているはずだが、ここにいるということは……。
「三回戦、勝ったのか?」
「まあな」
3回戦が始まってからまだそんなに時間は経っていない、辺りを見渡してもまだみんな試合を続けている模様だ。
そんな中で最速で勝ち上がってきた、やはり優勝候補と言われるだけはある。
聖夜は自分の手のひらを見つめ強く握りしめた後、その拳を俺の前へと差し出した。
「お前に負けたことで少しばかり目が覚めたからな。もう手加減はなしだ、次は全力で挑ませてもらう」
その目は今まで見てきた聖夜の中でも一番真剣な目をしていた。
この様子だと、次の勝負は生半可なものじゃなくなるだろう。慢心をやめた聖夜にもはや隙は残されていないはずだ。
だが、俺もここまで来たからには引くわけにはいかない。
目の前に差し出された拳に俺も合わせるようにぶつけ、正面から答えた。
「望むところだ」
次に当たるのは決勝かもしれないし、最初の戦いかもしれない。
聖夜のことだから決勝まではうなぎのぼりで行くだろう。俄然、俺も負けちゃいられないな。
互いの意思が疎通し、その気持ちをぶつけ合う。
満足した聖夜は負けん気な笑みを浮かべてその場を去っていった。
「男って戦うとすぐ仲良くなるわよね~。ま、喧嘩するよりよっぽどいいと思うけど」
麗奈は最後に残ったお弁当の唐揚げをパクリと食べ、優しい笑顔でそう呟いた。
◇◇◇
それから40分ほど経ち、予選第三回戦開始から約1時間が経とうとしていた。
現時刻は12時30分、既に係の人は決勝リーグの表を作り始めている。
まだ終わっていない対局は2~3局ほど。時計の秒読みが鳴りやまないのを見ると、もうそろそろ決着が着く頃合いだろう。
それに合わせ、俺と麗奈も最後の調整に入っていた。
「師匠にはある程度の振り飛車対策を教えたけど、まだ全てとはいかないわ。特に三間飛車はまだ私以外との実戦経験がない。私が教えたことをしっかりと思い出して、その場その場によって最適な方法で読み切っていきなさい。それと──」
麗奈は流れるように喋り、駒を空打ちする。
何度も言うが、空打ちするのは将棋指しの癖だ。
そして、たまにその空打ちの衝撃で駒同士がぶつかると弾け飛ぶことがある。
「「あ」」
パチンと打った歩の角に他の駒がぶつかってしまい、駒は見事に弾け飛んだ。
そして宙を舞った駒が麗奈の胸へと飛んでいき、服にペタリとくっついた。
しかし次の瞬間には、重力によってスルスルと下へ落ちていく。
──ストン。
落下する駒の音が虚しく響き渡る、悲痛な叫びをあげているように感じた。
辺りが一気に静まり返る。
「「……」」
沈黙が流れる。麗奈の顔が曇り始める。
まずいと思った俺は必死の笑顔を作り、そして必死に麗奈を慰めた。
「……ニ、ニュートンはな? 木から落ちるリンゴを見て」
「うっさい! 悪かったわねリンゴより小さくて!」
「いや重力の話なんだが……」
雑なフォローが見事に失敗してしまい、更に自虐を重ねてしまう麗奈。
そのまま涙目で拾った駒を盤上へと叩きつけた。
「いい!? ここ! ここは師匠が最も忘れやすいところだからしっかり覚えていきなさいよね! わかった!?」
「あ、ああ」
勢いのままに指摘され、返事が詰まる。
麗奈はバシバシと八つ当たりするように駒を打ち付ける。
歩が可哀想だ。
その後麗奈の辛辣な指摘による再指導が十数分ほど続き、やがて満足したのかその場を立ち上がった。
「トイレか?」
「お手洗い!」
「お、おう」
どっちでも同じじゃないか。と言ったらぶん殴られそうな威圧感でその場を押し切られ、麗奈はトイレへと去って行った。
冷静さを欠いているせいもあるとは思うが、麗奈は意外とこういった部分に繊細だ。普段の私生活でもお嬢様っぽい雰囲気や立ち振る舞いをどことなく感じさせることがある。
まぁ流石にどこかのご令嬢というわけではないだろうが、しっかりと教育の行き渡った良い家庭で育ったのだろう。
「さて、そろそろ三回戦も終わるころだし俺も準備を──」
席を立ちあがり、お茶でも買おうかと思っていたその時。
──バタン!
……と、凄い音が聞こえてきた。
「えっ?」
奥の方で物凄い音が聞こえ、勢いよく振り向いた。次いで聞こえたのは駒が地面に落ちていく音。
他の選手も皆、一斉にその場へと目を向ける。
「は……?」
そして、そのあり得ない光景に俺は、俺達は言葉を失った。
──三回戦が行われていた対局の席で、一人の選手がその場に倒れていたのだ。




