第十一手「中学生に振られる男」
さて、前回の問題の答え合わせです。
この局面で後手がどうするかでしたよね。
正解は──8六歩!
この一手が定跡です。同歩としてしまうと8七歩打!気づいたら先手と後手が入れ替わってしまいました!まさに魔法のようです。
後手の8六歩に対して先手が2三歩打とした場合も見ていきましょう。
一見角を取られてしまいそうですが落ち着いて8七歩成。
先手2二歩成に対しても、じっと同銀としましょう。
これで先手に攻め手無し。後手優勢です。
先手の角はいつでも取れるので後手はこの後8六歩打といった垂れ歩や2三歩と飛車先を受ける手を指して、先手が角を逃がそうとした瞬間取ってあげましょう。
"いつでも取れる駒は一番おいしい時に取る。"将棋の鉄則です。
それでは本編、どうぞ!
朝、目が覚めると俺はベッドに寄りかかっていた。
自分に掛けてある毛布にようやく人の気配を感じる。
「俺、こんなとこで寝てたのか……」
確か昨日麗奈と一晩中将棋を指していて、それから……気づかない内に寝てしまっていたのか。
時計を見ると既に10時を回ってしまっている。
「げっ、もうこんな時間か」
部屋を見回しても麗奈の姿はない、だが奥のリビングからパチパチと聞き慣れない音が聞こえた。
「ふぁ……おはよう」
「おはよう師匠、随分と気持ち良く寝ていたわね」
「昨日ボッコボコにしごかれたからな、流石に脳が限界だった」
欠伸をしながら深呼吸をすると香ばしい匂いが漂ってきた。
視界に映ったのはエプロン姿の麗奈、中学生とは思えない家庭的な格好だが、中々に似合っている。
「ところでそんな所に立って、まさか料理してくれてるのか?」
「ええ、お世話になるからこれくらいはしようと思ってね」
「ほうほう、それは良い心がけだな──って、これは……!?」
テーブルに出された料理を見て俺の微睡は完全に吹き飛ぶ。
そこにあったのは──トマト料理だった。
「トマトをふんだんに使った自家製ミネストローネよ、あと余ったからピラフに混ぜたわ」
「家にトマトは無いはずだぞ!?」
「買ってきたのよ」
買ってきたって……。
次々とテーブルに出される料理はもう見るからにトマトだらけ、しかもメインとばかりに出されたミネストローネはトマト嫌いの俺の天敵といってもいい食べ物だ。
麗奈め、俺がトマト嫌いなのを知ったからって翌日にトマト料理出してくるかよ……。
「麗奈はドSだな……必至逃れの手は無いのか」
「そんなものないわ。せっかく作ってあげたんだから好き嫌いせずに食べるの、ほら」
ぐぬぬと顔を歪ませ目の前の料理を凝視する。
正直トマトは大の苦手。だが麗奈がせっかく作ってくれた料理だ、食べないわけにもいかない。
「はむっ……!」
俺は決死の覚悟をしてミネストローネを口に運んだ。
「……!? 美味い……!?」
「でしょ?」
今まで感じたこともない味わいにふと言葉が漏れてしまった。
トマト特有の酸味が薄く、他の野菜の出汁とよく混ざっている。これほど美味しいミネストローネを食べたのは生まれて初めてかもしれない。
「確か自家製って言ったよな。これ、一体どうやって作ったんだ……?」
「秘密~♪」
麗奈はご機嫌な様子で前の席に座る。
麗奈の秘密の隠し味が何なのかは気になる所だが、それ以上にご飯が美味しく食事の方に夢中になっていた。
どれも俺の嫌いなトマトを使っているのにも関わらず、なぜか食欲が湧いてくる。
「ごちそうさま、美味しかった! ありがとな、麗奈」
最終的に、俺は麗奈の作ったトマト料理を全て完食することが出来た。
「どういたしまして、それじゃ午後から対局再開しましょ」
「ああ」
◇◇◇
俺は今、麗奈に頭を下げている。
必死に頭を下げて両手を合わせている。
「頼む……」
「……」
麗奈はそんな俺をみてじっくりと考えている様だ。
「頼む……!」
「……」
麗奈は俺の言葉を受け入れてくれるのか……それとも。
「ごめんなさい」
「そんな……まって、まってくれっ!」
「ダメよ、師匠の気持ちには答えられない」
断固として拒否する麗奈。
俺は振られた。またもや麗奈に振られてしまったのだ……──飛車を。
「もう振り飛車はやめてくれー!!」
「まだ振ってないじゃない」
「いやそれはもう振ってるのと同じ、完全に三間飛車でしょ!」
麗奈の指した△3五歩はまさに三間飛車を指そうとしている一手、次の△3二飛は絶対だろう。
「次の手は?」
「こ、こうか?」
「定跡だけど、師匠は振り飛車の角が怖いのよね? オープンのままで戦えるの?」
「そりゃあ常に角交換が出来る局面にはしたくないけど……」
「ならその手は違うわ、3筋を狙われたからといって3筋を受けてるようじゃ相手の土俵じゃない。ちゃんと局面を見ること」
局面を見るって言ったって……。
「相手が素直に角道を止めてくれるわけじゃないだろ、やっぱり自分から止めるしか……」
俺は自陣の角道を止める▲6六歩を指そうとするが、麗奈がそれを静止する。
「自ら止めるんじゃなくて、止めさせるのよ。▲6八玉と指してみなさい」
麗奈に勧められるがまま▲6八玉と指す。
「確かにこの一手も定跡だけど、さっき俺が指した▲4八銀と何が違うんだ?」
「進めて行けば分かるわ」
疑問を持って首を傾げていると、麗奈が俺の駒を掴みそのまま局面を進めていく。
▲3二飛、△2二角成、▲同銀、△6五角打と角成の両取りを掛けた。
一見すると技が決まっているように見える、だが……。
「だけどこれには三間飛車側が▲3四角打とする切り返しが……あっ!」
ここで俺は気づく。本来なら攻めが通らないはずの▲6五角打が通るようになっていることに。
「気づいたみたいね。本来ならここで三間飛車側、つまり私が△3四角打と打てば有利になる局面。だけど肝心の△3四角打で狙っている6七の地点をあんたの王様が守っているのよ」
「そのための▲6八玉か……!」
麗奈の意図を理解した俺は関心の声を漏らす。
そう、決して忘れてはならない。将棋は"先を読む"ゲームだ。いくら最善手を暗記したとしても、何手も先を読んだ妙手に勝てる道理はない。
「だからあんたが▲6八玉とする手に私は角道を止めるしかないのよ」
麗奈は局面を戻し、俺の▲6八玉に対して△4四歩と止めた。
「ほら、これで私の角道だけ一方的に止まったでしょう? 少しは指しやすくなったんじゃない?」
「ああ! こんな簡単な部分を見落としているとは思わなかったよ」
新たな発見に嬉々として喜ぶ俺に、麗奈も嬉しそうな表情をする。
「じゃあ△6五角打の局面から始めて見ましょうか」
「良いのか? 流石にこれは俺が勝っちゃうぞ」
「良いわ、はい」
「え……」
ポンっと繰り出された△5五角打。辺りの空気が一気に変わる。
次の△9九角成とこちらの8八にいる飛車を睨んだ天王山に、俺の目は固まった。
「この局面、実は互角よ」
「マジかよ……」
将棋は本当に難解なゲームだ……。




