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第十四手「緩急の指し回し」

今回から黄色の直盤を使います。

棋譜の表示や符号の諸事情です、詳しくは2019年 12月19日の活動報告にて。

 

「お願いします」 

「お願いっしまーす」


 お互いが頭を下げ、後手である俺が時計を押すことで試合が開始された。

 今大会の持ち時間は一人15分の30秒、アマの大会では最も使われる時間帯のひとつだ。


 持ち時間の15分が無くなると1手30秒で指さなければならない、時間切れは当然敗北。だが変な話、1手30秒以内に指すのなら永久に時間切れになることは無い。

 俺が時計を叩くと、ピーっと高い音を出して15:00と書かれた数字が動き出した。


 14:59……14:58……14:57……。

 最初の手番は先手の聖夜だ、だが聖夜は時間が進んでもすぐには指さない。

 数秒ほど時間を置き、ゆっくりと初手を指す。



挿絵(By みてみん)


 ▲7六歩。

 数秒ほど時間をかけた聖夜は、特に含みを持たせるわけでもなく当然の一手を指した。

 恐らく初手に時間をかけたのは考えるためではない。相手の波長に合わせて自分の呼吸を整えて、最も良い流れを掴むタイミングでその一手を指すためだ。

 それはまるで心理戦のようにも見える。しかしその心理戦こそが、将棋において重要な要素のひとつでもある。


挿絵(By みてみん)


 △3四歩。

 対する俺が指した手は今までとは違う、角道を通す手だった。

 今までは飛車先の歩を突く8四歩をよく指していたが、麗奈との特訓のおかげで段々と従来の型が外れて来ていった。

 今回この手を指せたのは、対局の良し悪しに関わらず成長の一歩ということだ。


「さぁーて……」


 対する聖夜はひと息入れると、俺に見せびらかすように飛車先の"歩"を掴んだ。

 俺は思わず目を見開く、その手は見るまでもなく"居飛車"を示す一手。まさか俺相手に居飛車を指してくれるのか……?

 しかし聖夜は歩を掴んだまま盤上へ空打ちすると、再び飛車を掴み▲6八飛と指した。



挿絵(By みてみん)


 ▲6八飛車。

 聖夜が指したのは麗奈と同じ角道オープン型の四間飛車(しけんびしゃ)だ。

 まるで俺の反応を楽しんでいるかのようだった。


「ごめんなぁ天竜? 俺振り飛車しか指せなくてよ~」


 悪意しかない笑顔で謝ってくる聖夜。

 馬鹿にしやがって、最初から居飛車なんて指す気が無いくせに……。

 結局局面は『対抗型』。俺の苦手な振り飛車を容赦なく使ってきた聖夜に、俺はいつも通りの情けない差し回しを頻発する。


 △6二銀、▲4八玉、△4二玉、▲2二角成、△同銀、▲3八玉、△3二玉、▲8八銀、△3三銀、▲7七銀、△5二金、▲4八銀、△6四歩、▲6六歩、△6三銀、▲6五歩。



挿絵(By みてみん)


 幸先よく飛車先を突いてきた聖夜側の陣形は、美濃囲いでは無いものの非常に形が良く攻守が万全だ。

 まだ序盤、だというのに気づけばもう作戦負け模様な感じがする。

 大して俺の方は囲いこそ微量で勝っているものの、飛車が全く働いていない。


 将棋の鉄則──"遊び駒"を無くせ。

 遊び駒とは、その駒の動く場所(利き)が少なく、何も働いていない駒の事である。

 俺の場合は言わずもがな、飛車が全く働いていない。完全に遊んでいる状態だ。


 ついでに言うと桂馬も使える状態じゃない。聖夜も銀が邪魔で桂馬が使えていないが、逆に言えば銀をどかせば桂馬は使える。銀は将棋に置いてもっとも動く駒のひとつなのだから、聖夜の桂馬は実際は遊んでいない事になる。


 この時点で既に形勢は聖夜に傾いてると言っても過言ではないだろう、序盤から駒の働きをよく理解した指し回しをしているわけだ。

 対して俺の指し回しはガタガタだ、まるでセンスがない。


 このまま聖夜が突いてきた歩を取ってもいいが、それでは俺の飛車はいつまでたっても働かないままだ。

 少しでも形勢を保つためには、遊び駒を減らすこと──!

 俺は力強い手つきで飛車を持ち、6筋へと転換した。



挿絵(By みてみん)


 △6二飛。

 俺は『右四間飛車(みぎしけんびしゃ)』へと陣形を組み替えた。

 右四間飛車は居飛車の中でもトップクラスの攻撃力を持つ戦型のひとつ、相居飛車でもよく出る戦法だ。


 今回は既に攻められた後だからカウンターを狙うわけだが、働いていない駒を1個活用するだけでこれほど見栄えが変わるものなんだなと、俺は士気を少しずつ取り戻していった。


「ほー? 右四間か、こりゃあ見物だ。俺の四間とお前の右四間、どっちが上か試さないとなぁ?」


 聖夜は動揺することもなく、むしろ嬉々として自分の戦法をぶつけられると踏んだ。

 右四間飛車と四間飛車。同じ筋に飛車がいる、その怖さはまさに大砲合戦の様だ。しかも既に歩はぶつかっている。序盤の駆け引きは幕を閉じ、殴り合いの中盤に差し掛かるのだ。



挿絵(By みてみん)


 ▲6四歩。

 聖夜は自分の腕を信じるように殴り合いへと発展させた。



挿絵(By みてみん)


 △同銀。

 俺もすかさず取り返す。

 ついに勝負は始まった、どちらの四間飛車が上なのかを証明する実力勝負。俺は既にカウンターの姿勢で聖夜の攻撃を待ち構えていた。

 だが……。



挿絵(By みてみん)


 ▲3九金。


「なっ──」


 不意に指されたこの一手に、俺は小さく驚きの声を上げてしまう。


「おもしれぇだろ? エルモ囲い。いいや、右エルモ囲いってやつだな」


 エルモ囲い、正式名称は山下囲い。将棋ソフトelmoが好んで指す陣形として有名な囲いだ。

 だが通常エルモ囲いは本来、居飛車側が対振り飛車の陣形として作る囲い。金銀の連結を最大限に活かし、振り飛車の大駒交換に対抗するための、いわば居飛車党である俺がするべき囲いのはず。


 しかし、聖夜はその囲いを採用してきた。本来居飛車側がするべき囲いを振り飛車側がする。その柔軟な発想に度肝を抜かれた。


 (かた)い──! 一切の隙が無い。

 聖夜の指したその一手で、局面の差は一気に広がったように思えた。金銀の連結がとんでもなく良い、美濃囲いと違って安易に崩せるイメージが浮かばない。


 ──どうする? どうすればこの囲いに対抗できる?

 俺も△4二金寄と指せば連結の堅い囲いが完成するが、その瞬間の隙を狙われ▲6三歩、△同飛、▲7二角と一気に攻め込まれてしまう。


 かといって右の金を動かさず囲いを固める△4二金上と指すと、一応平凡な囲いの一種である"ボナンザ囲い"は完成するものの、将来相手に銀が渡った時に△5一銀打という割り打ちの銀が残るのが非常に気になる。

 そもそも、右四間飛車は4二の金と非常に相性が悪い。いつでも相手に△5一銀と打たせる隙を作ってしまっているからだ。


 だから俺は頑なに4二金を指さなかった。

 だが聖夜はそれすらも見抜いた上で囲いを固くしてきたのだ。この攻め合いの真っ最中で、俺がこれ以上囲えない事を看破していたのだ。


 さすが前回の準優勝者、読みのレベルは当然ケタ違いだ。

 このあとも聖夜の圧倒的な指し回しに圧されつつあった俺は、初めて見る囲いやトラウマとなっている振り飛車の陣形に少しずつ思考を破壊されていくこととなった──。


 ◇◇◇


「師匠……」


 一回戦目から大外れを引いてしまった師匠に、私はそれでも頑張れと心からの応援を送っていた。


「流石に今回は参加しなかったか」


 そう言って私の後ろに立ってきたのは、鈴木会長だった。


「あら、ハゲで変態のおっさんじゃない」

「随分辛口な呼び名だね……。それで、あれからどうだい? 天竜君の様子は」


 中々の激務をしていたのか、目に隈が出来てるようだ。

 それでも師匠の様子が気になると疼く鈴木会長に、私は労う一言をあげる。


「それは言わなくても分かるんじゃない? 今回の大会で」

「そうだね、努力の証明は結果が示してくれると言うもの。だが身近な奇跡とやらは安売りされてはいないようだ」


 観客席からでも見える師匠の姿。

 そこに対面して座っているのは、気さくそうながらもヘラヘラとしている男だ。


「相手はあの成田聖夜君か。前回大会の準優勝者だ、それが偶然にも1戦目から当たるとはね」


 本当に偶然なのか。

 私は師匠と会場に着いた時まっさきに会場全体を見渡していたけれど、聖夜はくじ引きの抽選が始まるずっと前から受け付けのカウンターと話をしていた。


 くじ引きは王様ゲームの要領で数字の書かれた割り箸を引くだけの作業だ。

 つまり、その数字を全部把握している者がいるのなら簡単に対戦相手を選ぶことくらいはできる。


 あくまでただの予想に過ぎないけど、あの男ならそのくらいのことをやってもおかしくはない。

 卑怯な手で勝利を掴むのも、彼のポリシーのひとつなのだろうから。


「アイツは性格通りにねちっこい指し方を好むわ。攻めたと思ったら守り、守ったと思ったら攻める。まるで緩急の指し回しね」

「振り飛車の大局観を背負いながらそんな指し回しをされたら、さすがの天竜君も頭を悩ます事になりそうだね」

「ええ。──でも」


 目を瞑り、今までの日々を振り返る。本気で将棋に打ち込んでいたあの背中を思い出す。


「勝てるわよ、師匠なら」


 不安なき答えをはっきりと口に出す。

 鈴木会長もそれを見て安心したような表情をした。


「そうか。……そうだね、前回大会の"優勝者"である君が言うのなら間違いないさ」

「ええ、プロを目指すのだから地区大会で彷徨ってる時間なんて無いわ。さっさと追いついてきなさい、師匠」


 観客席から無言の応援を送る。

 例え相手が準優勝の相手だろうと勝ち続ければいつか当たる相手だ。


 大丈夫、師匠ならきっと──。

 そう、これが……この対局が奇跡の一歩になるのだから。

 私は心からの勝利を願っていた。泥沼になっても白星を奪い取る姿を想像していた。勝てると、信じていた。

 師匠が次の一手を指すまでは──。

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