第二手「変化の予兆」
自分の対局が終わった俺はそのままさっそうと自宅へ帰宅し、ベッドに顔を埋めて深いため息を吐いた。
今日の大会も負けた。その気持ちが段々怒りへと変わっていった。
「クソ、クソッ!」
子供の様にバタバタと布団を叩く。
ふと目を瞑ると、さっき戦った局面が頭に浮かんできて離れない。
「なんで、なんで勝てねぇんだよ。どうしていっつも負けるんだよ……!」
何を成すにも才能が付きまとうのは仕方のないこと。
だが将棋はその才能がかなり表面化しやすい競技。先を読む力、盤面を把握する大局観、読みを切らさない集中力、ペースを握る時間配分。そのどれもが欠けてはならない重要なスキルだ。
だが俺にはこれらの才能がまるで無い。いや、平均に届かないくらいはあるのかもしれない。でもそれらは本番の実践で全くというほど効力を発揮しないのだ。
──『居飛車』。将棋の二大戦法のひとつとして知られている。
俺が唯一指せる、唯一の得意戦法だ。
『居飛車』はその名の通り、飛車をその場から動かさずに攻める古来の戦法。
最善を模索し、研究を費やし、その実りをぶつける。まさに堅実な戦法というイメージ、それが居飛車だ。
だが今のアマチュア世代は『振り飛車』が非常に多い。
『振り飛車』は攻撃力満点、カウンターも狙える、そして何よりも一辺倒で覚えやすいのが特徴だ。
将棋は基本的にこの2つが戦法の軸となっており、居飛車か振り飛車のどちらを選ぶかで戦い方が変わる。いわば持つべき武器を選択するようなものだ。
そして俺と近い実力帯の級位者はとにかく振り飛車が多い。地区大会では誰もが振り飛車、振り飛車、振り飛車、もうどこもかしこも振り飛車合戦。
みんな飛車を振るせいで戦型が『相振り飛車』ばかりになっている。
自分が振り飛車をし、相手も振り飛車をする。そうすると出来上がるのが『相振り飛車』と呼ばれる戦型だ。
『相振り飛車』は実力がモロに出るため、自分のレベルを信じてひたすら物理で殴り合う戦いが好きな人にはオススメの戦型と言えるだろう。
そして、逆にどちらも居飛車の場合は『相居飛車』という戦型になる。
『相居飛車』は俺の最も得意とする戦型だ。現在のプロ棋士もほとんどが相居飛車で戦うことが多い。
研究勝負、形の暗記力、常に最新系を模索する最も近代的な戦型、それが『相居飛車』。将棋AI同士の戦いもこの戦型になることが多い。
だがその反面『相居飛車』の世界は沼地、研究量や暗記量は膨大だ。
更に、強くなればなるほど多くの研究範囲を求められ、居飛車同士の戦いは常に『知らない方が負ける』という手筋や定跡の嵐に見舞われる。
この『相居飛車』を嫌って戦法を居飛車から振り飛車に変える人も少なくはない。振り飛車が多いのもこれらが原因となっているだろう。
そして最後、自分が居飛車で相手が振り飛車、または自分が振り飛車で相手が居飛車だった場合の戦型──それが『対抗型』だ。
『対抗型』はアマチュアでは最も見る機会の多い戦型といってもいいだろう。
研究勝負になる相居飛車戦、実力勝負になる相振り飛車戦を避けてこの戦型を選ぶ人も多い。
そして『対抗型』は最も幅広く研究されてる形が多く、切れ味や鋭さといった大局観の多い実力も要する。
これは前者の二つに比べて非常にオーソドックスかつ、バランスの取れた戦型だ。
将棋は主にこれらの戦法を主軸として戦いを起こしていく。
だが、ここで大きな問題があった。
ここまで聞いての通り、俺は居飛車しか指すことができない。
加えて、相手に振り飛車を指されると一方的に負ける。
つまり、今の俺は自分も居飛車で相手も居飛車というご都合主義展開──相居飛車という戦型にならない限りまともに戦うことができなかった。
相手に振り飛車を指されたその瞬間、ほぼ負けが決まってしまう。
そしてこのことを大会に参加している選手達はほぼ全員把握しており、俺と戦う時は必ず振り飛車を指してくる。
──そう、これこそ今の俺が大会で負け続けている原因だった。
もちろん対策しなかったわけじゃない。
振り飛車に勝てるようにいくつも対振り飛車の定跡書をいくつも買い、何度も何度も読み漁った、パソコンを使っての研究も毎日のようにしてきた。
だが、俺の頭は相当悪かったらしい。
いくら読んでも、いくら勉強しても、いざ実践すると全くと言っていいほど効力を発揮しなかった。
きっと将棋の才能が無かったんだろう。無意味な努力だったと、今では後悔している。
大会に出るのも過去の義務感に駆られているようなもので、実際に勝てなければ何も面白くはない。
俺が振り飛車を苦手としていることを知っている大会の連中は、俺に対し容赦なく振り飛車を仕掛けてくる。
当然だ、向こうだってお金を払って勝ちに来ている。相手がどれだけ弱くても手加減なんてするわけがない、弱点があれば寄ってたかって襲い掛かるだろう。
たまに俺のことを知らない新参者が大会に参加してくることがある。
そういう相手は俺に対して居飛車を指してくれるため、実力で勝っていれば勝利を掴むこともできた。
だがその新参者もすぐに俺の特性を理解すると、次の大会からはやはり振り飛車を指してくる。
結果、俺は打つ手なくして負けるループへと陥るだけ。
将棋は都合の良いゲームじゃない。自分が居飛車を指せるように、相手も居飛車と振り飛車どちらかを選ぶ権利がある。
だから、俺が負けるのは俺自身の努力不足のせいだった。
他の居飛車使いの人達は、しっかりと振り飛車の対策を組み立てている。
俺が負けるのは、対策を怠っていることに他ならない。それを身につけ活かせなかったからに他ならない。
でも、どうしようもなかった。どれだけ勉強しても身につかなかった。
いくら足掻いても変えられない現状、対策の打ちようがない才能の差。
段々とイライラが募っていった俺は、ベッドから立ち上がって目の前に置いてある将棋盤を蹴り飛ばした。
「クソッ!」
蹴られた盤がガタンと傾き小さな駒が落ちて行く。
直後、自分の足に猛烈な激痛が走った。
「いってぇ!?」
そりゃ重さ4キロ以上ある将棋盤の角を蹴ったら痛いに決まっている。
だが俺には、そんなことを考える理性すら吹き飛んでしまっていた。
「はぁ、もう将棋やめようかな……」
ふと思い返せば、将棋を初めたのは10歳の頃。あれから10年、もう20歳だ。
当時はプロ棋士を目指すなんてイキってたっけな……。
「あぁ、一人暮らししながら虚しく一人で大会に出て、虚しく負けて帰ってくる日々。辛いなぁ……」
そんな事を呟きながらスマホをいじり、気づけばコンピュータと将棋の対局を始めてしまっている自分にふと我に返る。
「ああもうなんなんだよ! 将棋はもう懲り懲りだっつうの……!」
子供のころから将棋をやっていた俺は当然クラスからも浮き気味で、他の子がやっているような流行りのゲームやアニメなどはあまり見ていなかった。
故に将棋から離れてしまえば他に一体何をしたらいいのか、今の俺には全く分からなかった。
──ピンポーン。
「……ピンポーン?」
普段聞き慣れてないチャイム音が突然鳴らされ、俺は無意識に復唱する。
友達すらいない俺の家に誰か来たのか、まさか宅配か? いや何も頼んでないはずだが、一体誰だ?
「はいよ~、どちらさまですかっとうぉ!?」
扉を開けた瞬間、目の前の光景に腰が引けてしまった。
その扉の先に居たのは、見たこともないほどの華奢な美少女だった。